投稿日:2011年2月28日|カテゴリ:コラム

認知症の古典的な定義には「非可逆的な病態」とあります。つまり、認知症は治らないと言っているのです。確かに認知症の中核であるアルツハイマー型認知症、脳血管型認知症、レビー小体型認知症、前頭側頭型認知症などは未だに元通りに直してしまう治療法が見つかっていません。
実際にこれまで唯一の認知症治療薬であったドネペジル(商品名:アリセプト)はあくまでも進行を遅らせる効果しかありませんでした。もうすぐ3つの新しい治療薬が発売されますが、いずれも根本治療を期待することはできません。依然として進行を遅らせることと随伴症状の改善が期待できるに止まります。
ですから、お年寄りにもの忘れが多くなり、失くし物、探し物が多くなり、とんちんかんな発言が目立ってくると、認知症だからもうどうしようもないと思われてしまいがちです。
このように、中核的な認知症治療の現状は未だ明るいとは言えませんが、治る認知症もあるのです。甲状腺機能低下症、正常圧水等症、慢性硬膜下血腫、ある種の脳腫瘍等々です。こういった疾患を認知症と呼ぶか、認知症と鑑別して除外すべき疾患と呼ぶかは議論のあるところでしょう。
いずれにせよ、一見すると認知症として諦められてしまうような病態の中に適切な治療をすれば、元気な状態に戻ることができる病気が隠されているということはもっと啓蒙されなければなりません。
こういう認知症もどきの中に「ウェルニッケ脳症」があります。この病気はドイツの精神神経科医、カール・ウェルニッケ(Carl Wernicke《1848~1905》)によって1881年に記載されて、ウェルニッケ脳炎とか急性上部出血性灰白質炎と呼ばれていた病気です。
ウェルニッケは言葉の意味を理解することができない失語症の研究から、感覚性言語中枢を発見して、言語機能ひいては脳神経科学の発展に大いなる業績を残した人物でもあります。
当初は脳炎として捉えられていましたが、実際には感染性の炎症ではありませんでした。病理学的には中脳および間脳に壊死巣、小出血巣、血管増生、グリア細胞の増生が見られます。特に、乳頭体、第3脳室、第4脳室、中脳水道、四丘体、動眼神経核が高度におかされます。
このために眼球を外側に動かすことができなくなって寄り目になる眼球運動障害や、歩行が不安定になって千鳥足で何かにつかまらないと歩けない運動失調などが認められます。このような身体症状の他に、ものを覚えられなくなると同時に一度覚えた記憶を忘れてしまう。場所や時間が分からなくなる。実際になかったことをあたかも現実の出来事のように思いこんで話をする作話などの精神症状が見られます。
よく観察すると意識障害が存在することが多いのですが、誰でも分かる昏睡ほど重度の意識障害でなく、もうろう状態にとどまることが少なくありません。なんとなくボーっとして、呼びかけには答えるけれど、すぐにとんちんかんな言動になるといったごく軽度の意識障害はよほど訓練された医師でないと見逃してしまいます。
その結果、身体症状が目立たないウェルニッケ脳症はしばしばうつ状態や認知症と間違われます。しかし、この病気の原因はビタミンB1の欠乏なので、ビタミンB1を補給してあげれば治ります。
ビタミンB1が欠乏する原因には慢性胃炎や胃切除によって吸収できない場合、つわりがひどくて食事が取れない時、貧血などがありますが、もっとも多いのはアルコール依存症です。
アルコールが分解してエネルギーに変わる際にビタミンB1を大量に消費します。一方、アルコールはビタミンB1の吸収を抑制しますから、年がら年中アルコール浸りの依存症患者はビタミンB1欠乏に陥らざるを得ないのです。ウェルニッケ脳症と言えばまずはアルコールの乱用を疑った方がよいでしょう。
私はアルコール依存症以外に高齢者、特に一人暮らしの高齢者にはウェルニッケ脳症になる危険性が大だと考えます。なぜならばビタミンB1は牛肉、豚肉、ハム、豆類、木の実などに多く含まれています。こういった食べ物を十分に食べていればビタミンB1が不足することはありません。ところが、高齢者はこってりした肉食を好まない方が少なくありません。それでも若い世帯と同居していれば、否応なしにこういった食品を食べますが、一人暮らしだと面倒くさくて炊事をしなくなり、手持ちの物を食べて済ませてしまいがちです。中にはインスタントラーメンばかり食べている老人もいます。配食サービスの利用を勧めてバランスの良い食生活を保てるように指導してあげてください。
また、私はウェルニッケ脳症までには至っていなくても、ビタミンB1の不足が既存の認知症の症状を増悪している例が予想以上にあるのではないかと考えています。アルツハイマー型認知症に加えてビタミンB1不足が加わって、本来の認知症以上に認知機能が低下している可能性があると思うのです。
こういう症例では、ビタミン不足の方はそのビタミンの補給で改善する可能性がありますから、認知症という診断を受けている方も、一度食生活をチェックして、その可能性がある場合にはビタミンB1を補充してみてはいかがでしょうか。
ビタミンB1は水溶性のビタミンですから、万が一過剰に摂取したとしてもこれといった弊害はありません。

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