投稿日:2010年11月21日|カテゴリ:コラム

尖閣諸島沖での中国漁船巡視船体当たり事件は、対中国の外交問題にとどまらず、日本国内にもとても悪性の続発症を引き起こしました。それは海上保安官による現場ビデオのYou Tubeへの流出事件です。
私は中国の軍事、経済力を盾に取った強権的な態度、それに対する我が国政府の無能ぶり、どちらにも怒りを感じます。そして問題のビデオに関してはもっと早く公開すべきであったと考えます。中国の鼻息ばかり伺ってなんら毅然とした行動をとらなかった菅内閣は、民主主義の主権国家であることを自己否定したに等しいとさえ考えています。
それでは今回の保安官のとった行動に賛意を示すかといえば、そうではありません。公務員が、就中、武器の携行を許された者が私的な義憤にのっとって跳ね上がった行動をとることはどんな些細なことであっても許されてはいけません。
ところが、新聞などのアンケート調査によると、保安官の行動を弁護する人が多かったようです。私は保安官の独善的な行動に喝采をおくる人がこれほど多いことにとても危険な匂いを感じるのです。

今回の事件を聴いて、頭に思い浮かべたのは一昨年の11月に起きた厚労省元事務次官連続殺傷事件です。小泉毅という無職の男が元次官夫妻殺害ならびにもう一人の元次官夫人殺害未遂事件です。当時は日本中を震撼とさせました。これを機に霞が関のセキュリティシステムが一段と強化されました。私が長らく嘱託医をしている特許庁などは、とてもテロの対象にされるとは思えないのですが、ここでも昨年春以降は事前に登録していない車両は一切駐車場に入れなくなりました。
しかし、熱しやすく冷めやすい我が国の国民性のせいでしょうか、今では小泉毅の件はほとんど話題にも上りません。「ああ、そういえばそんな事件もあったっけ」という方も少なくないと思います。裁判は本年3月30日に埼玉地裁で判決公判が行われて死刑判決が下され、現在控訴中です。
事件は、昔飼っていた愛犬チロが殺処分されたことへの恨みによる個人的な犯行として処理されようとしています。すなわち、極めて偏向した人格の持ち主が見当外れの恨みを抱いて引き起こした理不尽極まりない犯行だというのです。本当にそうでしょうか。私は今でも彼の背景に複数の人間が関与したテロ事件だと思っています。

私はこの二つの事件およびそれに対する国の対応、さらには国民の反応に、我が国の社会崩壊が象徴されているように感じるのです。
今回の保安官の行為は別に傷害や殺人ではありませんから、小泉の事件と今回のビデオ流出事件を、事件自体を一緒にして論じるつもりはありません。しかし私は、個人の正義感、義憤を動機とする触法行為が後を絶たず、またその行為に心の中で拍手を送る国民の数が増えていることに危うさを覚えるのです。
人の価値観は十人十色ですし、置かれている状況も同じではありませんから、すべての人が満足する社会というものはあり得ません。皆それぞれ不平、不満を抱えながら生きています。それでもその社会からはみ出さずに構成員として生きているのは、相対的に満足する部分があるからです。
それが、自分たちの意見は全く反映されず、八方塞がりとなり、将来に対する希望がなんら見いだせなくなった時に、人はその社会に反抗する行動に出ます。その時の言い分は「皆に代わって天誅を加える」であったり「腐った世の中を変える」であったり、いろいろあるでしょう。
ともかく、国家が現状の矛盾点解消のために真剣に行動しさえすれば、こういった行為はそう起こるものではありません。ところが個人の義憤による行為が多発してそれに対して多くの国民が賛意をおくるということは、国家が国民に対する責務を果たしていないからです。この状態が続くならば、これからも個人的正義感による反社会的行為が頻発することが予測されます。
今の世情は大恐慌後の我が国の五・一五事件、二・二六事件へと発展していった混乱の時とよく似ています。このことについてはすでに昨年3月に書いた「いつか来た道-危ぶまれるテロの時代」というコラムで詳しく書きました。ご興味のある方は御一読ください。
戦後の自民党長期政権によって膨らんだ社会の歪を解消してくれるだろうという国民の期待を担って誕生した民主党政権でしたが、その後1年あまりの国政運営を見て、国民はひどく落胆しました。
鳩山内閣、菅内閣ともに自民党政権時代と大同小異。いや、明確な戦略を持たないために、あらゆる場面で迅速果断な決断ができずに朝令暮改を繰り返すだけ、自民党政権よりももっと性質が悪いかもしれません。
出口の見えない不景気、後数年で破産する国家財政、いくら首をすげ替えてもなんら変革できない硬直しきった社会体制。私はすぐそこに、社会正義をうたった無法行為が横行する暗い混乱の時代が待ち受けているように感じてならないのです。

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