投稿日:2012年12月24日|カテゴリ:コラム

ルー大柴をご存じだろうか。だいぶ以前にアデランスの広告の中の「トゥギャザーしようぜ!」の台詞で有名になったタレントだ。売りは「ユーと眺めるムーンはビューティフルだ」とか「ディスイヤーのウィンターはコウルドだぜ」のように、むりやり英単語を織り交ぜた台詞だ。この不必要でわざとらしい英語の乱用で笑いをとる。

この度の総選挙。投票結果はともかく、ある御仁の選挙演説がとて耳障りだった。その御仁とはみんなの党、代表、渡辺喜美だ。彼のしゃべくりを聴いていると頻回にアジェンダと言う言葉を口にする。「我がみんなの党はアジェンダが一致すれば他の党と組むことがある」、「どの人が好きか嫌いかと言ったことではなくあくまでアジェンダによって決めたい」といった具合だ。
初めのうちは聞きなれない単語に、何か素晴らしいことを言っているのかと思っていた。しかし、何回も聞いているとほかの政治家が言っている「政策」とそれほど変わりがないように思えた。
辞書で調べてみると「行動する」と言う意味のラテン語のagendaに由来して、「なすべきこと」、「予定表」、「行動計画」と訳される。ここから派生して政治の世界では「重要な政治課題・政策」という意味で使われるようだ。
何のことはない、普通に「政策」あるいは「マニフェスト」と言っておけば済む。それなのに、なぜ素直に「政策」と言わずに、「アジェンダ」などというカタカナ言葉を使うのだろう。
きっと目新しい言葉を使って、新鮮さを打ち出したいのだろう。確かに、「政策」はあまりに手垢に塗れて古臭く、「マニフェスト」も民主党政権によって、まったくもって信用できない言葉になってしまったからだ。
しかし、言葉に責任を持つという根本姿勢が無ければ、どんな奇をてらった言葉を使ったとしても言葉のすり替えに過ぎない。そんなことで国民の信頼を得ようとする姿勢にこそ、むしろ胡散臭さを感じる。

私が耳障りに感じるカタカナ言葉はアジェンダに限らない。最近は一時期ほど流行らなくなったが、一時学会発表でしばしば「パラダイム」という言葉を耳にした。「ここでパラダイムを変えてみましょう」といった具合にだ。要するに「物の考え方」とか「認識の枠組み」といった意味なのだが、ことさら「パラダイム」を連発する学者がいた。
この他、インセンティブ=報奨金、褒美、リスペクト=尊敬、コンプライアンス=順守、コンセンサス=意見の一致、ソリューション=解決法、解答、ガバナンス=統治または統治能力等々。わざとらしいカタカナ言葉を挙げていったらきりがないほど、私たちの周りは不必要なカタカナ言葉で溢れている。
ゴルフ、サッカー、レストラン、ホテルのように固有名詞あるいはそれに準じた単語は、日本語に置き換えることが不可能か、無理に日本語に直す方が陳腐だ。そのままカタカナ表記で日本分の中に挿入して使って構わない。
しかし、尊敬と言えば済む場合にわざわざリスペクトというのはいかがなものだろう。本人はかっこよく気取っているつもりかもしれないが、私から言えばみっともない限りである。
不必要なカタカナ言葉の乱用は、その人の国語能力の低さを表している。なぜならば、そういう人はさまざまな外国語の単語を知っているのかもしれないが、正しく意味を理解して適切な日本語に言い換えることができないからだ。
もし、誰にでも分かる日本語で言えるにもかかわらず、あえてカタカナ言葉を使用しているのであれば、それはもっと悪質だ。ルー大柴のように笑いをとる手段ならばいざ知らず、真面目な議論にわざとカタカナ言葉を連発する意図は、実際よりも自分を立派に見せたいか、肝心なことをごまかしたいからに違いない。
日本人である限り、まずは正しく美しい日本語でしゃべる能力を身につけたいものである。

【当クリニック運営サイト内の掲載記事に関する著作権等、あらゆる法的権利を有効に保有しております。】