数年前の人気ドラマ、「Dr.コト―診療所」を覚えていらっしゃいますか。沖縄県八重山列島にあるとされる架空の島、志木那島(しきなじま)を舞台に吉岡秀隆扮する医師、後藤健介の離島における活躍を描いたドラマです。
のどかな南の島を背景に都会育ちの外来者と、強い心のつながりを持つ島の人間が誤解しながらも少しずつ信頼関係を築いていく様を描いています。また、原作者が実際に30年にわたって離島医療に携わった医師であるだけに、過疎地における厳しい医療環境がよく描かれていて、医療の在り方に鋭く迫った作品でもあります。
大都会においても産科、小児科を中心とした救急医療の崩壊が叫ばれる現在、地方過疎地の医療は極限状態になっています。そこで慌てて医学部の定員が増加されました。しかし、医師の数を増やせばこの問題が解決するでしょうか。私はそうは思いません。
いくら医師の数だけ増やしても、東京、大阪などの大都市圏の医師が増えるだけだと思います。しかも、私の携わる精神科や眼科、皮膚科といった開業しやすくて訴訟リスクの少ない診療科や、自費で多くの収入が期待できる美容外科の医師が増えるだけのような気がします。
過酷な勤務が強いられてしかもハイリスクの産科医や小児科医はいつの時代も医師不足なのではないでしょうか。ましてや、離島で代表される過疎地の医療が充実するとは思えません。
それでは医師はそんなに強欲な者ばかりなのかと言えばそうではありません。Dr.コト―を観て、熱い思いをした医師は私だけではなかったはずです。それどころか、心の奥底で医の原点であるDr.コト―になりたいと願っている医師も少なくないと思います。
では何故、実際に名乗りを上げる医師がこれほど少ないのでしょうか。理由は様々あると思いますが、一番大きな理由は、家族の生活、とりわけ子供教育環境にあるのだと思います。
医師も家庭にあれば一人の親父であり母親です。自分の子供によりよい教育を与えたいと考えるのは当然です。そうなるとどうしても離島医療にしり込みしてしまいます。実はDr.コト―になりたくても慣れない医師が多いのです。
それでは、未婚の若い医師が僻地に行けばよいということになりそうだが、これも現実的ではありません。地域の医療を一人で担うには相当の経験がなければできません。卒業して2、3年の医師に勤まるわけがないのです。
それよりは、子供の教育を終えた晩年を僻地量に費やすほうが現実的です。しかしこちらも誰にでもできるというわけにはまいりません。まずは体力的な問題です。地域の医療を一人で担うためには相当な体力を必要とします。24時間365日患者さんを受け入れなければならないからです。60歳を過ぎた老体には過酷すぎると考えます。やはりある程度の経験を持ち、しかも体力の旺盛な壮年期の医師でなければ勤まらないのではないでしょうか。そうなると、多くの医師に家庭を持つことをあきらめてもらわなければなりません。
「医師とは人の命を預かる崇高な仕事なのであるから、家庭を犠牲にすることくらい覚悟の上のはずだろう」と主張される方がいらっしゃるかもしれませんが、それは酷というものです。私たちも生身の人間です。暖かい家庭を持ち、子供の幸福を願う権利はあるはずです。
それでは、どうしたら医療の偏在を正すことができるのでしょう。私は医療行政だけを姑息的にいじくりまわしても解決しないと思います。日本の都市政策全体を根本的に変えなければならないと考えます。つまり文化機能が東京、大阪、名古屋といった数少ない大都市への機能の集中している現況を改めて、各地方へ分散することです。
今、話題となっている、「道州制」の単位くらいでよいと思いますので、そのどの地域に住んでもそれほど大きな差がない文化的な生活ができる国に作り変える必要があると考えます。そうなれば家庭を持った働き盛りの医師が各地域に根付くことができることになるでしょう。
医師だけではありません。あらゆる仕事が東京に一極集中している現在のいびつな雇用環境が改善されて、各地域で多くの雇用が生まれます。そうすれば多くの国民が故郷を捨てることなく安定した生活を送ることができるはずです。
私も、子供が一人前になったら医療過疎地に余生を捧げることを考えたことがあります。しかし、よく考えると舌とボールペンしか扱うことができない精神科医は僻地に必要とされません。そこで求められている医師は産科の心得のある外科系医師なのです。結局、私はDr.コト―にはなれそうにありません。