投稿日:2012年11月19日|カテゴリ:コラム

2007年3月以来毎週書き続けてきた本コラムがこれでちょうど300編となり、5年半以上を経過した。今回はこの半昔を振り返ってみる。
当時のアメリカ大統領はジョージ・W・ブッシュであった。その後、2009年にバラク・オバマがアメリカ史上初の黒人大統領となり、つい最近の選挙で再選された。これからまた4年間アメリカの政治の舵取りをすることになる。
我が国の総理大臣と言えば、小泉長期政権の後を継いだ安倍晋三政権であった。安倍がその年の9月に体調不良を理由に政権を投げ出した後、福田康夫(2007年9月~2008年9月)、麻生太郎(2008年9月~2009年9月)。2009年の総選挙の歴史的与野党大逆転で、民主党の鳩山由紀夫(2009年9月~2010年6月)、菅直人(2010年6月~2011年9月)を経て、ブーイングの嵐の中ついに解散に踏み切った野田佳彦(2011年9月~)まで計6名、総理大臣が代わっている。
その上、菅が2回、野田が3回の内閣改造を行ったので、なんと9回も内閣が代わっている。途中交代することのないアメリカ大統領でさえ4年1期では自分の構想を実現することが困難だというのに、くるくると数カ月で交代する我が国の内閣が一貫した政策を実現できるわけがない。回転ドア首相、思い出作り内閣と言われても致し方ないところだ。思い出作りの挙句、松岡利勝農水省の首吊り自殺(2007年5月28日)、中川昭一元財務大臣の不審死(2009年10月3日)という不幸なエピソードまで生んだ。
カレンダーのように内閣が代わっても、曲りなりに国家の体をなしていられるのはどうしてだろう。それは選挙で交代することがない、明治以来脈々と続いてきた組織、官僚機構がこの国の舵取りをしているからだ。政治主導を掲げて政権をとった民主党のカレンダー内閣が、この国が官僚統治によってはじめて成り立つことを明らかにしたのだからなんとも皮肉な話である。

政治屋たちが右へ左へとちょろちょろ動き回っていた間、巷では一人の女が長年にわたってコツコツとライフワークを達成してきた。角田美代子は少なくとも2003年から他人の家に乗りこみ財産を根こそぎ奪って殺し、さらに保険金を奪うという犯罪を繰り返してきた。もしかすると25年以上前から同種の犯罪を繰り返してきた可能性が高い。仕事の内容は唾棄すべき凶悪犯罪であるが、首尾一貫という意味では政治屋よりも評価されるかもしれない。
角田の他にも2007年には歯科医の息子が妹を、セレブ妻が夫を殺して遺体をバラバラに遺棄するという事件が立て続けに起こった。殺人事件は単に殺すだけではとどまらず、遺体をバラバラに損壊したり、コンクリート詰めにして遺棄するといった。遺体をさらに苛む傾向にある。
市川市のマンションでイギリス人女性を殺害した市橋達也の2年半に及ぶ逃走劇も記憶に残る。整形で顔を変えてまで逃走しようとする自己愛、自己中心性が注目を浴びた。逃走劇と言えば、オウム真理教の公証人役場事務長逮捕監禁致死事件などの実行犯とされ全国指名手害されていた平田信が2011年の大晦日に自首。その半年後、同じく「走る爆弾娘」と称されていた菊池直子が逮捕された。なんと17年に及ぶ逃走劇であった。
2008年3月23日に茨城県土浦市で、同年6月8日に東京秋葉原で起きた無差別殺人も私たちを震撼させた。「誰でもいいから殺したかった」という動機で大量の人間を殺戮する者が私たちの身近にいるかもしれないというだけで日々の生活に不安を感じる。また、ネットを通じての新種の殺人も出てきた(2007年名古屋路上拉致殺人事件)(2007年自殺サイト嘱託殺人事件)。縁も所縁もない者による犯罪は動機の点から捜査を困難にする。
こういった事件とは色を異にする事件もあった。2008年11月18日、さいたま市に住む厚生省元事務次官夫妻と東京中野区在住の厚生省元事務次官夫人の同一犯による連続刺殺事件だ。事件は後日警視庁に自首した小泉毅なる男の些細な個人的怨恨事件として片付けられそうであるが、「子供の頃飼っていた犬の仕返し」という荒唐無稽な動機はにわかには信じがたい。私にはいい加減な厚生行政、ひいては霞が関高級官僚に対する見せしめのテロの匂いが感じられて仕方がない。
これほどの大事件について、マスコミ各社がその後殆ど報道しないことが異様であり、そこにこの事件の闇の深さを感じる。現在のような政治状況が続き、不景気が一層深刻化するならば第2、第3の小泉が出現する危険性が増しても不思議ではないと考える。
凶悪な犯罪の増加と捜査の長期化、迷宮入り化の傾向を受けて、2010年4月27日から殺人罪や強盗殺人罪などの最高刑が死刑の、12の罪に対する公訴時効が廃止された。つまり凶悪な犯罪は永久に追及されることになった。また、2009年5月からは裁判員制度が開始され、凶悪犯や性犯罪に対する量刑が重くなったように感じる。
凶悪な犯罪が目立った一方、これまで閉ざされていた再審の門が開かれ、幼女誘拐殺人事件(足利事件)、布川事件、東電OL殺人事件など何が次々と冤罪無罪となった。冤罪の解明にはDNA鑑定を主とした法医学の進歩によるところが大きい。
冤罪事件の再審無罪は検察にとっては極めて不名誉なことだろう。無罪という誤認事実よりも、有罪ありきという前提に立った、密室の中の過酷な取り調べと、恣意的な証拠の扱いの実体が明らかになったことの方が重大だ。
障害者団体向け割引郵便制度悪用事件で障害者団体に対し嘘の証明書を発行したとして虚偽有印公文書作成・行使罪に問われていた元・厚生労働省雇用均等・児童家庭局長、村木厚子さんに対する立件においては、なんと証拠のフロッピィーディスクの改竄をしていたことが発覚。言語道断である。真実の解明が検察の究極の課題のはずだ。決して起訴だけを目的とする組織であってはならない。取り調べの可視化など、検察のあり方が根本的に問われている。

