投稿日:2013年5月6日|カテゴリ:コラム

近年、子殺しの報道が後を絶たない。それも継母による殺害ではなく、実母が、自分が産み落とした子供を殺す事件が。全面的に信頼し、すべてを任せきっている、抵抗する能力のない、自らの分身を無慈悲に惨殺するのだ。ワイドショーや週刊誌の見出には「獣のような・・・」という言葉が躍る。

だが、獣は我が仔を殺すのだろうか。確かに、動物の世界では仔殺しが見られる。たとえば雄のライオンは交配したいと思った雌が、他の雄との間の仔を育てていると、その仔ライオンを殺してしまう。
その理由は、仔育て中の雌ライオンは、母としての本能が雌としての本能に勝るため、発情しない。そのため、自分の遺伝子を受け渡すことができないからだ。しかし、それはあくまで親の違う仔を殺すのであって、自分の仔を殺すのではない。それどころか、仔育て中の雌ライオンは父親以外の雄ライオンを見つけると、命がけで我が仔を雄ライオンから守る。
動物の世界では実の親による仔殺しはない。特に雌は決して我が仔を殺さない。子殺しに対する「獣のような・・・・」という表現は、獣に対して大変失礼というものだ。

本来、動物の雌にとって、自分の遺伝子を将来につなげる我が子は何にもまして大切な存在なのだ。しかも母は目の前の子が自分の子か否かを確実に把握している。何せ自分が産み落としたのだから己の子に間違いない。一方、男親はDNA鑑定する以外、「あなたの子よ!」と言われれば、その言葉を信じるしかない。もしかすると隣に住むイケメンの旦那との子だったとしても、「ほら、眉の形があなたそっくり」などと言いくるめられてしまうだろう。
このように、母は確実に他の子と自分の子を峻別するから、自分の遺伝子を持たない継子を苛める心理は分からなくはない。ところが、父親は、もともと我が子であるかどうかあやふやなだから、自分の遺伝子を持っているから可愛いという感覚は少ないのではないだろうか。
よくドラマで、妻の懐妊を知って大はしゃぎしたり、分娩直後の我が子を見て欣喜雀躍するシーンが描かれるが、私から見るとものとても嘘くさい。私の方が特殊なのかもしれないが、懐妊を知らされたときは、不埒な行動の結果を突き付けられたようで、喜びよりも恥かしさのほうが勝った。子供に対する感情も、生まれたての頃はそれほど可愛いという感覚はなかった。なんか猿みたいな生き物がギャーギャーと騒いでいるという印象が正直なところだ。
だが、やがてその小さな生き物が、抱っこするとしがみつき、呼ぶと笑いながら這い這いして寄ってくる。さらに、言葉を発し、人間らしくなるにつれて可愛いという実感が強くなった。やがて私の心の中に、何物にも代えがたい我が子という実感が確立された。
母親の本能的な愛情に比べて、男親の子供に対する愛は、生活体験を通して形作られる部分が大きいように思う。家族という運命共同体を構成する大事な「仲間」としての愛の色彩が強いのではないだろうか。だから、私にもし継子がいたとしても、長く生活すれば実の子と変わらずに愛することができるような気がする。

ある知り合いの女性から聞いた話。彼女は5人兄弟の第4子。なんの違和感もなく育ってきたが、中学生の時に自分の血液型を知る機会があった。そこで判明した血液型は両親の間からは絶対に生まれてくるはずのない型だった。しばらくの間、親に問いただしてよいものかどうか思い悩んでいたが、数か月後、意を決して、おそるおそる母親に尋ねてみた。そうしたら、母は即座に笑い飛ばして、「そんなちっちゃなこと気にしたらダメ」と言ったそうだ。 あまりにもあっけらかんとした母の言いように、それ以上そのことを詮索する気はなくなったという。
その後、彼女は立派な社会人になり、良き妻になり、慈しみ深い母になり、幸せに暮らしている。両親が亡くなった後も兄弟仲良く頻繁に交流があると聞く。
他の動物には見られない、人間ならではの懐の深い家族愛に感動した。

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