投稿日:2011年1月17日|カテゴリ:コラム

日本語は英語やドイツ語に比べて論理性に欠ける言語です。たとえば「・・・・の」という挌助詞一つをとってみても、「of」に相当する所有の意味の「の」、「at」「in」「on」など所在や「時間」を表す「の」、「分量」を表す「の」、形状や性質を表す「の」、「for」に相当する「の」、内容を意味する「の」、主格としての「の」、対象を表す「の」、所属を意味する「の」、同格の「の」、「・・・・に関する」という意味の「の」、「・・・・による」という意味の「の」、「between」「with」に相当する人の関係を表す「の」、「from」をいみする「の」などなど、実に多様な使い方をします。
ですから、気をつけていないとやたらと「の」が連続する文章になってしまいます。たとえば、「昨日の父の夕食の時の機嫌の悪さの原因は・・・・・・」と具合に、牛の涎のように「の」が垂れ流されてしまうことになります。
また、主語、述語、副詞の並べ方に他の言語のような規則性がありません。それどころか、主語が省略されることは日常茶飯事です。さらに、「食べる」と「食べる?」のように、同じ言葉がイントネーションによって自分の意思を表す場合もあれば、相手への問いかけになることもあります。
このように日本語は融通無碍、悪く言えばいい加減な言語です。私はこの日本語のいい加減さが独特の情緒表現を生み、人間関係において適度な距離感をもたらしてくれているように思います。人と人とを取り持つ言語としてとても優れていると考えますが、論理的な思考や議論には不向きかもしれません。
私が初めて書いた論文の草稿は、先ほどの「の」だらけで、極めてあいまい、不明確な内容になってしまいました。当時私を指導してくださった第2薬理学教室の故福原教授から、「まず英語で考えて、それを日本語で表現するようにしなさい」と指導されました。その教えを実践するようになってから、日本語の論文も以前より論理的に書けるようになりました。

幼児期からの英語教育が流行る一方で、母国語教育がおろそかにされています。その結果、私たち現代日本人の語彙は恐ろしく乏しくなってきました。それだけではありません。もともとあいまいな日本語をさらにあいまいにするような表現が目立ちます。
その1つが、以前のコラムでお話しした「・・・・・の中で」と言った無意味で不必要な修飾語です。大した内容ではない話をもっともらしくもったいぶる時に使われます。学生時代にまともな読書をしなかった若者が、社会人になって、仕事の場で身につける表現方法のように思います。
会社のプレゼンテーションや客を勧誘するセールスの場面であれば、相手にもっともらしく思わせることが目的ですから、こういった表現が適当であるかもしれません。しかし、日常会話においても馬鹿の一つ覚えで、こういった商用トークしかできないとは悲しむべきことです。
もうひとつ私が耳障りに思う表現が「ぽい」です。「俺なんか疲れったぽい」とか「私あなたのこと好きっぽい」といった具合に使われます。なぜ、「俺疲れた」、「私あなたのこと好き」と直截的に言えないのでしょう。
おそらく前者の「ぽい」は「少し」といいたいのでしょう。後者は「好き」とはっきり告白して相手から拒絶された時のショックを和らげるために自己防衛法なのかもしれません。
ともかく、こういったあいまいな表現しか使えないということは自分の意思が明確でない。あるいは自分の発言に対する責任を放棄するということです。何らかの事情があって窮余の策として使うことは致し方ないかもしれませんが、日常の発言がすべて「ぽい」では責任ある大人とは言えません。
私の仕事場でも、この「ぽい」をしばしば耳にするようになりました。「私うつぽいんです」と訴える方が少なくないのです。話し言葉だけではありません。予診票の主訴の欄にしっかりとした字で「うつっぽい」と書く人までいます。あたかも「うつっぽい」という言葉が医学用語になったかと錯覚してしまいます。
「ぽい」という響きには「本当の・・・ではない」、「…に近い」、「似て非なるもの」というニュアンスがあります。実際に、「うつっぽい」という表現をされる方の多くは狭義のうつ病でない方が多いのです。ディスチミアであったり、嫌なことがあってしょげているだけの人も少なくありません。
けれども、医学を学んだことのない患者さんが「うつっぽい」という表現を使う気持ちはよく理解できますから、それを咎め立てする気はさらさらありません。しかし、「どうしてうつっぽいと思うのですか?」という問いに「私はよくわかりませんが、前に診てもらっていた先生に診断名を聞いたら『うつっぽい』と言われたもんで」という返事が返ってくることがあります。
こういうあいまいな診断で抗うつ薬を処方する「精神科っぽい医師」がメンタルクリニックだとか心療内科だという看板を掲げていることは憂慮すべき事態です。

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