投稿日:2013年7月29日|カテゴリ:コラム

昭和26年4月24日13時45分頃、国鉄京浜東北線(現在の根岸線)、桜木町駅構内で5両編成の電車が架線事故による漏電により火災にあった。結果、先頭車両が全焼、2両目が半焼し、焼死者106名、重軽傷者92名を出す大惨事となった。これが桜木町事件と呼ばれる日本国鉄史上有数の鉄道事故である。
当時の車両が可燃性の素材を多用した粗悪品であったこと、緊急時にドアが手動で開くことができない構造であったこと、窓の開口面積が小さくて窓からの脱出ができなかったこと、隣の車両へ移動するための貫通路が確保されておらず、しかもその扉が外から施錠されていたことなどの要因が重なって、先頭車両の乗客は全員焼け死んでしまった。
実は私の父はこの先頭車両に乗っていたのだ。正確に言うと「この先頭車両に乗った」のだ。

当時私の父は某ゼネコンの横浜支店の営業部に勤めていた。事故当日、お得意先に向かうために桜木町駅から京浜東北線に乗った。ところが、発車直前に重要書類を忘れていたことを思い出し、閉まろうとするドアを無理にこじ開けて降りたのだ。父がドアを開けて降りたために、乗り遅れたはずの一人の若い女性が入れ違いに乗ることができた。
会社に向かって急いで改札口へ向かう父の耳に「ウォー」という人々のどよめきが聞こえた。何事かと振り返ると、つい先ほどまで自分が乗っていた車両の屋根から火の手が上がっているではないか。その後はのちの報道にあるように阿鼻叫喚の地獄絵だったと聞く。
後年父は、自分と入れ違いに車両に乗り込んで「ありがとうございます」とほほ笑んだ女性の、スカートの水玉模様が目に焼き付いて今でも忘れられないと言っていた。その女性は父の命と引き換えに亡くなった。父が忘れ物をしなければ、また発車寸前にそのことを思い出さなければ父は死んでいたし、その女性は生きていた。運と不運は本当に紙一重なのだ。この時父が死んでいれば今の私はなかった。
父の強運はこれだけではない。戦争中父が配属されていた市川の野戦重砲連隊は昭和14年ノモンハンにおいてモンゴル・ソ連共同戦線との交戦で全滅した(ノモンハン事件)。ところが父は中国出兵の直前に病気を患って療養のため本土に残っていたのだ。父が病気に罹らなければ、兄も私もこの世に存在すらしない。この強運の父は平成14年享年87歳で天寿を全うした。
大きな事件を紙一重の幸運で潜り抜けた父の幸運の上にこの世に生を受け順調に生育することができた私自身も、実は入院を繰り返していた病弱な子であり、家族の懸命の看病や幸運がなければ10歳までに命を失っていたかもしれなかったのだ。また青年期には車同士の正面衝突や自損による1プラス1/4回転の横転事故など、大きな交通事故を2度も体験している。とくに横転事故はあと一転がりしていれば崖から数十メーター下の伊豆の海に真っ逆さま。確実に死んでいた。また、2008年のコラム(最後の晩餐-若き日の臨戦体験-)に書いたように、大学生最後の夏にはキプロス戦争真っ只中のギリシャで、ただ一人3週間生活し、死を覚悟したこともある。
改めて振り返って見ると、父の代からの幸運の積み重ねの上に今の私がある。よほどついてる男だ。もっと遡ってみれば父の誕生だって、そのまた前の祖父の誕生だって、きっといくつもの幸運の上に成り立っているに違いない。当然ながら、生まれたての兄を抱えて空襲を逃れた母の幸運、さらには母方の歴代の幸運があってこそ今の私が健康に生きている。よほどの幸運児と言える。神(宇宙を統べる意志のようなものか?)に深く感謝している。

しかし、ついているのは私だけだろうか。どんな人も幸運の積み重ねの上に存在しているはずだ。ただ、九死に一生の危険を本人が気づいていないだけのことが多いように思う。もしかすると本来は歩道で今しがたすれ違った自転車に激突されていたはずで、運よく通り過ぎてくれたのかもしれない。さっき通ってきたトンネルも、あと少し雨が降っていたら崩落していたかもしれないのだ。
そもそも、今生きている我々日本人は全員、何らかの理由で先の大戦を生き延びた人の子あるいは孫である。
さらに言えば、受精は精子にとって究極の戦場である。一回の「よーいどん!」で放出された5億個の中で卵子に辿り着いて受精の栄誉を受けられるのはたった1個の精子なのだ。その他は全員討ち死に。5億個の精子のうちどの精子が勝ち残るかによって生まれてくる子は全く異なってくる。だから私たちは全員5億分の1の生存競争の勝ち残りなのだ。
出産も皆が考えているほど安全な作業ではない。母子ともに死の危険をかいくぐって生まれてくる。
生まれてからも身の回りは危険でいっぱい。実は生物はすべていつ何時死んで当たり前。生きながらえることだけで大変幸運なのだ。
多くの人が生きていることを当たり前と感じているが、本当はそうではないのだ。気の遠くなるほどの確率の幸運のなせる業であることを自覚すべきだろう。そうすれば、与えられて人生をできる限り有意義に過ごそうと考えるはずだ。自ら命を絶つなどという罰当たりな行為をできるはずがない。

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