投稿日:2013年9月15日|カテゴリ:コラム

「宮さん宮さん お馬の前に ヒラヒラスルのはなんじゃいな
トコトンヤレトンヤレナ
あれは朝敵征伐せよとの 錦の御旗じゃ 知らないか
トコトンヤレトンヤレナ
一天萬乗の みかどに手向かいする奴を
トコトンヤレトンヤレナ
狙いはずさず トントン打ち出す 薩長土
トコトンヤレトンヤレナ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

皆さんはこの歌をご存じだろうか。映画の中で歌われていたのを覚えていたのか、歌好きな父が口ずさんでいたのを耳にしたのか定かではないが、私はなんとこの明治初期の流行歌「とんやれ節」歌えてしまう。
慶応4年、西郷隆盛以下3軍を従えて有栖川仁親王殿下が東征の途に就かれた。その際に軍の士気を鼓舞すべく作られた軍歌がのちに一般に流行した。宮さんとは総帥の有栖川宮を指す。有栖川の宮軍が錦の御旗を先頭に行進する姿が歌われている。

錦の御旗(にしきのみはた)とは天皇の軍(官軍)の旗。赤地の錦に金色の日像と銀色の月像が刺繍されたり、描かれている旗。日之御旗と月之御旗は一対として掲げられた。朝敵討伐の証として天皇から官軍の大将に与えられる慣習がある。古くは承久の乱(1221年)に際して後鳥羽上皇が配下の将に与えたのが最初とされている。

この錦の御旗の威光は絶大なものであって、徳川幕府崩壊を決定づけた戊辰戦争の時には、自分たちが掲げる錦の御旗に友軍は大いに鼓舞され、一方、幕府軍の士気を挫いた。幕府軍の中にはこの旗を見ただけで、自分が逆賊とされることを恐れて戦わずして敗走する将兵も出たという。それほど錦の御旗の威光は偉大だったのだ。
錦の御旗のために結集するという日本人の気質はその後、日清、日露戦争へと引き継がれ、日本民族を我が国史上最悪の太平洋戦争へと引き立てた。錦の御旗があればどんな無理も押し通すことができたのである。だから現在国語辞典には「錦の御旗」は「自身の主張・行為を正当化し、権威づけるもの」と説明されている。
トコトンヤレトンヤレナ

戦後、個人主義が台頭して自分勝手な行動ばかりすると言われるが、日本人の根っこは今でも群れて一丸となるのが大好き。真の個人主義の裏付けである自己責任と言うやつが苦手、できればお上の言うとおりに右へ倣えと行動したくてしょうがない。毎日必ずどこかでお祭りがあるという世界に類を見ないお祭り好きもそのよい証拠である

しかし、今やさすがに天皇を現人神として一丸となるわけにもいかない。五輪旗はそんな現在、格好の錦の御旗となる。

五つの輪の旗を振りかざせば多くの国民が安心して突き進んでいけるのだ。一致団結した時の日本人の底力のすごさは太平洋戦争でも、先の東京オリンピックでも証明済み。この日本人のチームワークの良さで2020年の東京オリンピックを成功させ、これをきっかけに日本再生が果たされることを大いに期待する。 トコトンヤレトンヤレナ

一方、錦の御旗の御威光の前にひれ伏す国民性には、目的のためには盲目的に突き進んで、多くの大切なものを忘れ去り、御旗に付き従わない者を抹殺する危険性がある。オリンピック開催決定の歓喜に水を注すわけではないが、私にはこんな「とんやれ節」が聞こえてくる。
「みなさんみなさん 至る所で ヒラヒラスルのはなんじゃいな
トコトンヤレトンヤレナ
あれは東京オリンピックの 錦の御旗じゃ 知らないか
トコトンヤレトンヤレナ
日本のよさを 世界に売り出す 良いチャンス
トコトンヤレトンヤレナ
観光客わんさで 外貨を獲得 大儲け
トコトンヤレトンヤレナ
世界に名だたる おもてなしのためなら どんなことでも やせ我慢
トコトンヤレトンヤレナ
五輪のためなら 個人のエゴは 許すまじ
トコトンヤレトンヤレナ
浮かれ気分で 増税の痛みも どこへやら
トコトンヤレトンヤレナ
橋や道路の 老朽化インフラ リニューアル
トコトンヤレトンヤレナ
五輪のためなら 税金のつまみ食いも お目こぼし
トコトンヤレトンヤレナ
海辺の五輪だ 巨大地震の 危険性も 口封じ
トコトンヤレトンヤレナ
電力確保で 原発再開 反対する奴は 非国民
トコトンヤレトンヤレナ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

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