投稿日:2011年2月14日|カテゴリ:コラム

人間が経済という営みを行うようになったのはいつの時代からなのでしょうか。原始時代、人間が家族単位で生活していた頃には、衣食住すべてを自分たちで賄っていたと考えられます。ですから、少なくともその頃には経済という概念はなかったはずです。
血縁部族単位での集団生活になると、餅は餅屋、各人の特技や能力に応じて役割分担が生まれたと考えます。しかし、そこでもまだ猪一頭が腰蓑何着になるかといった対価比較はなされなかったのではないでしょうか。
部族の生活空間が拡大して他部族と接触することを契機に、何らかの基準で物の評価をして交換し合う行為、つまり経済が始まったのだと考えられます。
その後、一人の人間が関わりを持てる空間が徐々に広がって、この空間の拡大とともに経済活動が活発化、複雑化していきました。つまり、経済の発展は人の関われる空間の拡大に裏打ちされているのです。
やがて、自らは何も生産しないで遠距離間の交易を専らにして上前をはねる、流通という業種と、利益と言う概念が生まれ、やがて交換する品揃えを豊富にすることで商業が確立したのだと思います。
この過程で貨幣が誕生して、物の価値は実態から離れて情報化されました。貨幣の誕生によって利益は労働そのものから離れたといってもよいでしょう。一個人の関われる空間が地球規模になった今、情報操作の方が本当の労働よりも濡れ手で粟で、巨万の利益を得ることができるようになってしまいました。私は何か釈然としません。
人が関わる空間の拡大と経済の発展が表裏一体だと言いましたが、いくら科学技術や経済工学を駆使して空間を広げても実はこの空間は仮想空間であります。どんなに科学や経済が発展しても、一人の人間の実際の営みは所詮「起きて半畳寝て一畳」でしかないのです。この広さは天地開闢以来変わりませんし、未来永劫不変です。つまり、己の実体と遊離した自我空間のみが肥大し続けるだけなのです。

英国の人類学者R・ダンバーは様々な共同体や軍隊、企業、宗教組織などの集団を調べて、目的を共有し、一心同体となって活動するユニットの規模は殆ど100人から200人の間で、平均が150人であることを突き止めました。そこで、彼は人間が直接的、個人的な繋がりを持って集団が機能するための最適規模が150人ではないかと結論しました。
一方、霊長類の群れの大きさと大脳皮質の大きさとには相関が認められます。脳の大きさから推定しても人間の最適社会集団規模は150人となります。150人の相互関係の組み合わせは11、175通りで、それ以上の集団ではその関係維持に脳が対応しきれないようです。
さらに、人類の祖先となった集団は約150人だったことが遺伝子研究から分かっていいます。
科学の発展は一見脳の限界を超えた空間と人間関係を可能にしたかのように見えますが、その結果、個々の関係が希薄となって多くの問題を引き起こしているのではないでしょうか。
皆、拡大、発展こそが良いこと信じ込んでいますが、「発展」を「無理」に、「拡大」を「自滅」に置き換えてみると、また異なった景色が見えてきます。 宇宙から有限の地球という小さな惑星を見ることができるようになった今こそ、私たちは、すべての活動は生きるための営みであるという原点に立ち戻って考えてみる必要があるのだと思います。

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