投稿日:2012年12月3日|カテゴリ:コラム

11月30日時点で国会に議席を有している政党は「民主党」、「自由民主党」、「公明党」、「日本未来の党」、「みんなの党」、「日本維新の会」、「日本共産党」、「社会民主党」、「みどりの党」、「国民新党」、「新党大地・真民主」、「新党改革」、「沖縄社会大衆党」、「新党日本」、「改革の志士」。なんと15もの政党が乱立している。
しかも、結党したかと思うやいなや他党と合併して消滅するものも少なくない。その後「日本維新の会」に吸収された石原慎太郎率いる「太陽の党」は設立から解消までに、なんと4日間の命しかなかった。28日に結党したばかりの「日本未来の党」には直ちに小沢率いる「国民の生活が第一」と「減税日本・反TPP・脱原発を実現する党」が合流した。そもそも「減税日本・反TPP・脱原発を実現する党」は22日に川村名古屋市長率いる「減税日本」が合流したばかりである。この政界の混乱ぶりは目に余る
この政党の乱立と離合集散ぶりを多くのマスコミが合従連衡と報じている。 合従連衡とは、状況に応じて各勢力が連合したり同盟したりして結び、また離れるさまを言い、出典は古く中国の春秋戦国時代(紀元前770年~紀元前221年)に遡る。

紀元前771年、悪政に不満を募らせた諸侯によって周の幽王が殺された。翌年、幽王の息子が都を洛邑に移した。これ以降の周を東周と呼び秦、斉、楚、魯、晋、宋、衛、鄭、呉、越、杞などが群雄割拠する春秋戦国時代が始まる。この分裂状態は紀元前221年の秦の始皇帝による中国統一によって終止符が打たれた。後半期の戦国時代になると秦が強大化し、「秦」対周辺の「韓」、「魏」、「趙」、「燕」、「楚」、「斉」の6カ国という構図になった。
強大化した秦に対抗するために他の6カ国が謀った外交政策が合従連衡だ。つまり秦の東に位置する6カ国が縦(南北)に連合して秦に対抗する政策が合従。一方、覇者の地位を確立しつつあった秦とそれぞれが横(東西)に同盟を結ぶことを連衡という。
弱小6カ国は難しい外交駆け引きの合従連衡を繰り返して秦に対抗したが、結局は抗しきれずすべて滅ばされてしまった。
この合従連衡において活躍するのが蘇秦、屈源、張儀、范脽といった縦横家と呼ばれる外交の策士たちである。縦横家は諸子百家といわれる古代中国の思想家の一つに数えられる。諸子百家では道家、儒家、法家、墨家、陰陽家などが有名だ。彼らはそれぞれ確固たる思想に基づく理想を実現するために活躍した。こういった思想家とは異なって、縦横家は確固たる思想は無く、巧みな弁舌と奇抜なアイデアで諸侯を説き伏せ、あわよくば自らが高い地位を得ようとする者たちであった。

今一度、現在の我が国に目を向けてみよう。各党の党首討論を聴いていても、浮気な世論に迎合した耳触りのよい発言をしたり、民族主義的な威勢のいい発言で向こう受けを狙ったりばかりが目につく。票読みで不利とみるとなりふり構わず政策を捨てて野合する。そのことを批判されると、「小異を捨てて大同につく」などと居直る。まさに縦横家の面目躍如といったところだ。
一時、救世主となるやに見えた橋下もここ数週間の茶番劇によって仮面が剥がされ、所詮、縦横家のはしくれに過ぎないことを露呈した。
中国の合従連衡では核となる「秦」という強国があった。今の日本において「秦」に当たる者は何か。「民主党」でも「自民党」でもないことは確かだ。官僚組織こそが我が国の覇者ではなかろうか。本家の春秋戦国では他の6国が合従連衡を繰り広げたにもかかわらず、結局は秦に滅ぼされてしまった。それに比べてさらに泡沫の十を超える政党が姑息な駆け引きに明け暮れても良い結果が期待できるはずがない。
こんなことを繰り返していれば、いずれの政党が勝ったとしても、官僚支配がさらに強くなって、より一層国民の住みづらい国になることは間違いない。
「脱原発」、「脱原発依存」、「卒原発」などといった言葉遊びばかりに呆けている縦横家はもういらない。信念の国士の登場が望まれる。

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