投稿日:2013年12月2日|カテゴリ:コラム

小泉元首相は今でも全国各地で原発即時廃止を唱えて行脚しているようだ。しかしながら、今のところ自民党をはじめ政界も経済界も無視を決め込んでいる。彼らの大方が原子力発電ありきの現在の社会体制の中での成功者だからだ。
原子力業界に直接かかわっている積極的既得権益者が原発存続を願うのは当然のことだが、私たち一般人においても、現在の生活に満足を得ている者は、自分を取り巻く状況の変化を望まない。この人たちもある意味で既得権者と言える。何についても少しでも失うことを恐れるのは人の性だ。
だから、電力会社や原発設置と引き換えに多額の補助金をもらってきた地域住民が原発存続を強く訴えるのは、素直で切実な行動で、ある意味よく理解できる。今、原発を止められては明日からの生活が見えてこない。最悪路頭を迷うことになるからだ。同情に絶えない。
だがそうだからと言って、自分たちの生活を維持するために自分以外の人間(他地域の人々という意味以外に、これから先に生まれてくるであろう人々を含めて)の生存を脅かしていいという理由にはならない。
イノベーションには犠牲を避けられない。我々人類はこれまでも多くの既得権益者たちの犠牲の上に進歩を続けてきた。「これまでいい生活をできてよかった」、「ここは身を切って子々孫々のために涙を飲もう」と、一刻も早く原発にすがることを諦めて、新しい仕事探しに奔走した方が賢明ではなかろうか。
直接原子力業界に関係していないにも関わらず、したり顔で原発存続の重要性を説く人たちも本音を言えば原発を止めることで今の生活を失うことを恐れているからに他ならない。しかし、ピンチはチャンス。彼らも原発のない社会で成功する方法を探すべきだろう。

彼らの原発存続論の根拠は大きく分けて、経済的な損失と安全保障の崩壊の二つのように思う。経済損失とは、今原子力発電を再開しなければ日本のエネルギーを賄うために高価な原油や天然ガスを外国から購入し続けなければならない。そうなるとアベノミクスの足元を掬い、日本経済の立ち直りに多大な支障を生むというものだ。
本当にそうだろうか。確かに、原子力発電のコストと輸入化石エネルギーに頼る発電のコストを単純比較すれば、原発の方が安くて済む。太陽光発電や風力発電のような再生可能エネルギーはまだまだコストが高いし、安定供給が望めない。
しかし、原子力発電は一朝事が起こったら、甚大な被害だけではなく、その終息のために気の遠くなるようなコストがかかることが先の大震災で痛いほど分かったはずだ。電気料金の算定にその費用を見積もっていなかったために東京電力は四苦八苦。国費が投入されなければ倒産していた。
福島のようにメルトダウンしなくても、原発はやがて耐用年数を迎える。その後廃炉する際にも多大なコストと労力を長期間払い続けなければならない。こういった費用をあらかじめ電気料金に算入したとすれば、原子力発電のコストは他の発電方式に比べてむしろ高価なものになる。ただし、その支払いは我々の子や孫が払うことになる。目先は安そうに見えるが中長期的にみると馬鹿高い電力に頼り続けることが果たして国益と言えるのだろうか。そんなはずはない。

もう一つの原発擁護論拠である安全保障としての原発については我が国の原発導入を理解する必要がある。
実は我が国は戦前から原子力発電の仕組みである核分裂反応の研究をしていた。陸軍は理化学研究所の仁科研究所に依頼して核爆弾の開発を進めていた。仁科芳雄主導の下で原子爆弾開発まであと一歩の段階にまで迫ったが、結局は資金不足のためにアメリカのマンハッタン計画に先を越されて広島、長崎に原子爆弾を落とされ、敗戦となった。
占領後に押収した資料から、仁科らの研究成果が予想以上のものであったことを知った連合国は日本の報復を恐れて日本における原子力研究を全面的に禁止した。
1945年にサンフランシスコ平和条約が発効して我が国の原子力研究は解禁となったが、長崎、広島の被爆体験がトラウマとなって、戦後日本では「原子力」とか「核」という言葉は禁句となっていた。
ところが、中国の毛沢東が核爆弾保有に熱心であることを知り、これを脅威と感じた中曽根康弘らは我が国も核抑止力を持つ必要性を感じ、1954年に原子力開発予算を計上し、翌1955年原子力基本法が成立した。日本を共産主義からの防波堤と考えるアメリカもこれを黙認した。
1956年には原子力委員会が設置され、初代委員長に読売新聞社主であった故正力松太郎が就任した。正力はさらに翌1957年に初代科学技術庁長官に就任。以後の我が国の原子力行政の道筋をつけた。
このことから正力は「日本の原子力の父」と呼ばれるが、正力と中曽根の原子力発電推進の目的は純粋に廉価なエネルギー確保にあったわけではない。本当の思惑は核爆弾製造に必須の濃縮ウランやプルトニウムの確保にあった。さらに二人の背後にはアメリカの意向があったとされている。なぜならば正力がCIA要員であったことは公然の秘密であるからだ。
晩年も政財界に強い影響力をふるった中曽根と正力の強い盟友関係は、この潜在的核抑止力獲得活動にその端を発する。
彼らの推進運動にもかかわらず、核アレルギーの強い我が国では原発建設は彼らの思惑通りには進まなかった。ところが、1964年10月16日に中国が核実験が成功すると、国防関係者の危機意識が一気に高まった。そして原発建設に弾みがついた。
1966年7月に茨城県の東海発電所が営業運転を開始。1970年11月に関西電力美浜発電所、1971年3月に福島第一号炉が相次いで営業運転を開始して、原子力発電は本格化した。
つまり、日本の原子力発電はエネルギー確保よりも核爆弾の材料確保を主な目的として開発されたのである。そこから、中国、北朝鮮との関係がキナ臭くなっている現在、安全保障の観点から原発は一刻も早く再開しなければならないという主張になる。
だが、日本はすでに長崎級原子爆弾5000~7000発を製造できる44.3トンものプルトニウムを保有している。そして原発が稼働すればこのプルトニウムは増え続ける。日本各地の原発を再開すれば40年後には320トンものプルトニウムを保有することになるという。
爆弾運搬システムであるロケット技術はすでに獲得している。打ち上げ制度はイトカワで実証済み。さらに今年は高性能固体燃料ロケット、イプシロンの打ち上げに成功した。固体燃料ロケットは即時にミサイルへの転用が可能だ。つまり、我が国はその気になりさえすれば明日にでも世界有数の核武装国家になれるのだ。
自国への侵略を阻止するためになぜそれほど大量の核爆弾がなぜ必要なのだろうか。必要なはずがない。これ以上プルトニウムが増えれば、安全保障どころか自国民を脅かす存在になる。
なぜならば、以前も述べた通り、人類は未だ一度作られた核物質を無毒化する技術を持っていない。どんな殺戮技術もそれを無力化する技術を併せ持って初めて有効な武器となる。解毒剤のない毒、ワクチンのない殺人ウイルスは、自分たちをも脅かすから有効な兵器とはなりえない。
もうこれ以上解毒剤のない毒を貯めこむ愚かな真似は止めにしようではないか。

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