投稿日:2013年11月11日|カテゴリ:コラム

五経の一つ易経に「君子は豹変し、小人は面を革(あらた)む」とある。「立派な人は豹の斑点のように態度がはっきりとしいて、己の過ちを認めれば直ちに善に改めるが、くだらぬ人間は顔面だけで上の人間の意に従う態度をとるだけだ」という意味。確かに、これまでの自分の行動を否定して、名実ともに180°異なる生き方をすることは言うは易し行うは難い。人間とは自画自賛したい生き物だから。

小泉純一郎元総理が最近「脱原発」を唱えて講演行脚をして回っている。東日本大震災を経験し、あらためて原子力発電の問題について考えた結果、我が国では原子力に頼らず、自然を利用したエネルギーに転換していくべきだと考えを改めたと言っている。
彼の方針転換の最終的なきっかけは今年8月のフィンランド訪問。彼はここで世界初の核廃棄物最終処分場「オンカロ」を視察した。オンカロはフィンランド語で「洞窟」とか「隠し場所」という意味。安定した花崗岩地層を約520mの深さまで掘り、そこから横穴を広げてそこに放射性廃棄物を貯蔵しようというもの。
計画では2020年から貯蔵を始め、およそ100年にわたって廃棄物を埋めていく。100年後、洞窟が満杯になったら穴をふさぎ、そこへ通ずる道を閉鎖する。そして、中に貯蔵されている廃棄物の放射能が安全なレベルにまで減衰する期間封鎖し続ける。その期間はなんと10万年とされている。
そもそも、このオンカロ貯蔵は果たして放射性物質の最終処理と言えるのだろうか。オンカロ貯蔵はそれによって廃棄物を無害化する技術ではない。ただ10万年もの長期間、じっと危険性が少なくなっていくのを待っているだけなのだ。
たかだか数千年の歴史しか追うことのできない人類。しかもたったこの100年間にも2度の愚かな世界大戦を引き起こし、肌の色や宗教の違いだけで日常茶飯にテロを繰り返す人類が、果たして10万年もの間、危険極まりない核物質を安全に保存し続けることが可能なのだろうか。
それでも現在の科学ではこの地層処分以外に放射性廃棄物の処理法はないと言われている。つまり、現在の科学ではいったん作り出してしまった放射性物質を無害化することができないのだ。この現実が、原子力発電を「トイレのないマンション」と言わしめる所以だ。この喩えによれば、オンカロはトイレのない状況に対応すべくマンションの一番奥の部屋に汚物を貯めこんで、臭くなるのを待つという苦肉の策。
ところが、火山列島で至る所に活断層が走っている我が国では、この汚物部屋を作ることさえままならない。それが証拠に、我が国も1974年に廃棄物の最終処分法として「地層処分」とすると決定していながら、未だに建設どころか候補地さえ決まっていない。
小泉は「この現実を素直に認めてエネルギー政策を早期に転換すべし」と訴えている。また、こうも言っている「自分は総理大臣であった時には原発推進政策をとっていた。しかし、今はその考えを改めて脱原発と申し上げている」。まさに「君子豹変」である。

「君子豹変」は先ほども述べたように、君子は過ちと知ったらすぐにきっぱりと改めるということの喩え。ところが、最近は、自分に都合が悪くなるとそれまでの考え方や態度を一変させる、「小人革面」の悪い意味に誤解されて使われることが多い。さて、この度の小泉元総理の行動は豹変だろうかあるいは革面なのだろうか。
私は小泉をアメリカの市場経済主義を導入して格差社会を作り上げた元凶であるとして糾弾し続けてきた。しかし一方、彼の潔さについては尊敬していた。しかも現在は議員を辞し、一自民党員となった小泉純一郎が世論におもねったところで何を得るわけでもない。ここは純粋に愛国が故の君子豹変と信じたい。

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