光速を超えるニュートリノの報はその後の再検証によって否定された。しかし、光より速い素粒子に優るとも劣らない物理学における大発見のニュースが世界を駆け巡った。
欧州合同原子核研究所(CERN、スイス)の世界合同研究チームが7月4日、ヒッグス粒子を発見したと発表した。ヒッグス粒子は宇宙の中で最も基本的な粒子の一つで、物に重さ(質量)を与えると考えられている。このことから「神の粒子」とも呼ばれている。今回の発見によってこの粒子の基盤であるヒッグス場理論を提唱したピーター・ウェア・ヒッグス(Peter Ware Higgs)に対してノーベル賞が授与されるのは確実と思われる。
ヒッグス粒子が「神の粒子」と呼ばれる所以は、もしこの粒子が存在しなければ、その宇宙には質量が存在せず、したがって物質も存在せず銀河、星、そして私たちも存在しなかったからだ。
宇宙誕生のビッグバン直後、さまざまな素粒子が生まれたが、みな質量を持たないために光の速さで飛びまわっていた。しかし、宇宙が急激に膨張して冷えると、まず10-44秒後に第1回目の相転移が起きて混沌としていた一つの力から「重力」が分離した。次いで10-36秒後に2回目の相転移が起きて中性子と陽子を結び付ける「強い力」が分岐した。そして10―11秒後の3回目の相転移によって「電磁気力」と「弱い力」が分かれて、現在我々が知っている4つの力すべてが出揃ったことになる。この時にヒッグス粒子が発生して(=ヒッグス場が生じて)空間を満たし、素粒子は質量を持つようになる。言い換えればそれまで自由に飛びまわっていた素粒子たちが速度を落として渋滞することになる。このためにお互いが集まって、宇宙誕生から約3分後に原子核が、30万年後に原子や分子が形成され、10億年後に星や銀河が作られたと考えられる。
この状態を喩えるのに宇宙を部屋、素粒子を人としたものがあった。それを引用するとこうなる。人がいっぱいいる部屋に有名人が来ると、その周囲に人だかりができて集団になり、移動するのが困難になる。この有名人の周りにまとわりついている群衆がヒッグス粒子である。動きのにくさが質量で、素粒子によって質量が違うのは、ヒッグス粒子がまとわりつきやすいかどうかの差によって決まる。人に喩えるならば知名度の差になる。
ヒッグス粒子の発見は、現代素粒子物理学を支える「標準理論」が実証されたと言える。それではこれで宇宙とは何か、宇宙はどう生まれてどこへ行きつくのかという人類最大の疑問が解明されるかと言えばそう簡単ではない。なぜならば「標準理論」は電磁気力、弱い力、強い力の3つの力がもともとは1つの力であったことを説明することはできるが、重力の分岐について説明することができない。
さらに、重力を含めた4つの力と我々の知りうるすべての物質を合わせても、実は全宇宙に存在するもの(物とエネルギーは等価であるから両者を合わせてものという)のたった4%でしかないことが分かってきた。
ここ半世紀の研究で、全宇宙の構成要素のうち、私たちの技術では見ることも、聴くこともできない物質、暗黒物質が26%。さらには、まったく正体不明の斥力である暗黒エネルギーが70%を占めることが分かってきたのだ。
つまり、ヒッグス粒子の発見は、全宇宙の4%の、そのまた一部分を理解できたというだけに過ぎないのだ。まことに宇宙という時空の奥深さに驚かされる。しかし、同時に私たちもこの想像を絶するスケールの宇宙を構成する重要な要素であるという事実に私は限りないロマンを感じる。
さて、宇宙誕生後10-11秒後の世界については解明されつつあるが、10―44秒以前の始まりの始まりの始まりがどうなっていたのかは全く謎のままである。そもそも始まりがあったのかどうかさえも不確かだ。諸説ある中で、私は宇宙が真空から生まれたという説が有力ではないかと考える。いや、この説が好きといった方が正しいだろう。なぜ、好きなのかと言えば人類史上最高の哲学者、釈迦の哲学に合致するからである。
般若心経に「色即是空、空即是色」とある。この意味は「現世に存在するあらゆる事物や現象はすべて実体ではなく、空無である。いっぽう、実体がなく空であることで、はじめて現象界の万物が成立する。」と言っているのだ。
投稿日:2012年7月9日|カテゴリ:コラム
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