リーダーには先見性、思慮深さ、決断力など幾つもの資質が求められます。中でも、欠かすことのできない資質は人々を鼓舞し統率する力ではないでしょうか。リーダーとはその人の姿を見て、その声を聞くことによって、将来への希望を感じ、やる気を出させる人であってほしいものです。特に、その集団が危機に直面して混乱の時には強力なリーダーシップを求められます。
この点から見ると、導いた方向性の是非を抜きにすれば、アドルフ・ヒットラーは稀有なリーダーであったと思います。第1次世界大戦に敗戦したドイツはヴェルサイユ条約によって巨額な賠償金と領土の割譲を強いられました。ドイツ経済は壊滅状態となり、国民は今日の糧にも困窮し、将来の展望が全く見えない閉塞状態でした。ヒットラーはこの混乱なかで全ドイツ国民を熱狂させて一つ心にまとめ上げたのです。
現在我が国は、1000年に一度の規模の大震災とそれに伴う大津波、さらにこの天災に起因する原子力発電所破壊という三重の災害に見舞われて、復興はおろか復旧のめども立たない状態です。太平洋戦争以来の国難と言ってよいでしょう。この未曾有の混乱状況下で私たちを率いるリーダーは誰かと言えば菅直人です。
彼が被災民、被災地の救済に全力を上げているとはとても思えません。命令系統を一本化して迅速果断に行動しなければいけないはずなのに、やたらと必要もない委員会を創設して、向こう見えの良い言葉と自己弁護の言葉をしゃべるばかりです。海水注入を中断した、しない、またその責任は俺じゃないなどとの不毛の論議は呆れるを通し越して怒りさえ感じます。
よいとこどりをして責任は逃れようという総理大臣のおかげで、内閣はバラバラで朝令暮改どころか一日のうちに命令が3回も4回も変わってしまい、何一つことが進まないそうです。無能ならば無能で国民を励ます役を演じるだけでもよいのですが、被災地への訪問も遅きに失しました。それにカリスマ性ゼロ。あの顔を見ても国民は鼓舞されるどころか、余計先行き不安になってしまいます。
怒りっぽいことで「イラ菅」と付いていた彼の渾名も、最近では「アキ菅(空き缶)」や「カン・ラディン(ビン・ラディン)」「ワンナウト(one out)」などに変わったようです。
それでは菅直人が本当に馬鹿かというとそうではありません。学生運動家から上り詰めた男ですから、野党時代や薬害エイズ問題で見られたように、相手の失敗を見つけて糾弾する能力には長けています。また、できるだけ総理大臣を長く続けるということが至上目的のようですから、大きな災難がない平時ならばそれなりの能力を発揮したかもしれません。しかし、今回のような非常時においては役たたずであることがはっきりしました。国難にあたって、最もふさわしくない人を首相に頂いてしまったことが日本国民の悲劇と言えます。
それでは菅にかわって誰ならばこの状況下で陣頭指揮をとり、国民を勇気づけることが出来るかと言われても、すぐに答えることができません。民主党はもちろんのこと、自民党の顔ぶれを思い浮かべても信頼してついて行けそうな人物が居ないのです。いつから日本の政治家はこんな体たらくになってしまったのでしょう。
友人たちに「今、リーダーになって欲しい政治家は誰」と聞いてみました。最も多かった答えは「もし時代を超えることが出来るならば田中角栄、現役に限定したならば石原慎太郎」という答えでした。たしかに、コンピュータ付きブルドーザーと呼ばれた田中の決断力、行動力は苦難の状況で頼もしいリーダーと思えます。それにあのちょび髭、ダミ声を聞くだけで少しは元気になれそうです。
石原もあくの強い物言いに抵抗感が覚える人が多いものの、とにかく右か左かを決定する能力は高いように思います。復興の目処がつくまで石原慎太郎にこの国を任せてみるのも良いのではないでしょうか。ただし、平時になったならばお引き取り願う必要があろうかと思います。なぜならば強烈なカリスマ性はヒットラーにつながる危険性があるので長期政権は危険です。
その状況にふさわしいリーダーを選ぶことがその集団が生き延びる必要条件なのではないでしょうか。