投稿日:2012年3月26日|カテゴリ:コラム

仏教の開祖ガウターマ・シッダールタ(釈迦)は現在のネパール国境付近、カピラヴァストゥーで釈迦族の王子として誕生した。生年は紀元前463年とも前563年とも言われ不詳である。29歳の時に何一つ不自由のない生活を捨てて出家し、35歳で大悟したとされる。
仏教はキリスト教、イスラム教と並んで世界三大宗教と称されるが、他の2教と比べてあまりに異質である。果たして宗教と呼べるのかさえ疑わしい。なぜならば、仏教に神は登場しない。
主人公の釈迦は王子に生まれた生身の人間。それが何をとち狂ったか真理を追い求めて出家し、当時インドで流行していた難行苦行を試みた。しかしその結果、苦役の果てにも享楽の末にも真理を見出すことができなかった。絶望の淵に陥った釈迦を救ったのは美少女スジャータが差し出した一杯の乳糜(にゅうび)であった。
この励ましに気を取り直した釈迦は49日間の瞑想の末に正覚を開いた。この悟りに至るまでの修行の過程を後進に語った言葉を基に、弟子たちが後世纏め上げたのが仏典である。釈迦自身は仏典をもって己の悟りを宗教として流布しようと言う考えはさらさらなかったと思われる。仏典は言うなれば森羅万象の根本原理についての釈迦による哲学講義録と言える。
釈迦が辿り着いた悟りとはいかなる境地なのだろうか。釈迦は森羅万象の成り立ちまで洞察したと思われるから、釈迦の悟りのすべてを私のごとき常鱗凡介が知る由もない。しかし釈迦が辿り着いた境地の一隅を表している言葉は「煩悩即菩提」ではないかと私は考えている。

紀元前のローマの哲学者キケロが「生きるというのは考えるということである。」と言っている。確かに人は四六時中考えているようだ。そのことは脳波、MRI、PET、SPECT、光トポグラフィといった無侵襲の生体検査によって事実であることが確かめられている。
さらに、近年の科学技術の飛躍的な進歩に伴って形態面でも実証された。すなわち、神経細胞上のシナプスは時々刻々と増減していることが分かった。流れの活発な経路ではシナプスが続々と新生され、流れが滞っている経路上のシナプスは消滅していく。脳も睡眠中においても活発に活動し、情報の流れを絶やさないようにするとともにシナプスの調整をしている。すなわち、一秒たりとも何も考えないでいることなどできないのだ。脳が脳であり続けるためには考え続けなければならないからである。その考えは自分に都合が良かろうが悪かろうがお構いなしである。

悩みを抱えて当院を訪れる方の大半はそれまでに周囲の人から様々なアドバイスを受けている。その中で最も多いのが「そんなこと考えてもしょうがないんだから考えないようにしなさい。」というものだ。忠告するほうは親身になって言うのであろうが、この忠告は脳の働きを知らない者の発言である。そう言われて考えを止めることができるのならば最初から悩むことなどしない。考えたくない、考えまいとしても考えてしまうから困っているのだ。
先ほど述べたように、脳に限らず生体は動的平衡によって恒常性を維持している。しかし、一般の人は脳をはじめ生体を、スイッチを入れなくてもそこに存在してスイッチオンで動き出す、無機物の電気製品と同じように捉えているように見受ける。ところがそうではない、私たち生き物は自分自身にとって有用であるか有害であるかはお構いなしに活動を続けなければ存続していけないのだ。脳も例外ではない。
「行く水は帰らずして、流れその姿を留める」。遠くから眺めた川は静かにその姿を保っているが、近づいてよく観察すると水が常に流れては去り、一時として同じ様相ではいない。水の流れが一瞬でも中断すればたちどころに川は川でなくなる。脳の在り様はこの川の流れとよく似ている。川の流れが昼夜兼行であるように、絶えることのない情報の流れによって脳は初めて脳であり続けられる。
そこで脳は常に考え続ける。ところが悲しいことに大多数の凡人の脳の活動は決して即時的に有益とは言えないくだらない考えに費やされる。つまり、私たちの頭は常に煩悩によって占められているのである。
人は煩悩などない方が良い、振り払いたいと考える。しかし、先ほどの脳の科学的知見を踏まえて考えてみれば、煩悩は脳にとってきわめて重要な働きと言えるのではなかろうか。煩悩の存在なしには適切な脳の働きはあり得ないのではないだろうか。換言すれば脳の活動維持にとってくだらない思考などないと言ってもよい。

煩悩即菩提とは煩悩と菩提(=悟り)とは分けることができない一体のものであると言っている。煩悩と悟りが一体となっていることが人間の本性であると言っている。したがっていくら煩悩だけを異物として滅却しようとしてもそれはできない。煩悩の存在をあるがままに受け入れることによってはじめて悟りを得ること、すなわち解脱できると説いているのである。
これは脳神経細胞の活動の実態が分かってくるとより理解しやすい。そしてこの教えは心的葛藤からの解決法を明示している。
釈迦は偉大な脳科学者であり、偉大な精神科医であるのだ。

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