投稿日:2012年10月29日|カテゴリ:コラム

308名の死亡者を出した、2009年4月にイタリア中部アブルッツォ州のラクイラ震災で、前兆と見られる微震が続いたにもかかわらず、住民への適切な警告を怠ったとして、イタリア政府の防災諮問機関に属した地震学者と政府担当者の7名が過失致死罪に問われた。この裁判でラクイラ地方裁判所は10月22日、7人全員に禁錮6年の実刑判決を言い渡した。
判決は7人が大地震の危険性を十分に警告しなかった責任を認定したわけだが、学者の予告がはずれたことに対するこのような責任追及は全前代未聞である。学者たちは「科学者の議論は自由であるべきなのに、責任が前面に出ると客観的な意見を述べることができなくなる」と激しく抵抗し直ちに控訴した。
ラクイラ地方では2009年に入ってから微震が続いて一部の学者からは大震災の危険性が指摘されていた。しかし、行政側はパニックを防ごうと考えて「安全宣言」を出したようだ。この政治的な判断に科学者たちが利用されたとの指摘もある。

世界で最も進んでいる日本の地震学者たちをもってしても、東日本大震災を予知することはできなかった。現在の科学水準では地震の正確な予知は不可能と思われる。となると、禁固6年の実刑はあまりに重すぎるように感じるかもしれない。確かに、学者としての高い見識と強い信念に基づいての予測が外れた場合には責を免れるべきだと思う。しかし、お上の政治的判断が先行し、学者たちがその結論に沿うように科学的詭弁を弄したのならば、禁固6年もやむを得ないと考える。政治的な思惑にお墨付きを与える役目の御用学者の言動によって被害が出た際には、厳しく責を問うべきだと考える。御用学者は学者としての誇りを捨て、権力におもねる者であり、もはや学者とは言えない。権力者のパシリでしかない。

東日本大震災級の巨大地震の発生周期は600~1000年とされている。このように地震の寿命と比べて桁が違う周期でしか起きない自然現象の予測は確かに困難だと思う。しかし、福島第1原子力発電所のメルトダウン事故の場合にはどうだろう。
そもそも核分裂反応炉そのものが自然には存在しない。人間たちが自分たちの手によって作りだしたものだ。自分たちが作った物の安全性、危険予測、不具合が生じた時の対策に対しては、全面的に関係者が責任を負うべきではないだろうか。
もし、その予測がはずれて多くの人々を危険にさらし、大きな犠牲を生んだ場合には、金銭的な保証以前に、刑事責任を問われてしかるべきだと思う。
昨年の福島第1原子力発電所の事故の際に、「メルトダウンはあり得ない」と声高らかに安全を強調しておきながら、メルトダウンが現実のものとなったとたんにメディアから姿をくらました御用学者が多数いた。イタリアの地震学者が禁錮6年ならば、彼らは少なくとも10年以上の禁錮刑に処すべきだ。日本の司法制度では刑事告発が無理ならば、せめて民事訴訟だけでも起こしてはいかがだろうか。
さらには、危険性を提示せず、我が国に原子力発電を導入してきた歴代の政治家、行政責任者、そして御用学者たちに対しても責任を問う必要があると考える。今のところ、公務員はその任期中に行った政策が国民を不幸に陥れたとしても、その責を問われない。権力におもねって甘い汁を吸ってきた御用学者も告発されることがなく安穏な人生を享受している。
私たち医師が、良かれと思って行った医療行為によって患者が死んだ場合、時には公衆の面前で手錠をかけられて逮捕される。なぜ、公務員や御用役者は業務上の責任を問われないのだろう。こういった公務員や学者に対する寛容さが、無責任な社会を作り上げてきたように思う。
公務員に対する風当たりは日に日に強くなっているが、研究界のいい加減さも、前回のコラムで書いたように相当なものである。
私は、今回のラクイナ震災判決を、権力者たちから重用され、地位を得、関係企業から金銭を受け取って、わが世の春を楽しんできた御用学者たちへの重大な警鐘として高く評価する。

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