投稿日:2013年7月8日|カテゴリ:コラム

参議院議員選挙が始まった。政権与党である自民党、公明党の圧勝が予想されている。新聞各社の予想では自公で非改選議席を含めて過半数を獲得し、衆参のねじれ状態が解消されるとみられている。
私は国家破産に向けて突っ走る、詐欺まがいのアベノミクスに大反対。また、将来の日本国民の惨禍と引き換えに、目先の利権力学で原発を再稼働しようとする目論見にも憤りを感じる。したがって、なんとしても自公大勝を阻止したい。ところが、私の意を反映させるべき政党が見当たらない。なんとも悩ましい1週間になりそうだ。
さて、政権与党は今回の参議院議員選挙の争点を「ねじれ解消」に据えている。「衆議院と参議院の勢力バランスが逆転していることによって、政策が決定できない。だから、このねじれを解消させて、決定できる国会に正したい。」というのが彼等の主張だ。国民の多くもこの意見に同調して自民党の圧勝を望ましいことと考えているようだ。
本当に衆議院と参議院の勢力バランスが同じようになることがよいのだろうか。そうではないはずだ。もしそうならば、「参議院は衆議院のカーボンコピー」の誹りを免れない。二院制の意味がない。世の流れに迎合し、ともすれば衆愚化しやすい衆議院に対し
て、より大局的、長期的観点から異を唱えられることに参議院の存在意義があるはずだ。
そもそも民主主義とは多様な意見を調整しながら結論を出す、実に非効率な政治形態なのだ。非効率と引き換えに、一部権力者による専横を防ぐものだ。効率を追及するならば、民主主義を放棄して、独裁政治に戻ればよい。
二院制はこの安全弁をより強固にするシステムだ。だから参議院は本来、現在のように衆議院のカーボンコピーであってはいけない。衆参の「ねじれ」が議論されること自体がおかしいのだ。本来の参議院は「良識の府」と呼ばれるように、目先の利益損失に左右されず、国家の将来をより長期的、客観的に検討するところであるべきなのだ。短期的な予算などは衆議院の専決事項にすればよい。
だから私は、参議院を政党政治から切り離さなければいけないと思う。つまり参議院議員の特定政党帰属を禁止して、己の政治信条のみにしたがって行動する存在と規定し直すとよいのではないだろうか。そうすれば、今回の選挙における争点は、目先の景気浮揚などではなく、原子力問題や少子化問題などが中心になるはずである。こういった課題を利益団体からの圧力に左右されず熟考する場であってほしい。

参議院の前身である大日本帝国時代の貴族院は、非公選の皇族議員、華族議員、勅任議員によって構成された。解散はなく、議員の多くが終身任期であった。勅任議員は国家に勲功があった者の中から天皇が任命した。この中には、学士院会員や高額納税者などが含まれていた。
つまり、皇族や華族に加えて、国に政治、経済、軍事に貢献した者や学識経験者たちによって衆議院とは違う観点から国政を議論するものであったのだ。良くも悪くも、衆議院のカーボンコピーとはかけ離れた存在であった。
憲法改正が現実味を帯びてきたのだから、この際、参議院のあり方を見直してはいかがだろうか。さすがに今の世の中で、被選挙民を皇族や、大学教授、高額納税者に限るなどという制度に
戻すことはありえない。しかし、選挙民を限定することは可能だろう。私は参議院議員選挙の選挙権は納税者に限ることを提案する。
権利と義務は表裏一体のものである。国民の重大な義務である納税を果たしている者と、果たしていない者の間に権利としての差が生じても理に適っている。なんでもかんでも平等というのは、結局不公平になる。だから、衆議院議員は納税の有無に限らず一定以上の年齢の国民のだれもが選挙権を持つ。一方、参議院議員は納税者だけに選出の権利を持たせてもいいのではないだろうか。
そうなれば、働けるにも関わらず働かず、生活保護に甘んじている人々の就労意欲を刺激する効果もあるように思うのだが。

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