投稿日:2011年2月7日|カテゴリ:コラム

日本で一番愛された野球選手と言えば長嶋茂雄をおいてほかにはないでしょう。通産2471安打、通算打率3割5厘、444ホームランを始め数々の記録を持っています。しかし、単に記録だけからいえば、通算868本のホームランを打った王貞治、3回も3冠王を獲得した落合博満には及びません。
それにも拘わらずヒーロー度においては王も落合も長嶋には及びません。それは長嶋の派手なプレイスタイルもさることながら、ここぞという好機にめっぽう強く、人々の記憶に名場面を幾つも深く刻み込んだからです。
昭和34年6月25日、後楽園球場で行われた巨人対阪神戦は日本プロ野球史上初の天覧試合でした。この試合は9回裏まで4対4の同点という、天覧試合にふさわしい好試合で。このまま、延長戦になった場合、天皇、皇后、両殿下には途中退席してお帰りになっていただくかどうか関係者がやきもきしていました。そんな周囲の心配を吹き飛ばしたのが長嶋選手の一撃でした。
2―2からの5球目を叩いた長嶋の打球はライナーで左翼ポール際の上段に突き刺さりました。あまりにも劇的なサヨナラホームランでした。この時の映像はこれまで何百回も映し出されましたが、これからもプロ野球が続く限り繰り返し放映されるものと思います。
この天覧試合サヨナラホームランに象徴されるように、長嶋はさほど調子のよくないスランプの時にも、大きな見せ場に登場すると何かが乗り移ったかのような活躍を見せました。勝負強さと同時に野球の神様から愛された男だったのでしょう。
長嶋が皆から愛される理由はこれだけではありません。野球場の内外で、皆が笑い転げるような数々の都市伝説を残していることもあるのです。

ホームランを打ったのに一塁ベースを踏み忘れて、ダイアモンドを一周してベンチに戻ったところでアウトになった。
一塁に出塁している時に時打者がヒットを打ったので無我夢中で走った長嶋は、思わず前の2塁走者を追い抜いてしまってアウト。
試合前に「靴下が片方ない」と大騒ぎ、周りの選手も一生懸命探すが、しばらくして「ごめんごめんあった」。なんと片方の足に2枚履いていた。
試合後「車がなくなったと大騒ぎ」、みんなで駐車場を一生懸命探していると長嶋が「あっ、そうだ、今日はタクシーで来たんだ」。
これでも相当うっかり者ですが、長嶋伝説はこれでは終わりません。
後楽園での試合に息子、一茂連れて行ったが、スランプで打てずにそのことばかり考えて、息子を球場に忘れて帰ってきてしまう。
田園調布に家を新築して直後、自宅の場所を覚えていなかったので、試合後に家に電話してお手伝いさんに「すみません。長嶋です。僕の家どこですか?」と尋ねた。
「ゴルフ場はこの道の右側にある」と右側を注意しながら行くが見つからない。途中で「あっ、左側だった」と思いだして道をUターン。しかしUターンしたにもかかわらず今度は左側を探したためについにゴルフ場に辿り着けなかった。

こういったおかしな行動以上に迷言はもっと沢山あります。長嶋茂雄の逸話を書きだしたら、それだけでコラム2,3編になってしまうでしょう。王選手をして「長嶋さんは宇宙人です」」と言わしめたほど偉大な天然ボケの代表選手です。
このボケのために周囲の人は甚大な迷惑を被ってきました。しかし、彼の明るい人柄とそのとぼけた言動に裏がないことが分かるので、皆彼のことを非難したりはしません。むしろこのボケによって親しみを感じるのです。この天然ボケこそが長嶋が皆から圧倒的に愛される理由の一つになっているのです。
人は完璧な人間を尊敬はしますが、あまりにも完璧すぎると近寄りがたくて愛情の対象になりにくいのです。王選手は野球の技術だけでなく、温厚篤実な人柄、慎重な言動で身近な人気者というよりは修行僧のような雰囲気を醸し出していました。このために、王がどんなにすごい数字を残しても、人々から愛されるという点では長嶋に勝てなかったのです。

