昔から「色の白いは七難隠す」と言う。美人の要件として色白であることを挙げている諺で、色白の女性は顔かたちに多少の欠点があっても、それを補って美しく見えるということ。
この指摘には異論を唱える方が多いと思う。なぜならば、異性の魅力はさまざまであって、世のすべての男性が色白の女性を好むとは限らない。小麦色の肌にぞっこんの人もいる。また、肌の色なんてどうでもよく、ひたすら豊満なバストやヒップにしか目のいかない男性もいる。
つまり、「蓼喰う虫も好き好き」と言うように、異性のどこに性的な魅力を感じるか、性的魅力のツボは人それぞれであって、万人共通の正解はない。
とは言うものの、皆何らかの基準で異性らしさを感じて惹かれることは間違いない。それぞれの基準で男(雄)はよりらしい女性(雌)を求め、女(雌)はより男らしい男性(雄)を求める。それは生物としての宿命なのだ。ただ、その基準が個体によって、また、時代や文化によって多くのバリエーションを持つことは、環境に即して種を保存させるための巧妙な手段なのだと思う。
すべての男性が同じ基準で女性を選び、すべての女性が一つの類型の男性を求めるとしたら、子孫の多様性が失われて、将来の環境変化に対して種の滅亡の危険が大きくなるからだ。多様な子孫を作ることによって人類様々な局面で生き延びられるように工夫されているのだろう。
さて、異性を引き付けるために神が仕組んだ男らしさ、女らしさにはどういうものがあるだろう。色白で代表される見目形はもちろんだが、思考パターン、行動パターンに至るまでいろいろな要素がある。このうちの重要要素に声色がある。
11月14日の党首討論をご覧になった方は少なくないと思う。どちらが与党か分からなくなるほど野田首相から安倍自民党総裁への質問、提案が連発された。最後には前例のない総理大臣からの解散予告発言が飛び出した。
この二人のやりとりを聴いていてつくづく思ったことがある。それは、野田さんってなんて素敵な声なんだということ。太い、低音で艶がある。首相就任の際の「泥鰌」演説は内容もさることながら、この声を以って初めてあれほど人の心を打ったのだと再認識した。
一方、安倍晋三自民党総裁。体つきは偉丈夫なのだが、いかんせん声が情けない。ボーイソプラノのなれの果てみたいなハイトーンで口をあまり開かずぺちゃぺちゃしゃべる。あれやこれや野田さんを責め立てるが、私にはセントバーナードにスピッツが吠えかけているように見えた。
安倍さんは第1党になる可能性大とみてか、「自衛隊の国防軍への改称」といった勇ましい公約を次々と演説しているが、ジャパネットタカタみたいなボーイソプラノで叫ばれては、世界有数の精鋭軍がイチキュッパ(19800円)の安物に感じられてしまう。
現職の政治家に野田さんよりも男らしい魅力ある声の持ち主は見当たらないが、音楽の世界でも最近の男性歌手は小田和正、徳永英明、平井堅、B’zの稲葉浩志など、皆ハイトーンばかりである。フランク永井のような低音の美しい歌手がなぜ出てこないのか。
ことさら低音が売りではなかったが、フランク・シナトラ、ペリー・コモなど昔の名歌手は低音から高音まで白い声域を持ち、もっとも美しい声色は中音域であった。「俺はここまで高い声が出るんだぞ」と誇示する、アクロバティックな歌手ではなかった。
男性の高音もそれはそれで魅力的ではあるが、高音は発声訓練で出るようになる。ところが、低音は共鳴器である胸郭の大きさに依存する。動物世界では殆どの種で雄は雌よりも体が大きく、したがって雄の唸り声の方が低音で野太い。この低い鳴き声が強さ・逞しさを表して、己の縄張りを主張する重要な手段になっている。
このコラムで繰り返し述べているが、人間も所詮は動物の1種に過ぎない。したがって動物の世界で見られる現象はほとんど人間の世界にも当てはまる。人間の場合にも12~13歳の変声期を経て男は1オクターブほど低くなる。同時に男女ともに陰毛が生え、女性は乳房が発達、男性は髭が濃くなり、筋肉や睾丸が発達する。こうして成体の雄(男らしく)と雌(女らしく)になる。
低音の男らしい歌声が求められない風潮は、草食系男子とか言って、闘争心の弱い男性や男性の生殖能力の低下などの減少と密接に関係するように思う。男らしさ、女らしさが失われ、両者が中性化するということが日本人の種の多様性の一環であるならばよいのだが、保存能力自体の低下の表れでないかと懸念される。
さて、野田総理。歌手であるならば声の良さだけで結構だが、政治家はそれでは困る。我々は、彼の声の良さに隠されてしまっている政治家としての重要な資質をしっかりと見極めなければならない。