投稿日:2011年1月31日|カテゴリ:コラム

年頭を飾る初場所で第69代横綱、白鵬が6場所連続優勝を果たしました。これは朝青龍の7回に次いで昭和の大横綱、大鵬(2回達成)に並ぶ第2位の記録です。白鵬が故障しないで今のままの相撲を取るならば、来場所に朝青龍の記録に並ぶことは間違いないでしょう。
連続優勝もさることながら、白鵬は昨年、すでに63連勝という偉業を達成しています。この記録は不世出の大横綱、双葉山の不滅の記録69連勝に肉薄する快挙でした。近代相撲においてそれまで2位であった千代の富士の53連勝を大きく凌駕し、不確かな記録ではありますが江戸時代の名横綱谷風梶之助に並ぶ歴史的な記録です。
双葉山の時代には1場所11~13戦、年2場所であり、現在の1場所15戦、6場所と比べると、圧倒的に取り組みが少なかったのです。ですから、双葉山の69連勝は3年間という実に長い期間をかけて達成した記録でした。3年にも及ぶ期間、他を寄せ付けない強さを誇っていたわけで、並はずれた強靭な心と体が要求されたものと考えられます。したがって、今後69連勝の記録が破られたとしても双葉山の記録の偉大さが失われるものではないとされています。
しかし考え方を変えてみれば、現在の横綱は6回の本場所の合間にも地方巡業場所があります。さらにテレビなどへの出演もこなさなければなりませんから、身体を休める暇もありません。一年中過密なスケジュールに追われています。いったん怪我や病気で体調を崩しても、十分な療養をする間もなく次の場所に臨まなくてはなりません。双葉山の時代よりも厳重な体調管理とタフネスさを要求されるとも言えます。
なにはともあれ、天下の範たる名横綱が久しぶりに誕生しました。久しぶりの名横綱誕生と聞いて、「朝青龍がいたじゃないか」と言われる方もいらっしゃると思います。しかし、私は朝青龍を名横綱とは思っておりません。それどころか横綱として認めることにさえ反対なのです。
その理由は土俵外の乱暴狼藉だけにあるのではありません。確かに朝青龍は生涯669勝、幕内優勝25回そして先ほど書いたように連続7場所優勝の偉大な記録も残しています。しかし、彼の相撲の取り口はどう見ても横綱とは言い難いものでした。
スピードと運動神経が本領と言えば聞こえがいいですが、格下相手に張り手をしたり、バックドロップまがいの危険な技で相手力士を怪我させたり、勝負がついた後にも土俵外まで追い打ちをかけるような力士を横綱とした横綱審議会、相撲協会の見識を疑うというものです。
以前のコラムにも書きましたが、相撲における正式な階級は大関までなのです。大関の中で特に心技体すべてにおいて秀でた者が現われた際、特別に免許を与えて横綱を張ることを許すのです。そして綱を張ることを許された力士を横綱大関と呼びます。
ですから、いくら強くても横綱を張るだけの品格が伴わない場合には、ただの強い大関のままにしておくのが本来の姿です。江戸時代最強の力士と言われた雷電為衛門はついに横綱の免許を与えられませんでした。朝青龍も大関のままにしておけばよかったのです。そうすればあんなに早い引退をしないで、今でも白鵬との名勝負を観ることができたのではないでしょうか。

当たり前のことですが、名横綱と呼ぶ必要条件は、何よりもまず強いことです。いくら人格が優れていても弱ければ力士の範足りえません。その強さの上に、品格があり、正々堂々とした取り組みの「横綱相撲」が要求されます。
白鵬の相撲はどうでしょう。朝青龍のように慌てたどたばた相撲ではありません。どっしりと受けて立つ。そして相手が動こうとする気を読むやいなや一気に攻撃を仕掛けて倒す。これぞ横綱相撲です。
この勝負の仕方を「後の先(ごのせん)」と言い、武道全般における最高の技量とされています。受けるばかりで、相手が動いてから動くのではただの後手です。しかし、攻撃を仕掛ける相手の呼吸を呼んで気迫によって動きでは先手を取るということです。
いわば敵の心の動きと身体の動きの間隙を制することであり、一朝一夕でできるものではありません。まさに心技体一致の境地においてのみ「後の先」が成立します。
私は双葉山の相撲を実際に見たことはありませんが、双葉山の相撲がまさに「後の先」であったと聞きます。だからこそ70連勝を阻まれた際にも全く表情を変えずに「未だ木鶏足りえず」と語ることができたのです。
一方白鵬は稀勢の海に敗れた際、悔しそうな顔がテレビに映し出されました。未だ木鶏どころか双葉山の境地にも至っていませんが、その後、とりこぼすことなく勝ち進んで優勝を決めました。着々と木鶏に近付いているように思います。

私がもう一つ白鵬を高く評価する点は、彼がモンゴル人、日本人という枠を超えた存在になっている点です。私は彼を見ていて人種のことを意識したことがありません。それどころか、彼の相撲には強く武士道を感じます。日本人の妻を娶ったということもあるのでしょうが、何かあるとすぐにモンゴルに逃げ帰っていた朝青龍と違って、日本の文化に溶け込んでいます。多くの相撲ファンが彼のことをモンゴル人と意識して観ていないのではないでしょうか。
朝青龍の素行に非難が集まった際に、モンゴルの人たちに「朝青龍がモンゴル人だからバッシングされている」という誤解を与え、日本人の閉鎖性が問題視されました。しかし今、多くの日本人が白鵬を心から称賛する姿を見れば、モンゴルの人たちもあの時の非難がモンゴル人であるが故ではなく、ひとえに朝青龍個人に対するものであったことを理解してくれるものと思います。

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