投稿日:2012年7月15日|カテゴリ:コラム

このところ毎週金曜日の夜、総理官邸を群衆が取り巻く。あじさい革命と名付けられた原発再開に反対するデモだ。このデモは、特定の政党、組合主催の組織的なデモではなく、ツイッターでの呼びかけを通じて個々人が集まるという点でこれまでにない形のデモである。
あじさい革命は野田総理が原発再開を決めた直後の4月14日に始まった。初回の参加者は千数百人に過ぎなかったが7月13日の集会では警察庁発表でも2万人に膨れ上がった。60年代、70年代の安保闘争以来の大規模なデモとなり、今後さらにその数を増やすことが予想される。
あじさい革命の命名は、チュニジアのジャスミン革命に倣っている。ツイッターなどで呼びかけて臨機応変の行動をとる新しいタイプのデモは、ジャスミン革命をきっかけに燎原の火のようにアラブ各国に広がった。その結果長期にわたり独裁を誇ってきたエジプトのムバラク政権、リビアのカダフィ政権を打倒するに至った。
あじさい革命がアラブ革命のように内戦に発展するとはとても思えない。なぜならば、特定のイデオロギーに基づく明確な主催団体がない。ましてや暴力に訴えて政権を転覆しようなどという思惑はない。安保体験者である筆者からするとずいぶんぬるま湯のようなデモに見えるが、それこそがこの新しいタイプのデモの魅力と言える。
これまで、デモなどとは無縁の生活をしてきた子供連れの主婦や仕事帰りのサラリーマンが、自分たちの意思で気楽に参加している。主張も、リーダーの音頭に一糸乱れず「原発再開反対!」を叫ぶわけではない。官邸に向けての声の中には「消費税増税撤回!」もあったり、「天下りをゆるすな!」もあったりする。
組織立っていないことから、政府はそう脅威に感じていないかもしれないが、この自由参加の無統制さこそが真の脅威になるかもしれない。組織的なデモであれば、首謀者の身柄を拘束してしまえば、その他大勢はほどなく雲散霧消してしまう。しかし、明確な中枢がないのであるから警察としてはかえって取り締まりにくい。今後、参加者がさらに膨れ上がって霞が関全体を覆い尽くし、地方へと拡大していけば政権の屋台骨を覆すことになるだろう。
従順な羊の群れであった日本国民がここへきて、これほどの市民参加運動に駆り立てられた理由はなんだろう。大飯原発再開問題に憤っただけではないのではないか。原子力村に象徴される政・財・官の癒着体質、政府べったりのマスコミ報道などなど。主権者を無視した社会のあり方にやり場のない怒りを感じ、その不満が臨界点を超えたからだと思う。

他の先進国と同様、我が国は間接民主制である。間接民主制とは主権者が自分の意思を託す代議士を選出して、その代議士によって政治を行うという仕組みだ。すべての物事を主権者自らが決する直接民主制はあまりに効率が悪く、めまぐるしく移り変わる社会状況に対応できないために、この制度を採用している。
この間接民主制は、選出された代議士が確実に民意を代弁することを前提にしている。ところが、この約束が守られなくなった場合、間接民主制は根底から崩壊する。そうなれば主権者は直接自らの意思を表示するしかない。
これまで、お茶の間のテレビの前で不平を言うだけであった平凡な国民が、これだけの数霞が関に集結するということは、我が国の政治システムがすでに崩壊していることの表れではないだろうか。

昨年10月、大津で起きた中学2年生男子の自宅マンションからの飛び降り自殺(最近他殺の可能性も示唆されている)を巡って、日本国中で義憤が高まっている。自殺の背景にいじめの範囲を超えた壮絶な暴行や恐喝があったことが疑われるからである。さらに、この怒りの矛先はいじめ加害者の3生徒と家族に及ばず、何ら適切な対応をしてこなかった学校、教育委員会、また、被害児父親からの再三の被害届を受理しなかった滋賀県警にも向けられている。
2ちゃんねるでは加害者と思われる児童とその父兄の実名、写真、勤め先が掲載されて、激しく非難されている。加害者家族は未だいじめの事実を認めようとせず、裁判で争う姿勢を崩していない。このために2チャンネルの攻撃はさらに激しさを増すものと思われる。
一人の少年を死に追い込んだ卑劣な行為は絶対に許させるものではなく、大いに糾弾されるべきだ。しかし、それは本来、教育関係者や警察が行うことであって、ネット上の匿名不特定多数がなすべきことではない。このままの状態が続けば、加害少年やその家族は社会的に葬り去られる。これでは、3少年のいじめをもっと大掛かりにしたネットを利用したリンチになってしまう。リンチは現代社会においてもっとも忌避すべき行為の一つである。
このような事態を招いた原因は何だろうか。それは学校、教育委員会、警察が本来の機能を果たさなかったことによる。こうした社会システムの崩壊が社会秩序の回復のための直接行動を誘発したのだ。

あじさい革命や大津事件に対する大衆の反応は、戦後、経済一辺倒で突き進んできたことによる、社会システムの破綻の結果だと思う。今の日本は経済発展の前に、日本人の倫理観の立て直しが急務だと私は思う。

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