投稿日:2012年6月25日|カテゴリ:コラム

オウム真理教や麻原彰晃のことを知らない人が出てきているのだから、乃木希典(のぎまれすけ)と言われても乃木坂に住んでいた人くらいにしか思われない方もいるかもしれない。
乃木は嘉永2年(1849年)長府藩藩士、乃木希次の3男として長府藩上屋敷(東京都港区六本木6丁目、現在の六本木ヒルズの一角)に生まれた明治を代表する軍人である。武勲としては秋月の乱、西南戦争、日清戦争、奉天会戦での活躍があるが、乃木が軍神として崇め奉られるに至ったのは、なんといっても日露戦争における旅順要塞攻略の功による。
国民は乃木の凱旋を熱狂的に迎えたが、乃木は旅順攻略戦において自分の二人の息子を含む16,000名の若者を死なせ、44,000名に傷を負わせた責任を強く感じ、天皇に自刃を申し出た。これに対して天皇は乃木の心境に理解は示したが、自刃は許さず、「もしどうしても自決するというのであれば朕が世を去った後にせよ」と申された。
その後、明治天皇の強い希望で学習院院長に就任し、後の昭和天皇の教育にあたり、昭和天皇の人格形成に強い影響を与えた。そして、明治天皇との約束通り、天皇崩御から約3カ月後の大正元年(1912年)9月13日、明治天皇陛下の大葬が執り行われた日の晩に自刃した。
乃木の自刃は明治天皇への殉死という江戸時代からの武士の習いという意味合いも考えられる。しかし、生前の彼の言動からして日露戦争で多くの若者を死に追いやったことに対する自責の念に基づくと考えられる。
なぜならば、生前乃木は戦死者の遺族への弔問を繰り返していた。彼はこの弔問の際、遺族に対してこう述べた。「乃木があなた方の子弟を殺したにほかならず、その罪は割腹してでも謝罪すべきですが、今はまだ死すべき時ではないので、他日、私が一命を国に捧げる時もあるでしょうから、その時乃木が謝罪したものと思ってください。」

ここ数年、政治家の口から「不退転」だとか「政治生命」だとか、本来一生に一回口にするかしないかの重たい言葉を日常的に耳にするようになった。そのくせ、数か月後には恥ずかしげもなく前言を撤回する。しかも、自分の転向を正直に謝罪するのではなく、言葉巧みに糊塗する。
行政改革と社会保障改革を錦の御旗に、先の総選挙で大勝した民主党。その民主党がこの3年間でいったい何をしてきただろう。行政改革はいっこうに進まず、年金、後期高齢者医療制度を始め社会保障改革は一切手つかず。違憲状態が続いている選挙制度も放置されたままである。
そして、今、民主党政権が「不退転の決意」、「首相の政治生命かけて」躍起になっているのは、選挙の際のマニフェストで約束のなかった消費税増税である。
マニフェストとは党の公約である。これだけは確約すると言って明文化した国民との契約だ。これさえも、いとも簡単に反故にして憚らない政治家の神経はいったいどうなっているのだろう。重症の記憶障害と作話症を患っているとしか思えない。記憶障害と作話と言えばコルサコフ症候群だ。コルサコフ症候群は主にアルコール依存に由来するビタミンB群の欠乏による乳頭体付近でよって引き起こされる。
政治家はあちこちの会合に出て顔を売るのが商売。アルコールの機会も一般の人よりははるかに多いが、全員が依存症とも思えない。やはり、脳障害よりも確信犯の詐欺集団の可能性の方が高い。げんに、執行部の中には「いつまでもマニフェストにこだわっている奴は馬鹿だ」とまで言って憚らない輩がいる。
それにしても、彼らはどうしてこうも大げさな物言いをするのだろう。できもしない、いや、実行する気もないのに、大時代な表現を繰り返す。まさに大言壮語とは政治家の言葉を言うのであろう。それにしても、あまりにも軽々しく大言を繰り返すと、その言葉の方が堕落してしまう。
軍人の乃木と政治家とを比較することには無理があるかもしれない。また、乃木の自刃に対しては当時から賛否両論があった。私も、今の時代に切腹の復活を望むわけではない。しかし、国政を任される者は、すべからく乃木のような精神でことに臨んでもらいたい。己の舌が吐き出した言葉は、それなりの覚悟を持って成し遂げなければならない。言葉は行為の担保だ。私たちが政治家に望むのは行動であって、バラエティ番組に出演しているタレントのような爽やかな弁舌ではない。

論語に「巧言令色鮮し仁、剛毅木訥仁に近し」とある。言葉を巧みに操り、人から気に入られようと愛想をよくしている者には、誠実な人間は少ない。これとは逆に意志が強くて物事に動ぜず、素朴で無口な人が理想的な人物である、と言っている。
残念なことに、今の政治の世界には仁にかける巧言令色者が後を絶たない。しかし、政治は私たちの合わせ鏡。私を含めて国民がこれほど巧言、令色にたぶらかされてきたのは、己が巧言令色を好むからだろう。もういい加減に仁徳のある人を見る目を養わなければならない。
就任演説に相田みつをの泥鰌を引用した野田総理に、多くの人が剛毅木訥の仁の匂いを感じた。私もそうだった。しかし、その泥鰌さえもまた巧言の作りだす技であったならば、私たちはいったい何を拠り所に為政者を選べばよいだろう。
まず、私たち自身が表面的な知りたがりを止めて、やたらに説明責任とやらを追及することを止めなければならないのではないだろうか。説明さえすればよいという風潮こそが巧言を助長しているからだ。そして、私たち自身が行動によってのみ責任をとる生き方をしなければならないと自戒する。

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