投稿日:2012年8月20日|カテゴリ:コラム

景気の低迷に伴って、テレビ番組の質ががた落ちになっていることは以前のコラムで述べた。ギャラの安いタレントが集まって、愚にも付かないことをだらだらと笑いながらしゃべっている。ただそれだけ、タレントの井戸端会議を眺めさせられているような番組が後を絶たない。
そういった低予算番組の中ではクイズが唯一観るに耐えるように思う。なぜならば、多少なりとも役に立つからだ。私はもともと歴史や文学には疎い方なので、その分野のクイズは勉強になることばかりだが、日常の生活にはそれほど反映されない。
クイズ番組を観て役立つのがマナー、敬語の使い方、日常的に使う日本語の問題。特に間違って使われやすい日本語は、毎週本稿を書く私にとって必見と言える。恥ずかしいことだが、初めから誤って覚えている言葉や、あやふやなままに使っている言葉は予想以上に多いことを知った。
たとえば、普段なんの気なしに「思いもつかない」と言ってしまうことがあるが、これは間違い。正しくは「思いも寄らない」である。
私自身がこれまでいい加減に覚えていた間違った日本語をあげてみる。
「愛想を振りまく」→「愛嬌をふりまく」、「怒り心頭に達する」→「怒り心頭に発する」、「薄皮を剥ぐように回復する」→「薄紙を剥ぐように回復する」、「押しも押されぬ」→「押しも押されもせぬ」、「汚名を晴らす」→「汚名をすすぐ」、「汚名挽回」→「汚名返上」、「恩を着せる」→「恩に着せる」、「金にまかせて 」→「金にあかせて」、「間髪をいれず(かんぱつをいれず)」→「間髪を入れず(かん、はつをいれず)」、「綺羅星のごとく(きらぼしのごとく)」、「綺羅星のごとく(きら、ほしのごとく)」、「口先三寸」→「舌先三寸」、「寸暇を惜しまず」→「寸暇を惜しんで」、「袖振り合うも多少の縁」→「袖振り合うも多生の縁」、「飛ぶ鳥跡を濁さず」→「立つ鳥跡を濁さず」、「濡れ手に粟」→「濡れ手で粟」、「歯にころもを着せぬ」→「歯にきぬ着せぬ」、「犯罪を犯す」→「罪を犯す」、「暇にまかせて」→「暇に飽かせて」、「深い絆」→「強い絆」、「眉をしかめる」→「眉をひそめる」、「三日に空けず」→「三日に上げず」、「身を削る」→「骨身を削る」、「目にものを言わせてやる」→「目にものを見せてやる」、「求めよさらば開かれん」→「求めよさらば与えられん」、「横車を入れる」→「横車を押す」などなど、ざっと気がついただけでもこれだけある。さらにこれ以外にもきっと気付かぬまま誤った言葉をたくさん使っていることだろう。
日常的な言葉はなんとなく耳から覚えたので、うる覚えであることから誤用している場合が多いのだと思うが、中には、殆どの人が誤って使っているために最初から誤った言葉を覚えてしまうことも少なくない。
専門用語は専門家から直接教授されるのであるから、間違った言葉など使うはずがないと思われるかもしれないが、実はそうではない。代々間違って教えられてしまうことがある。そのよい例が喘息の患者さんのヒューヒューという息遣いを表す症状名「喘鳴」だろう。殆どの医師がこれを「ぜいめい」と呼ぶ。しかし、漢和辞典を見れば分かるが「喘」という文字に「ぜい」という読みはない。したがって「喘鳴」は正しくは「ぜんめい」と言わなければならない。
ところが大学の授業でも「ぜいめい」と教えられるために「ぜんめい」と読むとかえって間違いだと指摘されるありさまだ。
私の専門分野で気になるのが「幻嗅」。ほかの人には感じないのに毒ガスの匂いを感じたりする精神症状である。存在しない声が聞こえるのが幻聴、あるはずのないものが見えるのが幻視であるから、存在しない臭いを感じるのは「幻嗅(げんきゅう)」である。にもかかわらず、この症状を「幻臭(げんしゅう)」という人が少なくない。
臭いは知覚の対象である。具合が悪いのは対象ではなくそれを感じ取る嗅覚なのだから、当然「幻嗅」でなければならないのだが。先日、ある人にその間違いを指摘したところ、相手の人から「えっ、だって臭覚の幻覚だから幻臭じゃないの?」と言われてしまい、それ以上説明する気力を失った。

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