違法薬物の蔓延も由々しき問題だ。2009年の酒井法子、押尾学の覚せい剤所持、使用による逮捕劇で象徴されるように芸能界関係者の違法薬物による逮捕が相次いだ。芸能人に限らず、大学生、主婦と社会の隅々にまで違法薬物が蔓延している。合法ハーブと称して、現行の法律に明記されていない新種の薬物が次々と出回っている。
私が経験した症例からみて、合法ハーブの中には従来の覚せい剤などよりもはるかに有害な物質があるように思う。開発と法のいたちごっこの間に、多くの被害者が出て、社会的混乱を招く。抜本的な解決法が望まれるところだ。
薬物は日本の国技、角界にまで及んだ。相撲界は薬物汚染問題の他に、朝青龍の度重なる乱行、力士暴行事件、八百長問題など多くの問題が露呈して、2011年春場所を65年ぶりに中止という事態に追い込まれた。土俵上では幕内上位の大半が外国人力士に占められている。栃錦・若乃花、大鵬・柏戸、若貴と続いた黄金期からは想像がつかない凋落ぶりだ。

食にまつわる事件も多発した。2007年10月の伊勢の老舗和菓子屋「赤福」製造年月日の偽装表示事件、北海道苫小牧市の食肉加工販売業者「ミートホープ」牛肉ミンチ偽装事件、同年12月の高級料亭吉兆グループの「船場吉兆」の産地偽装、消費期限改竄事件など、食品の偽装改竄事件が相次いで摘発された。
もっと深刻な事件もあった。中国からの輸入食品から相次いで毒性物質が検出された。2008年1月、JTの子会社「ジェイティフーズ」が中国河北省の「天洋食品」から輸入・販売した中国製冷凍ギョーザに農薬メタホスミドが混入されて、食中毒が発生した。
2008年10月には中国産冷凍インゲンから有機リン系殺虫剤ジクロルボスが、中国産の粒あんからトルエンと酢酸エチルが、中国産ピザ生地からメラミンが検出されて、消費者は一気に中国産食品を敬遠するようになった。中国のいびつな経済成長の証であるとともに、我が国の食が大きく中国に依存していることも明らかになった事件である。

