投稿日:2011年7月25日|カテゴリ:コラム

白居易が楊貴妃の美しさを「太液芙蓉」と記したように、蓮の花は昔から美人を表す言葉として用いられる。また、「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」はあまりにも有名な美人を喩える表現である。「高嶺の花」で言われる花は高山に咲く山百合を指しているように思う。
「いずれ菖蒲か杜若」と言うのだから菖蒲や杜若も美人の代名詞と言える。蘭の花に女盛りの美女を連想するのは私だけではないだろうし、相手を薔薇の花に喩えて口説いた経験をお持ちの男性諸氏も少なくないはずである。
そのほかに、その色香で人を魅了する金木犀、銀木犀も女性の魅力を存分に表わしている。また、花ではないが柳はその細さ、しなやかさから「柳眉」とか「柳腰」と言って、柳も美人の喩えとなる。

こういった表現は分かりやすく、すぐにそれらしき女性を思い浮かべることができる。一方、具体的に何を指しているのか分からない美女像もある。その1つが「水も滴るいい女」だ。水浸しの女のどこがよい女なのだろう。
想像するに、肌がみずみずしく艶やかであると言いたいのではなかろうか。確かに、若者は押せば水が溢れてくるのではないかと思えるほどみずみずしい肌を持っている。一方、加齢とともに肌は乾燥して色気が失われていく。水っぽさは色気の重要な要素と言えよう。
因みにこの表現、最近はこのように女性に対しても用いるようになったが、本来は美男子に対して「水も滴るいい男」として用いる言葉である。

もっと分からない美女に「小股の切れ上がったいい女」がある。幼い頃初めてこの言葉を聞いた時は、股が切れて血が出ている女性を想像してしまった。色気どころか妖怪じみて美女の姿は想像できなかった。今は股間から血を流した女を想像することはないが、未だに小股が何なのだか分からない。
私はその後、落語や時代劇の台詞を通してこの言葉をしばしば耳にする機会があったので、いつの間にかこの言葉を耳にすると自分なりの美女を想像できるようになった。しかし、この年になっても、どこを小股というのかは理解できていない。

広辞苑によると小股とは①歩幅を小さくすること、②股のこと、とある。歩幅を小さくすることはよく分かる。和服を着た場合、大股開きでは歩けない。確かに、可憐な乙女ほどしゃなりしゃなりと小さな歩幅で歩いている。ここまではよい。しかしこの「小さな歩幅」を切るとなると、まったくもって意味不明。一方、②のをとるならば股裂け女の再登場だ。
そこで、改めて「小股」とは何か調べてみたら、まことしやかな説を幾つか散見した。
①脛から膝頭までの部分:ふくらはぎが発達した和服姿の女性と正対すると脚の間に隙間ができて脛から膝にかけて切れ上がったように見える。すなわち筋肉質で太っていない女性を指している。こういう女性がさらにしどけなく着崩すと、裾から脛や膝がはみ出して見えて色っぽい。
②足の親指と人差し指の間:足袋を履いた時、親指と人差し指の間がきりっとしていると美しい。足元のおしゃれにも気を使っている女性ということ。
③足の小指と薬指の付け根の部分:②と同じく足袋姿においてこの部分がきりっとしていると美しく見える。
④小股はまさに股のこと:「小」は単なる修飾語。すなわち股が切れ上がるとは腰の位置が高い、足が長い女性である。
⑤足首のアキレス腱の部分:ここが細い女性を指す。つまり足首がきゅっと締まっていることを切れ上がっていると言う。
⑥耳の後ろのうなじの部分:うなじの部分がすっと上に色っぽく髪が結いあがっている女性を指す。
諸説紛紛であるが、考えてみるに、それぞれ自分の好みのポイントを牽強付会に小股と解釈しているのではないだろうか。

結局のところ正確な答えには至らなかったが、おぼろげな美女像は浮かび上がってきた。まず、肥満体ではなく、すらりとして足が長く、筋肉質で足首がきゅっと締まっている。手足の指も長めで頸筋も長く襟足がきれい。性格的には「切れ上がる」という語感からして、内気な女というよりは、きっぷのよい女。あの筋の姉さんなどに多そうな女性ではないだろうか。

かなり具体的に「小股の切れ上がったいい女」のイメージが固まってきたので、今晩の夢で会えるように急いで眠ることにしよう。

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