昨年9月に国際研究グループ「OPERA」が発表した「光より速いニュートリノ*1を発見した」という実験結果は世界中に大きな反響を呼んだ。なぜならば、もしこの実験結果が正しければ、現代物理学の根底であるアインシュタインの相対性理論を覆すことになるからだ。
この百年近く、宇宙の真理の一つとされて、アポロ11号月面着陸やハヤブサ帰還を成功へと導いた相対性理論を否定するとなると、森羅万象のありようをもう一度根底から見直さなければならない。それほどの衝撃的ニュースであった。
この実験の概要は次のようなものだ。スイス、ジュネーブ郊外にある欧州合同原子核研究機関(CERN)から約730km離れたイタリア中央部のグランサッソー地下研究所へミュー型ニュートリノを地中を通して飛ばした。光はこの距離を0.0024秒で到達するが、OPERAグループの観察ではニュートリノが光より一億分の6秒はやく到達したという。
もしこの実験結果が正しければ、ニュートリノの速度は、特殊相対性理論の柱の一つである光速不変原理によって、質量をもつ物が絶対に超えられないとする真空中の光速度29万9792.5km/秒を凌ぐ29万9799.9km/秒であることになる。
光速不変原理では質量をもつものはその速度が光速に近付くにつれて時間の進み方が遅くなって、光速度に達すると時間の流れは止まってしまう。さらに光速度を超えた速さで進むということは時間の流れが逆になってしまい、過去に遡ってしまうことになる。
と言うことは、今回の実験がもし正しいとして、この現象をニュートリノの視点で見ると、ジュネーブを出発するより前にイタリアに到着していたことになる。つまりニュートリノは過去への旅をしたことになる。長年SFファンが待ち続けたタイムマシンの実現と言える。
世界中のSFファンが色めき立っているが、多くの物理学者はこの実験結果に対して一斉に疑問の声を発している。ニュートリノの発生方法、地球の自転の影響、距離測定に利用したGPSの時計の正確度などなど、未だ超光速ニュートリノの存在を確定するには問題が多すぎると言うのだ。
物理学者たちがこの結果に懐疑的になるのも無理はない。もし、相対性理論を否定されたならば、自分たちが営々と積み上げてきた既存の物理体系を根底から書き直さなければならないからだ。100年前アインシュタインが相対性理論を発表した時にも既成の物理学者は、時間や空間が縮んだり伸びたりする世界を到底理解できず、一斉に否定したのだ。新しい発見とは容易には受け入れられないのが常である。
かく言う私も今回の報告には懐疑的である。私は物理の専門家ではないので学術的な根拠があって否定するのではない。光の速度との差があまりにも小さいので、直感的に測定誤差なのではないかと考える。もしニュートリノが本当に物理の世界を描き直す幻のタキオン*2であるのならば、もっと大差で光を追い越してほしいと考えるからだ。
厳しい検証に耐えて、今回の測定結果が正しいとしても、直ちに相対性原理を捨て去らなくてもよいと言う学者もいる。その理由は、もし私たちの世界が縦、横、高さ、時間の4次元で構成されているのではなく、5次元以上の次元で構成されているとすれば、余剰次元を近道して見かけ上、光よりも速く到達したにすぎないかもしれないと言うのだ。他の逃げ道もあるそうだ。それは、ニュートリノの質量が虚数であれば今回の測定結果は相対性原理と矛盾しないと言うものだ。しかし、二乗するとマイナスになる数、虚の質量なんてもう、凡人の想像の範囲を超えてしまう。
いずれにせよ、ニュートリノが光速を超えるのか否かについての結論は、今後まだしばらく時間を要すると思われる。
ところで、ニュートリノがいくら光よりも速く飛んだとしても、私たちを乗せて未来と過去を好きなように行き来できるタイムマシンの完成にはほど遠い。なぜならば、私たちの身体はニュートリノよりもずっと大きな質量を持つ素粒子で構成されている。したがって、ニュートリノを推力とするロケットを作っただけでは私たちの身体は光速を超えて飛ぶことができないからだ。
矛盾する話だが、今もしタイムマシンがあったならば今回のニュートリノ騒動について是非ともアインシュタインにコメントしてもらいたいものだ。
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*1:ニュートリノ:物質を構成する最小の粒子である素粒子の一つ。電荷を持たないために殆どの物質をすり抜けてしまうので検出が大変難しい。しかし、実際にはこの宇宙はニュートリノで満たされていると考えられるようになった。従来は質量を持たないと考えられていたが故戸塚洋二東京大学特別栄誉教授らの観測で微小ではあるが質量を持っていることが判明した。電子型、ミュー型、タウ型がある。
*2:ギリシャ語のταχσζ「速い」から名付けられた超光速で動くと仮定された仮想粒子。その存在は物理学では否定的だがSFの世界では良く使われる。
投稿日:2012年1月9日|カテゴリ:コラム
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