投稿日:2012年7月22日|カテゴリ:コラム

原子力発電の再開に反対するあじさい革命が週を追うごとに大きくなっていることは前回のコラムで述べた。これとは別にノーベル賞作家、大江健三郎や音楽家の坂本龍一らが主催するデモが7月16日代々木公園で開催され、主催者発表で17万人が集まった。「原子両発電ノー!」という国民の声は着実に大きくなっている。
これに対して、電力会社を先頭に産業界からは原子力発電続行を支持する意見が出されている。国の原子力政策に対する国民からの意見聴取会で電力会社の社員が発言。電力会社の組織的な動員であることは間違いないが、経産省の暗黙の了解があったことも容易に想像できる。
こういう場で臆面もなく発言すること自体、言語道断だが、「福島の事故で直接亡くなった方はいない」という発言内容も乱暴すぎる。事故直後から盛んに使われていた「直ちに影響を与えるものではない」という屁理屈を未だに繰り返している。
現時点で明らかな放射能被曝死が出ていたならば、福島原発事故とは呼べない。福島原子力殺人と言わざるを得ない。放射線障害の恐ろしい点は被曝の影響が直後だけにとどまらず、何十年か先に現われることにある。もっと恐ろしいことは、被害が被爆者当人にとどまらず、その子供の遺伝子を障害する可能性があることだ。
原子力に携わっている者が放射性物質の危険性を急性死亡の有無だけで判断しているとしたら、きちがいに刃物と言わざるを得ない。しかし、そんなはずはない。とすれば、子供だましの屁理屈で国民を言い含められると考えていることになる。ばかにするのもたいがいにしてほしい。
産業界からも国民を愚弄する発言が聞かれた。三起商行(ミキハウス)社長の木村皓一が「原発が我が国で稼働して50年の間に、交通事故で100万人以上の人間が死んでいるが、原発ではそんなに死んでいない。」と言って、大飯原発再開を渋る橋下大阪市長に大飯原発再開容認を促した。
身近な交通事故の数字と比較して原発の安全性を強調している。がしかし、交通事故死者数が100万だろうが1000万だろうが原発の安全性を証明することにはならない。交通事故死と原発関連死とは対等に比較対象でき得ない事項だからだ。
物事を比較検討する際には、比較事項はそれぞれが独立し、同じ次元のパラメータでなければならない。たとえば、東京~大阪間を移動する場合に、車を使った場合と鉄道を使った場合とを比較して、「車で移動した場合の方が事故による死者数が多い。だから鉄道は車に比べて安全な交通手段だ。」と論じるのは正しい。
しかし、交通事故と原発とは同じ次元の問題ではない。原発事故があろうが無かろうが交通事故は起こり続けるからだ。木村の比較論で言えば、原発を再開すると、皆が車を運転しなくなるということになる。100万という数字を示せば、国民がびっくりして原発を安全だと信じると考えているとすれば、この男は三流の詐欺師だ。そうではなく、木村自身がこの論理で原発の安全性を信じているのであれば、相当頭が悪い。
ミキハウスは将来の日本を背負い、そして放射線障害をもっとも受けやすい子供を対象に商売をしている会社だ。社長が子供を食い物にする三流詐欺師か低能かのどちらかだ。どちらにしてもミキハウスの製品は買わない方がよさそうだ。

数字は論理を補強する手段の一つである。ところが、数字はとても科学的な匂いがするのでしばしば独り歩きを始める。そして数字が独り歩きすると、とんでもない結論に帰着する。たとえば、「天然痘は過去に1000万人以上を死に追いやった。しかし、鳥インフルエンザはこれまでベトナムとインドネシアで数人の死者を発生したに過ぎない。だから鳥インフルエンザはそれほどの脅威ではない。」本当にそうだろうか。
これは木村のごまかしと同様、比較できない数字をあげて間違った結論を導き出す例である。どういうごまかしかというと、天然痘は今現在地球上に存在しなくなり、今後は自然発生はしないと考えられている*のに対して、鳥インフルエンザは今まで人→人間の感染がなかったからこそ、免疫がないために、今後もし人→人感染が始まると、人類に対して壊滅的な被害を与えることが危惧されている。これからの人類にとって鳥インフルエンザは天然痘に比べてはるかに深刻な脅威である。過去の死者数から今後の脅威を単純に比較すること自体まったく意味がない。
統計のマジックについては以前のコラムで詳細に述べた。数値は純粋に客観的であっても、それを恣意的に用いれば、いくらでも思いのままの結論が導き出せる。さらにコンピュータの普及によって、膨大な資料からさまざまな統計的数値が容易に算出できる。その結果現代は、真実とはかけ離れているにも関わらず、まことしやかに見える数字が溢れている。そして、消費者を、国民を、人類を欺く目的で使われている。
まことしやかな数字をあげて人を説得しようとする輩にはくれぐれも警戒した方がよい。
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*天然痘は1958年にWHOが撲滅計画を開始。幾多の困難を乗り越えて1980年5月8日に撲滅を宣言した。もはや自然界に天然痘ウイルスは存在しないと考えられる。ただし、研究機関には今でもウイルスが保管されている。もしこれが生物兵器として流用されれば、免疫を焼失した人類には以前にました脅威となる。

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