長嶋茂雄のことを天然ボケと言ってきましたが、彼の迷言動を精神科医の目で見ると注意欠陥障害という診断名になります。注意欠陥障害(Attension-Deficit Disorder《ADD》)とは不注意、集中困難を週症状とする発達障害の一つとされています。この障害は、知能は正常またはそれ以上であるのに、①学業、仕事などの活動においてしばしば綿密に注意することができない、または不注意な間違いをする。②課題または遊びの活動で注意を集中し続けることが困難である。➂話しかけられた時にしばしば聞いていないように見える。④しばしば指示に従えず、学業、用事または職場での義務をやり遂げることができない。⑤課題や活動を順序立てることが困難(段取りが下手)。⑥精神を集中し続けることが苦手。⑦置き忘れやなくし物が多い。⑧何かの刺激ですぐに気が散ってしまう。⑨忘れっぽい。などです。
以上の症状に、じっとしていられない、落ち着きがない、無駄な動きが多い、おしゃべりなどといった多動傾向が加わった場合には意欠陥多動性障害(Attension-Deficit/Hyperactivity Disorder《ADHD》)と診断されます。
以前は、この注意機能の障害は子供の時期だけで、成人に達すると自然に治ると考えられていました。しかし、その後の研究で大人になっても症状を残す人が少なくないことが分かってきました。
この障害であった有名人は長嶋茂雄だけではありません。ジョン・F・ケネディ元米大統領、ビル・クリントン元米大統領、ヘンリーフォード(フォードモーター創始者)、スティーブ・ジョブズ(アップル創設者)、マイケル・フェルプス(水泳選手)、マイケル・ジョーダン(プロバスケット選手)、などなど枚挙にいとまがありません。
ADDの人は一つの対象に長時間注意を固着することは苦手ですが、瞬間的な集中力は桁はずれです。人と話していてもふっと何かに夢中になるために人の話を聞いていなかったり、忘れ物をしてしまいます。だから、自分が集中した物事に対しては普通の人が及びもつかないエネルギーを発揮するのです。

この障害を持っている人はどれくらいいるのでしょうか。残念ながら、この障害の概念自体が新しいものであるために、未だこの障害を正しく診断できる医師が多くありません。このために患者さんの総数は明らかになっていません。アメリカの研究ではハイスクールまでの子供の4~16%に達すると言われています。大人になっても症状を残している人がどれだけいるかとなるかについては全く分かっていないのが現状です。
長嶋のような有名人は目立ちますが、多くのADDの方は周囲から障害と認識されておらず、そそっかしい人、不注意な人、人の話を聞こうとしない人、不真面目なひと、反抗的な人、忘れ物の多い人、いい加減な人、規則違反を繰り返す人といった捉え方をされて、不遇をかこっているのではないでしょうか。
ですから、この障害は診療場面から得られる数字よりも相当多い想像します。というのも、何を隠そう私自身がどうやらADDであると思われるからです。私の周りにいる人たちは私が超うっかり者であることをよく知っています。無くし物が多く、人の話をよく聞いていないように見られます。さらに私はそわそわ落ち着きに欠けるのでADHDだと思いす。
実際に、しばしばエンジンをかけたまま車のドアをロックして何度もJAFのお世話になりました。買い物をした際、代金を支払ってお釣りをしっかり財布にしまったのに、肝心の商品を持ち忘れてくることも頻繁です。電話をかけている最中にふっと他のことを考え、相手が出た瞬間、どこに電話していたのか忘れてしまい「もしもし、どちら様ですか」と言って相手に呆れられたこともあります。
私は長嶋のような才能を持っていませんが、それでも医師としてなんとか生きてきました。これを読んだADDの皆さんも自分の得意分野に打ち込めば、欠点を補えるだけの仕事をすることができます。ミスを恐れずに頑張りましょう。

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