投稿日:2011年11月20日|カテゴリ:コラム

家族水入らずで、すき焼きを食べていると町の顔役がやってきて、「その肉はやめてうちの肉を食べろ」と押し売りする。老後のことを考えて貯蓄していると、またもや件の顔役がやってきて、「貯蓄なんかしないで俺に金をよこせばいざという時に面倒見てやる」と脅してくる。親からの言い伝えにそって子供を躾ていると例の顔役がこう言う。「そういう考えは間違っている俺様の言う教育方針で子供を育てろ」。
「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」という諺がある。人はそれぞれ分相応の考え方や行動をし、自分の力量に応じた生活をするのがよいと言っている。
実際に私たちはそれぞれの家族構成、収入、家の立地条件、環境条件、人生観に合わせて自分たちに見合った生活様式を選択している。億万長者と年収300万円の家が同じ生活を強いられたならば、貧しい家庭の生活はあっという間に破綻してしまうに違いない。
しかし、自分にあった生活をすることをよしとせず、どの家庭も同じ行動、同じ生活様式をしろと強要する顔役が幅を利かせる街に住みたいか?私はご免こうむりたい。
TPP推進派の主張のキーワード、グローバリゼーション推進とはまさにこの強要に他ならない。各国それぞれお家事情が違うにもかかわらず、これが世界標準だといって社会、文化、経済活動を単一化することが正しい道なのだろうか。また、その標準とは誰がどうやって決めるのか。

グローバリゼーションは大航海時代に端を発する。そしてヨーロッパ諸国による植民地主義とともに本格化した。第二次世界大戦後はアメリカを中心に多国籍企業が台頭して現代のグローバリゼーションが始まった。この流れが急加速したのは1991年ソビエト連邦崩壊後である。冷戦の終結による自由貿易圏の拡大と運輸、通信自術の飛躍的な発展に伴ってグローバリゼーションが声高に叫ばれるようになった。
グローバリゼーションとは必然的な社会現象である。しかもインターネットの普及によって動かしがたい大きな流れであることは間違いない。そしてグローバリゼーションはさまざまな恩恵を我々にもたらす。情報の共有化によって科学技術や文化の発展を助け、多くの人がそれを享受することができるようになる。各個人が幅広い自由を得る可能性がある。各国がより密接に結びつくことによって戦争を回避できるかもしれない。環境問題など地球規模の課題に地球人として取り組むことが可能になる。などなどである。
しかし何事も功罪併せ持つものである。殊にこの社会現象に乗じて私利増大を図る者によって強引に方向付けされることによって、グローバリゼーションの負の側面が増大し、深刻な状況をもたらしている。投機資金の短期間での移動による株式市場の混乱、国内資産の海外流出、国際競争に勝ち残るための労働基準の環境基準緩和や社会福祉の切り捨て、多国籍企業や大資本家による搾取の強化とそれに伴う国内産業の衰退とプレカリアート(非正規雇用者および失業者)の増大などである。さらには各国の風土の中で醸成されてきたシステムや文化の崩壊を招いている。
世界標準として、本当に地球全体の平均値あるいは中央値を選択するならばこれほど大きな弊害は起こらなかったであろう。しかし、現在グローバリゼーションを推し進めようと躍起なのは、強欲な多国籍企業や資本家、そして彼らを後ろ盾とするマスコミ、御用学者といった連中であり、彼らが示す世界標準とは世界の標準とは程遠いアメリカの社会、経済、文化(成熟した文化があるか甚だ疑問だが)なのだ。今、強引に進められようとしているグローバリゼーションとは実はアメリカナイゼーションに他ならない。つまりグローバリゼーションとは形を変えたアメリカによる植民地拡大と言える。

グローバリゼーションを盲目的によいことと信じ切ってはいけない。いったんグローバリゼーションの呪縛から解き放たれる必要がある。そして、もう一度これからの世界のあり方を考え直す時に来ているように思う。ウオール街デモの拡大はそれを象徴する出来事だろう。私は従来の資本主義経済の終焉が近いのでないかと考える。

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