投稿日:2011年5月23日|カテゴリ:コラム

私たち精神科医にとって患者さんの会話がもっとも重要な診断材料であることはよく知られていると思います。ですから、一般の方が精神科医の診察に「あの先生は十分に話を聞いてくれなかった」とか「まだ全部話を終えなかったのに診断がつくのだろうか?」という不満や疑問を抱くことが少なくありません。 こういった不満や疑問は、会話というと、その内容だけを重視するから生じるのです。
ところが精神医療において会話の内容は情報の一部に過ぎません。実際には、会話の形式、会話の組み立て方、しゃべり方(テンポ、アクセント、声高)、しゃべっている時の表情などが、内容に優るとも劣らず重要なのです。
こういった内容以外のパラメータから、意識状態、感情の状態、内容に妄想が含まれているか否か、思考過程の状態、知的機能のレベル等々を読み取ることができます。ですから、「気分が塞ぎますか?」といった質問票をチェックするだけでは診断がつくはずがないのです。
しゃべり方の障害としては、幾つかの特徴的な症状が知られています。反響言語(echolalia)はいわゆる「オウム返し」です。反響症の患者さんに「おはようございます」と声をかけると「おはようございます」と返ってきます。ここまでは普通でしょう。ところが次に「ぐっすり眠れましたか?」と尋ねた際に返ってくる言葉が「ぐっすり眠れましたか?」なのです。「お名前は?」、「お名前は?」。「どうされたのですか?」、「どうされたのですか?」。この症状は早期幼児自閉症など広汎性発達障害児童によく見られます。
吃音(どもり)は話し始めを繰り返すのが特徴です。「ぼ、ぼ、ぼ、ぼくはこれが好きだ」、「ど、ど、ど、どうして く、く、く、くす、くす、くすりを のま、のま、のまなければ  い、い、いけ、いけないんですか?」。吃音症は過度に緊張すると誰でも起き得ますが、重症の場合には軽度の脳障害が基礎にあることが多いようです。
吃音と似ていますが会話の最後がリズミカルに繰り返される症状を言語間代(logoclonia)と言います。「私は西川です、です、です」、「夕食は6時にしてください、さい、さい、さい」といった会話になってしまいます。アルツハイマー病のような、脳の広範囲な器質性の障害時に見られます。
本当は思考過程の障害なのですが、現実的には会話の形式の異常として現われる症状に保続症(perseveration)、冗長症(verbosity)、迂遠症(circumstantiality)などがあります。
保続症は同じ観念がくり返して現れて思考が先に進まない状態なので、一つのことを言いだすと、話題が他に移っても、いつまでも同じことばかりを言い続けます。たとえば最初に「よく眠れますか?」と問いかけて、「大丈夫 よく寝ています」と答えると、次に「ところで食欲はありますか?」と聞いても、「大丈夫 よく寝ています」と、睡眠障害に関することばかりを繰り返して言い続けます。認知症などの脳の器質的な病気の際に見られます。
冗長症(verbosity)は目的の観念とあまり関係のない観念を捨てることができないために、余計な回り道をしてなかなか結論に達しない状態です。てんかんの人や精神発達遅滞の人にみられます。「奥さんは最近お元気ですか?」と尋ねても、「奥さん」という観念に固着してしまって、「私の妻は高知の生まれでして、そもそもあいつが東京に出てきてOLをやっている時に知り合いましてね」、「その時私は横浜だったんですけど、仕事の都合でよく東京に来ていたんですよ」、「・・・・・」、「・・・・・・」。延々と妻との出会いのことをしゃべりだして肝心の奥さんの現況については答えずじまいで終わってしまうのです。
迂遠症(circumstantiality)は冗長症と似ていますが目的観念は失われることはありません。話の順序も整っています。しかし、一つ一つの観念にとらわれてしまうために、その都度その観念に対する注釈を付け加えたり、言葉を変えたりして反復して話をするために思考が円滑に進まない状態です。さっさと結論を言えば良いのに、なかなか肝心の答えに辿りつきません。たとえば、「お生まれはどこですか?」との問いに対して、「本当は東京で生まれる予定だったんですよ」、「なにせ父の家は代々世田谷でして、3代前までは庄屋だったんですよ」「世が世なら私だってこんな苦労はしていませんでしたよ」、「ところが祖父が大の遊び好きでね、それで身上潰してしまったんですよ」、「まあその後、父は苦労して警官になったんです」、「そりゃ茶苦労したようですよ」、「てな訳で警視庁務めだったから東京を動かないはずだったんですよ」、「母の実家は静岡の茶農家で、兄が後をとるはずだったから東京に出てきて警察官の父と一緒になったんですよ」、「ところが、ところがですよ、母が私をお腹に宿している時に父と兄が交通事故で急死してしまったんですよ」、「それで急きょ父が母の実家の後を継ぐことになって警官を辞めて静岡に移ったというわけです、「だから私は静岡で生まれました」。
出生地一つ聞くのにこの騒ぎ。途中で話を遮っても、またどこかで枝葉へずれてしまいますから、こういう方の診察は苦労します。

私は、これまで述べた症状とは別の特徴的な会話をする数人の患者さんと出会いました。
この方たちは、こちらがしゃべりだした瞬間に私の言葉を遮るようにしゃべりだすのです。「ところで・・・」としゃべろうとして「と」といったとたんに、私の言葉に覆いかぶせるように「昨日夜身体が火照ったんです」。突然、しゃべりだします。ところが、私が聞く体制に入ると黙ってしまいます。それでは、その先を聞いてみましょうと、「その火照りは何時頃からですか?」と言おうとして「そ」といったとたんに、「火照りだけじゃなく吐き気もしたんです」ときます。
最初のうちはたまたましゃべりだしのタイミングがぶつかってしまったのだろうと思いましたが、そうでないことが分かりました。こちらが黙っていれば、相手もいつまでも沈黙しているのです。十秒近い沈黙に耐えきれなくなった私が口を開けかけると、また瞬時にしゃべり始めるのです。内容はそれほど場違いではありませんが、こちらの言葉を遮って急いでしゃべらなければならないほどのことでもありません。むしろ、先ほどの会話に引き続いてしゃべった方が自然な流れです。
話しかけることがとても難しい人です。強迫的な行動の一環と考えられますが、脳のどのような状態を反映した症状であるかは分かりません。ただ私は、これも一つの会話の形式障害ではないかと考え、「反射性会話」とでも名付けようかと思っています。

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