5年半の間の最大の出来事といえば、やはり2011年3月11日の東日本大震災に尽きる。1000年に一度の規模のマグニチュード9.0の地震エネルギーが東北、北関東一帯を襲った。地震そのものと地震によって引き起こされた巨大津波によって、2万人以上の死者・行方不明者を出すことになった。
さらに、この巨大エネルギーは東京電力福島第1発電所の原子炉溶融をもたらしている。この原子炉事故による直接的な死者は出ていないが、今になっても広域に深刻な被害をもたらし続けている。原子炉の完全な無害化が実現するのが何十年先なのか未だ先が見えない状態のままである。
実は東日本大震災の前から各地で大地震が起きていた。2007年3月石川県能登半島沖地震(震度6)、2008年7月宮城県牡鹿半島沖地震(マグニチュード6.6)、岩手県沿岸部北部地震(マグニチュード6.8)、2007年7月新潟県中越沖地震(マグニチュード6.8)2009年8月駿河湾地震(マグニチュード6.5)、2010年8月小笠原諸島西方沖地震(マグニチュード7.4)、2010年11月小笠原諸島西方沖地震(マグニチュード7.1)など。今から考えてみれば、来るべき巨大地震を予想される前ぶれが数年前から日本近海で起きていたのではないだろうか。新潟県中越沖地震では柏崎原子力発電所において火災事故が発生し、原子力発電所の地震に対するぜい弱性がすでに指摘されていた。
地震以外では、2008年7月、兵庫県都賀川で局地的な集中豪雨が発生し4名が死亡、石川県金沢市での集中豪雨で浅野川が氾濫し多くの家屋が冠水した。これ以降、日本各地で局地的な激しい雷雨による被害が続出し「ゲリラ豪雨」、「局地豪雨」と呼ばれるようになった。
さらには、鹿児島県の新燃岳、群馬県浅間山、鹿児島県桜島など各地の火山噴火も相次ぎ日本の火山が活性期に入った感がある。今後とも地震と相まって各火山から目が離せない。
ウイルスの世界でも変化があった。2009年4月メキシコ発の豚由来新型インフルエンザがあれよあれよという間に世界中に伝染した。我が国でも同年夏には流行り出し、今や定住性のインフルエンザとなった。当初、致死的なパンデミックが恐れられたが、以前から恐れられている鳥インフルエンザに比べて毒性が低いために、現在は従来からのインフルエンザと一緒にワクチンで対処している。今のところ我が国では、高病原性鳥インフルエンザは養鶏場止まりですんでいるが(2011年宮崎県を始め各地の養鶏場で集団感染した)、近い将来、人―人感染力が一層強力になることがもっとも恐れられている。

こう振り返ってみると嫌な出来事の多い5年半だったように思えるが、実はそうでもない。私たちに希望を持たせてくれる明るいニュースもあった。
2008年には小林誠、益川敏英、南部陽一郎の日本人3名がノーベル物理学賞を受賞。下村修がノーベル化学賞を受賞。同一年に4名の日本人がノーベル賞を受賞したのは史上初めての快挙であった。
快挙はこれで終わりではなかった。今年は京都大学の山中伸弥教授がiPS細胞によってなんと50歳の若さで医学生理学賞を受賞した。これで日本人のノーベル賞受賞者は19名となった。
2003年に打ち上げた小惑星探査機はやぶさが、さまざまな故障を克服して、2010年6月13日に地球に帰還し、小惑星イトカワの微粒子を持ちかえった。地球から1億4000万km~2億5000万kmの距離にある直径わずか330mの小さな目標物に正確に到達し、エンジン故障を乗り越えて7年ぶりに帰還したのだ。地球を直径50mのガスタンクとするとイトカワは1500km離れたとお炉にある直径3mmの粒に当たる。イトカワのサンプルを採取し地球に帰還するというミッションがいかに偉大かが分かるだろう。この快挙によって日本の科学技術水準の高さを改めてアピールすることができた。
2011年7月にドイツで行われたFIFA女子ワールドカップ大会での日本代表なでしこジャパンの初優勝は、震災直後、絶望のどん底にいた日本国民を勇気づけてくれる朗報であった。
今年の夏にロンドンで開催された第30回夏季オリンピックでも日本チームの活躍が目立った。金7、銀14、銅17、計38個と、我が国史上最多のメダルを獲得した。いずれの種目も感激のシーンであったが、中でも吉田沙保里と伊調馨、2名の女性レスラーの3連覇はあっぱれであった。
アメリカでの出来事ではあるが2009年1月15日、ニューヨークで演じられた「ハドソン川の奇跡」も忘れられない。シャーロット空港を離陸直後にバードストライクによって左右両エンジンを破壊されたエアバスA320を無事ハドソン川に着水させ、乗員・乗客全員の命を救った機長、チェズレイ・サレンバーガーの沈着冷静なプロフェッショナル魂に世界中の人が感激した。

さて私はというと、人に言えるほどの業績もなくただ馬齢を重ねてきた。ただ一つ、コラムを書き始めた年の夏に胆石から急性胆嚢炎を起こして緊急入院をするという騒ぎがあった。幸い腹腔鏡下の手術で除石できたが、それでも幼少時以来初めて、数日の入院を余儀なくされた。この間もコラムの執筆を休まなかったことだけが唯一の自慢である。
凡才はただ継続あるのみ。いつまで続けられるか分からないが、思いつくまま書き続けたいと思っている。明るい内容が増えるとよいのだが・・・・

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