投稿日:2012年4月16日|カテゴリ:コラム

4月13日埼玉地裁で、多くの注目を浴びた結婚詐欺・連続不審死事件の裁判員裁判の最終公判が開かれて木嶋佳苗被告人に死刑判決が下った。
今回の裁判の起訴内容は寺田隆夫さん、安藤健三さん、大出嘉之さんに対する殺人に加えて3件の詐欺罪、3件の詐欺未遂、1件の窃盗罪だ。しかし実は2007年8月、千葉県松戸市のリサイクルショップ経営者、福山定男さん(70)が佳苗の口座に7400万円を振り込んだ後に突然死している。
この他にも木嶋の周辺では怪しい事件が数多く生まれている。裁判員、裁判官がこれら一連の事件を木嶋の犯行であると認定すれば、確実に死刑が下されると考えられていた。ところが、肝心の犯行の立証が極めて困難であった。なぜならば、いずれの不審死においても一人の目撃者もなかったからだ。当然、木嶋は殺人に関しては完全否認を通した。したがって、検察は被告人の犯行を間接証拠だけで立証しなければならなかった。
弁護側は、木嶋が結婚願望の男たちを手玉にとって詐欺を働いたことを素直に認める作戦に出た。それと引き換えに、殺人容疑に対する荒唐無稽な嘘を信じ込ませようとしたのだ。頼るは刑事訴訟法第336条の「推定無罪」。詐欺行為に関する陳述で、できる限り木嶋の人格の特異性を際立たせて、非合理的な殺人に関する嘘の陳述をさもありなんと見せかけようとしたとのだ。
嘘と真を織り交ぜた被告人の主張によって、検察が間接証拠を組み立てて作ったストーリーに、たとえ一か所でもほころびが生じさせることができれば、「疑わしきは罰せず」という刑事裁判の大原則によって無罪を勝ち取る可能性が出てくる。
残念ながら、この弁護団の目論見は誤算に終わった。荒唐無稽ないい訳は、むしろ木嶋の非社会的で、人間的な情性が欠如した特異なパーソナリティを浮き立たせるだけに終わった。結果、一片の情状酌量も得ることができず、極刑が下されることになったのだ。

木島佳苗がパーソナリティ障害であろうことはすでに2009年11月のコラム(再び演技性人格障害―婚活詐欺・殺人事件?―)で書いた。その後のさまざまな情報から考えると木嶋は演技性パーソナリティ障害よりは自己愛性パーソナリティ障害の方が適切と考える。いずれにせよ、パーソナリティ障害は国際的に用いられている診断基準にも載っている立派な精神障害である。
精神障害となれば、刑法39条が適用され、犯罪成立の阻却事由あるいは減刑事由となる可能性もある。精神障害によって責任能力が無いと判断されれば無罪。責任能力が著しく損なわれていたとすれば量刑を減ぜられる。
責任能力とは事理弁識能力と行動制御能力の二つからなる。裁判では、物事の良し悪しを判断する能力と、その判断にしたがって自分の行動を制御する能力の程度が問われるのだ。
木嶋佳苗の責任能力はどうであろう。一般論としてのことの善悪の判断がつかないとは言えない。しかし、人間的な共感の欠如から、個別的な事理弁識能力はある程度低下していたと言えるのではないだろうか。
それぞれの事件における木嶋の巧妙な振る舞いを考えると行動制御能力が低下しているとは言い難い。しかし、行動制御能力の程度は事理弁識能力損なわれていないことが前提でしか論ずることができない。弁識能力が損なわれていればいくら行動制御能力が整っていても責任能力があるとは言えない。したがって、木嶋のパーソナリティ障害に焦点を当てて減刑を得る可能性もあったとうに思う。
しかしながら私は、本件が最終的にパーソナリティ障害を理由に減刑されなくてよかったと考える。なぜならば、もしそう前例を作るならば、用意周到に仕組まれた犯罪、反省なしの大嘘つきが得をすることになる。健全な社会を防衛する意味で今回の判決を大いに評価したい。

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