投稿日:2013年2月25日|カテゴリ:コラム

先日、介護関係の仕事をしているAさんが、意気消沈されて受診された。理由を聴くと「咀嚼と嚥下が悪くなってきたご老人に液状の半消化態栄養剤*1の経口適用を計画したところ、同僚たちから『そんな無意味な延命行為は止めた方がよい』と言われて、これまで自分がやってきたことを否定された気がして、それ以来何もやる気がしなくなってしまったんです。」とのことであった。

近頃、回復が見込めない高齢者に対する胃瘻*2による延命が、本来の目的から逸脱した無意味な延命行為ではないかと問題視されてきた。とは言うものの、それを施さなければ、死期を早めることは間違いがないために、家族も医療者もなかなかに胃瘻の中止を言いだすことがためらわれる。感情に加えて、法的な責任を問われはしないかという懸念があるからだ。
そこで日本老年医学会は「適切な意思決定過程を経れば、法的にも責任は問われない」との見解を発表した。
胃瘻からの栄養補給や中心静脈栄養*3などは本来、ある種の病態によって一時的に口から食べることができないが、一定期間の栄養補給をすれば、やがては回復して再び経口的に食べることができる症例に対して行うべきものである。
これを全機能が低下し、しかも回復の見込みがない超高齢者に使用するのは不適切と言える。なぜ我が国でこうした胃瘻の適用が拡大されたかというと、在宅で家族が比較的簡単に栄養管理ができるので、早期に退院させやすいし、嚥下の悪い人に時間をかけて口から食べさせるよりもはるかに介護の手間がかからない。こういった医療・介護施設側の事情が大きい。
生あるものは必ず没する。この自然の摂理に鑑みれば、老衰状態の高齢者への胃瘻増設は確かに無意味な延命行為と言わざるを得ない。ごく特殊な例を除いて、私も胃瘻の乱用には反対だ。しかし、食が細った方に半消化態栄養剤を経口的に適用することまで無意味な延命行為と言えるのだろうか。少なくとも自力で液状の物を飲み下す力がある人の、生きようとする意志を補助しているだけなのだから、意味のある延命行為だと考える。

Aさんに、「私は貴女の考えは間違っているとは思わない。私も同じ選択をすると思う。」と告げた。「ところで半消化態栄養剤の使用を否定する方々は、とろみ食*4に対してどう考えているのですか?」と尋ねると、「彼らはとろみ食は無意味な延命行為だとは思っていないようです。」との返事。ここで私は、皆が口にする無意味な延命行為の、無意味の基準が極めてあいまいで、各人の価値基準によって異なるのだと気付いた。
ただただ長生きさせることだけがよいわけではない。本人がなるべく苦しまずに、寿命を全うさせることの方がより良い。この考えに異論を唱える人は少ない。
しかし、どこまでが天寿で、どこからが天意に反した行為なのかというと、万人共通の答えはないのではないだろうか。私の境界線は経口栄養と胃瘻の間にある。しかし、先ほどの介護者のようにとろみ食と半消化態栄養剤の線を引く人もある。
もう10年以上も前に、永六輔さんがラジオで言っていた言葉を思い出した。「私の命の恩人は歯医者さんです。」、「動物は自分で噛んで物を食べられなくなれば死ぬんです。私は歯が弱く、自分の歯が全部だめになりました。だから、本当はもう死んでいるはずなのですが、こうして元気に生きている。それは歯医者さんが入れ歯を作ってくれたからです。」
永さんのこの話は、寿命についての私の考えを根底から変えた。それまでは人の生死を左右するのは心臓や脳などの内臓であって、歯という器官はそれほど重視していなかった。しかし、確かに人以外の動物は自力で食べられなくなった時が寿命なのだ。そのためには木の実や葉っぱを擂り潰したり、肉を切り裂いたりする歯が必須である。つまり歯を失った時がその動物の寿命と言える。
無意味な延命行為をより拡大的に解釈すれば、義歯さえも無意味な延命医療と言えなくもない。もっと言えば、自力で生活費を稼げなくなったなら死ななければならないことになる。人以外の動物では幼児期を過ぎて巣立った後は、自ら食べ物を獲得してくることができなくなると死ななければならなくなる。
ライオンのように小集団を形成して生きる動物の場合には、雄ライオンのように必ずしも自ら獲物を獲らなくても餌にありつくことができる場合もある。だがそうやってひものように生きていられるのは、雄ライオンとしての役割(外的から集団を守り、集団内の雌に子供を産ませること)を果たせている間だけだ。少しでも闘争能力や生殖能力が衰えれば、即刻群を追い出されてたちまち死を迎える。
ヒトの世界に置き換えて考えれば、職を失い、生活費を稼げなくなったならば生きていけないということだ。となると生活保護制度は無意味な延命策ということになってしまう。さすがにそこまで言えば誰しも極論と思うだろう。しかし、現実に今や生活保護制度は批判の的となっている。
一番の問題は不正受給だが、生活保護費の金額も多すぎると批判されている。なぜならば、長引く不景気による正規雇用者の減少と賃金の低下にともなって、生活保護費よりも少ない賃金しか得られない労働者(ワーキングプア)が増加した。このために、一生懸命働いた者が働かない者よりも貧しい生活を強いられるのはおかしいという声が大きくなる。実際に、ワーキングプアよりも保護生活を選択する者が増えて、国の社会保障財政を一掃に圧迫している。こういった批判を受けて、国は生活保護費の減額を決定した。
その論拠は「頑張る者が報われる社会であるべき。」だ。確かに頑張っても頑張っても報われない現在の社会は病んでいる。しかし、その考えの行き着く先は「働かざる者食うべからず」の弱肉強食の論理だ。動物としてあるべき本来の姿とも言えるが、他の動物と異なり、弱者を切り捨てずに共存する社会を築いたことがヒトのヒトたる所以であり、そのような生き方が今の人類の繁栄の一因なのではないだろうか。
生活保護や延命行為にまつわる議論の本質は、ヒトという動物として生きるにはどうあるべきかという哲学的な課題なのだと思う。難しい問いであり、今すぐ正解に辿り着くとは思えない。だが、日常のあらゆる場面で遭遇するこの問題を真剣に考えて、何らかの共通認識を作り上げる必要がある。
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*1:半消化態栄養剤:噛んで飲み込む機能が低下した時や、胃瘻などの非経口的栄養補給時に用いられる栄養食品。三大栄養素の他にミネラル、ビタミンなど身体に必要な栄養がバランスよく配合されている。エンシュアリキッド®やラコール®などが有名。
*2: 胃瘻:腹壁を切開して胃内に管を通し、食物、水分や薬剤を流入投与するための処置。
*3: 中心静脈栄養:鎖骨下静脈や内頸静脈などの太くて心臓に近い静脈に高濃度のブドウ糖のほか、アミノ酸、脂質など、身体に必要な栄養素を点滴投与する方法。
*4: とろみ食:食べ物をミキサーで擂り潰して、そこにとろみ剤やゼラチンを加えて、ゼリー状にした物。嚥下力が低下するとサラサラの液体よりもゼリー状の物の方が飲み込みやすくなる。

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