投稿日:2012年6月18日|カテゴリ:コラム

16日に開催された関係閣僚会議において関西電力大飯原子力発電所3、4号機の再稼働が決定された。5月5日から続いていた原発ゼロ状態に終止符がうたれる。
これによって、東日本大震災に伴う福島第1原子力発電所事故以来、混迷を極めていた我が国の原子力行政が再び推進方向に舵を切られた。
早晩、東京電力柏崎発電所も再開されるに違いない。今でも福島の事故処理の目途がたっていないにもかかわらず、まるで何事もなかったかのように我が国の原子力発電所は元通りに運転されることになるだろう。
この大きな政策決定に当たって、野田総理は「私の責任で」と豪語した。しかし、秋を待たずして総理の座を降りるかもしれない男にどんな責任の取り方があるというのだろう。そもそも原子力災害は明日起こるかもしれないし、数100年先の出来事かもしれない。100年後に日本が壊滅する原子力災害が起きたとしても、野田が生きているはずがないから、責任なんて取れない。もし明日起きたとすれば、さすがに責任を取らざるを得ないだろうが、そう言ったってせいぜい総理大臣の辞任か、議員を辞職することくらいでしかない。
生命を失う人、先祖伝来の田畑を失う人、いや何より、日本の国土を荒廃させ、日本人の染色体を障害する責任はそんなものでは償えない。昔ならば、切腹、お家断絶ものだ。野田は本当に腹を搔っ捌くだけの覚悟を持って「責任」という発言をしたのだろうか。そうは思えない。まあ、あのメタボの腹を搔っ捌いてもらったところで我が国の将来を、いや地球の将来を取り戻すことなどできやしない。
ただし、現時点で慌てて原子炉を廃炉にしたとしても燃料棒を冷却して取り出すだけでも3年ほどかかる。また抜き出した燃料棒や廃棄物を処理して設備を解体するためには少なくとも20年を必要とする。したがって、いったん運転してしまった原子炉は動かし続けようが、廃炉にしようが、数10年間危険極まりない存在であり続けることには変わりがない。動かしても危険、停めても危険ならば、動かした方が得だろうという、原発再稼働派の論拠の一つだ。

このように原発とはいったん動かしてしまうと甚だ厄介なものなのだが、実は燃料棒や使用済みの燃料棒、その他核廃棄物を最終的に無毒化して安全な状態にする、本当の意味の後処理方法を人類はまだ手に入れていない。だから、核分裂反応という悪魔の技を使用したつけは何10年という単位ではなく、気の遠くなるほど長い時間付いて回るのだ。
原子炉の燃料棒とはウラン235が3~5%含まれるウラン238を酸化物にして焼き固めた物を金属の鞘に密封したものである。この燃料棒を数100本束ねて核分裂反応を起こさせる。核分裂反応の結果、燃料棒の内容は95%のウラン238に1%のウラン235、1%プルトニウムと3%のその他の核分裂生成物となる。これが使用済み燃料棒の組成である。その他の生成物の中にはストロンチウム、セシウム、ヨウ素、アメリシウム、ネプツニウム、キュリウムなどの放射性物質が含まれる。
つまり、石油などを燃やす炉と違って、核分裂反応によって排出される燃えカスはそれ自体放射性物質の塊なのである。しかも、その半減期はウラン238:45億年、ウラン235:7億年、プルトニウム239:2万4千年などと、たかだか100年未満でしかない私たちの一生の時間尺度と比較して桁違いの長さ。まさに宇宙規模の時間単位である。
この放射能の塊をどう処理するのか。アメリカではそのまま溶かしたガラスに混ぜて固形化して地下深くの施設に保管する。このやり方だとかさばるために膨大な保管スペースが必要となるうえに、ウランなどの長半減期の物質が含まれているために保管期間は天文学的な長さとなる。
保管スペースの確保が難しいうえに、ウラン燃料を殆ど全面的に海外に依存している日本では核燃料の再利用を目指している。つまりウランとプルトニウムを分離し、新たな燃料として再使用する(再処理)。残りはいったん廃液という状態で保管した後、溶かしたガラスに混ぜて金属容器内で固化させる。このガラス個体物質を高レベル放射能廃棄物質と呼ぶ。当然ながら生命体に重篤な障害を引き起こす強力な放射線を長期間出し続ける。半減期が214万年にも及ぶネプツニウムも含まれているために、半永久的に自然災害、テロなど、あらゆる危険性から厳重に保護、保管しなければならない。
現在青森六ヶ所村と東海村に約1000本、貯蔵されている。しかし、この高レベル放射性廃棄物質は原子炉を作動させる限り増え続ける。2020年頃までに4万本に達すると考えられている。六ヶ所村の施設での保管にも限界がある。さてどうするか、結局はアメリカと同様に地下深く埋めてしまうしか方法がない。後は、自然の半減期に任せて放射能の減衰を待つだけ。
安定した地盤の岩盤内の坑道に埋めるとされているが、4つのプレートがせめぎ合い、活断層が縦横無尽に走る我が国土において、数万年もの間放射能の漏出が起こらない方が不思議ではなかろうか。もし漏えいが起こった場合、人が住めない土地がまた拡大するのだ。
理論的には放射性物質を無毒化する方法が無いわけではない。高エネルギーの陽子や中性子を放射性核子に衝突させると、放射能を持たない安定した原子核に変えることができる。核変換という方法である。この方法を用いれば、数万年かかる高レベル放射性廃棄物の放射能減衰を数百年に縮めることができる。ただ、核変換システムの実用化にはまだ越えなければならない技術的、経済的な高いハードルがある。それでもヨーロッパでは2016年に核変換施設の建設を目指している。
我が国も文科省を中心にオメガ計画と名付けて、核変換の実用化を目指していた。福島原発事故を契機にこの計画がいっきに促進するのではないかと期待していたのだが、政府は音無の構え。多くの国民は核変換という技術の存在さえ知らされていない。この背景には技術、経済的理由に加えてダークな政治的思惑が蠢いているのではないかと私は見ている。
結局、現在の原子力発電は燃えカスの安全化技術が確立する前に、そのうちどうにかなるだろうと極めて無責任な態度で稼働させている。その結果、半永久的に害を及ぼす汚物を狭い国土に積み上げていく。この現状を「トイレのないマンション」と喩えると聴いた。実に的を射た表現だと思う。

「国の借金を子供たちに負担させてはいけない」というスローガンで押し切りそうな消費税増税。しかし、同じ人物が多くの反対を押し切って原発再開へと舵を切った。ところが原子炉稼働に伴う放射能汚染の危険性のつけは、子供どころではなく、未来永劫何十代先の子々孫々にまで及ぶ。しかも金では購えない重大なつけだ。
野田総理に限らず、電力会社、経済産業省、御用学者、みんな自分たちが任期中にはなんとか問題が起こらないだろう。その後何か起こったとしても、それについて責任を追及されることはないと考えて行動している。後は野となれ山となれという表現があるが、このまま無責任な原子力行政を続けていくならば、早晩我が国は文字通り無人の野山と化してしまうだろう。

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