投稿日:2013年6月10日|カテゴリ:コラム

右胸心という病気をご存じだろうか。名前の通り、心臓が右側にある先天性の奇形で、5000人に1人くらい出現するとされている。心臓だけでなくすべての内臓が通常と逆の位置に存在する「全内臓逆位」は10万人に1人と言われている。つまり、ほとんどのヒトが左側に心臓を持っているということだ。ヒトに限らない、高等動物の心臓は通常左側に位置する。
心臓が胸の左側を占拠するために、左側の肺は小さく、肝臓は右側に偏位している。つまり、内蔵は左右非対称なのだ。
それではなぜ内臓が対称的になっておらず、心臓が左に位置しなければならないのだろう。生物学系の学問を学び、日頃から人体と接触する職業に就いて30年を超えるが、未だに謎である。人に質問しても、本を読んでも、心から納得できる答えは得られない。
そこで所説を基に自分なりに考えてみた。まず、胸にある主要な臓器としては心臓のほかに、肺と食道がある。その中で発生学的にもっとも優先されるのは消化器である食道だ。生物としてのもっとも必須の機能は外部から栄養を吸収して老廃物を排泄し、細胞の機能を維持することだ。言い換えれば餌を食って糞をすることが生きることの本質と言える。だから、食道が胸の中央を貫いているのは当然と言える。
呼吸器や循環器は個体が複雑になった時に、栄養素や酸素をより効率的に補給する目的で必要になる。だから、ほとんどの動物は消化管が体の中央部を貫いて、それ以外の臓器はその周囲に配されている。
受精卵がいくつかの胚になってさらに分裂していく過程で、お腹の小さなくぼみの位置で繊毛が羊水の左旋回(反時計回り)の方向に羊水を流すようになる。その結果、消化管以外の臓器の非対称性が決定されると言われている。動物実験で、この繊毛による羊水の流れを変えてやると、内臓逆位の個体が高率に発生することが認められているからである。
羊水の流れが反時計回りだとなぜ心臓が左に作られるかについては、特殊なたんぱく質やカルシウムイオンが関与するとされているが、あまりにも専門的なのでここでは説明を省く。この説を正しいとしてもまだ根本的な疑問が残る。それは分割胚の段階での繊毛運動がなぜ反時計回りの水流を作るのかという点だ。
一瞬、地球の自転によって生まれるコリオリの力が関係するのかと考えたが、それならば南半球で生まれた人は心臓が右になければならない。地球の自転と心臓の配置とは無関係だ。
一説によると、地球上の生命を構成するアミノ酸の光学活性がL型(左側回転)に偏っていることに起因するとされている。化学物質に偏光を当てると右側回転するD型と左型回転するL型が存在する。理論的には両者は同じ比率で存在するはずだ。実際に隕石に付着したアミノ酸や合成したアミノ酸はL型とD型がほぼ等しい。ところがどういうわけか、生物を構成するアミノ酸はほとんどL型ばかりである。つまり、アミノ酸という分子レベルですでに対称性が破たんしているのだ。この非対称性が積もり積もって臓器の非対称性を引き起こすと言っている。
なんとも壮大な夢物語だが、私には「風が吹けば桶屋が儲かる」式のこじつけのように思える。
しかし、無から生じた宇宙には同量の物質と反物質が存在するはずなのに、私たちの宇宙は物質のみで形成されている。この理由は宇宙誕生時の素粒子レベルのほんのちょっとした対称性の破れによって引き起こされた結果だという。宇宙全体の構成でさえ、その発端は目に見えないほどミクロの世界の非対称性にあるのだから、私たちの心臓が左にある理由がアミノ酸の構造の偏りに起因することは何ら不思議ではないのかもしれない。
ともかく、現在の科学は、臓器の非対称性に限らず、未だにごく身近で根本的な多くの疑問に対して十分な答えを提供してくれない。

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