投稿日:2012年8月27日|カテゴリ:コラム

自分が患者としてある病院を受診した時のこと。看護師さんから「西川さま」と呼ばれて何かこそばゆいような違和感を感じた。ところが、違和感を感じているのは私だけなのか、病院内のスピーカーからは「○○さま」がごく普通に流れているし、院内の掲示板には「患者さまへ」という張り紙が貼られている。
「患者さま」という呼称は患者の立場を尊重した医療の実現などを意識して、一部病院で10年以上前から使われ始めた言葉だが、これが一気に広まったのは2001年のことだ。厚生労働省が国立病院に対して「患者の呼称の際、原則として姓(名)に『さま』を付する」という内容のサービスに関する指針を出したことによってあっという間に全国に普及した。
時は小泉内閣誕生に一致する。小泉と竹中平蔵はアメリカ医療関連資本からの要請に応えて、日本の医療に株式会社参入を推し進めた。医療の場に競争原理を持ち込むことによって医療サービスが改善され、国民が低コストでハイレベルの医療を受けることができるようになると喧伝した。「患者さま」推進も小泉、竹中の考える医療への市場原理導入の一環であったと考える。
しかし、本当に医療をレストランなどと同じサービス産業と考えてよいものだろうか。以前のコラムで述べたように医師はプロフェッション(職能)の一つであり、私は本質的に広告宣伝してお客を呼び込むべき営利業ではないと考える。
医療に市場原理を導入することによってなにが起こったか。医療費が抑制され、医療の質が向上し、よりよい医療が実現できたか。そうではない。利益追求を一義とした医療関係者が増えた。その結果、金を落とす客、「患者さま」を揉み手で迎えるような医療機関が増えた。
一方、「お客さまは神さまです」の論理で受診者の意識も変わった。「俺は金を払ったのだから、その対価として十分なことをしてもらう権利があると。その結果、医師や看護師に対して暴言を吐く患者が増え、院内規則を破って飲酒喫煙無断外出する患者が増え、入院費を払わないで退院する患者が増えた。医療現場の荒廃に「患者さま」が一役買っているのは間違いないだろう。
さらに、意外にも「患者さま」導入後のアンケート調査で、「患者さま」は受診者からも必ずしも好感を持ったれていないことが分かった。中には「患者さまはかえってばかにされた気がする」という意見さえ見られる。職員、受診者ともに「『さん』のほうが身近で親しみを感じる」という意見が多く、「患者さま」を「患者さん」に戻した病院も少なくない。
国語学者の金田一晴彦氏は、そもそも「患者さま」という言葉は日本語としておかしいと指摘する。「『患者』という言葉自体がすでに悪い印象を持った言葉であるために、その後にいくら『さま』をつけてもらってもうれしくない。」、「いくら頑張っても敬うことにはならない」と言っている。
患者と医療者が対等な立場となるということは気持ちの問題であり、ただただへりくだった言葉や態度をすればよいというものではない。気持ちのないへりくだりは慇懃無礼といって、より一層相手をばかにすることになる。
私は学生時代、当時の樋口一成学長から、「診察室においては相手が誰であろうと、患者と医師の関係でしかない。相手がやんごとなきお方であろうと、住所不定の人であろうと、また、自分が研修医であろうと、教授であろうと、この関係に変わりはない。」と叩きこまれた。
だから、今でも医師が患者さんよりも偉いとはさらさら思っていない。実際に、患者さんの方が、狭い世界で生きてきた私よりもずっと多くの経験をされ、見識の高い方が多い。一方、どんなに社会的地位が高い方が患者さんであろうと卑屈にもならない。ただ、医療を行う者としての役務を全うするだけだ。
私はこれからも親しみをこめて「患者さん」と呼んでいくつもりである。

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