投稿日:2010年11月15日|カテゴリ:コラム

「あいつ性格悪いよ」
良く耳にする言葉です。悪い性格と判定するには良い性格の基準があるに違いありませんが、それではどういう性格がもっとも模範となる良い性格なのかと問われると、的確に答えられる人はいないのではないでしょうか。
他人を思いやって出しゃばらないにも関わらず、いざという時には先頭を切って困難に立ち向かう人とかとか、いろいろな特徴をあげることができますが、それらを組み立てて一つの人格を構成しようとすると、そう簡単にはいきません。「模範的人格者」と、言葉では言えても、具体的な人物像を描けない、陽炎みたいな概念です。
まず、性格の要素の良し悪しを判断すること自体が困難です。たとえば、誰にでも優しいということは八方美人とも言えます。自己主張が少ないという長所は優柔不断という欠点の裏返しです。このように人格を形作る要素一つを取り出しても、良し悪しすら明言できません。さらに、こういった要素が数多く組み合わさった複雑な人格全体を良い、悪いなどと単純に仕分けすることができるはずがありません。ですから、相手の性格を良し悪しを判断したつもりでも、実は自分がその人を好きか嫌いかということでしかない場合がほとんどです。

このように人格の評価はとても困難な作業にも拘わらず、私たち精神科医は患者さんの治療に際して、人格をできるだけ客観的に評価することを避けては通れません。
今はコンビニメンタルクリニックが大流行りです。私がコンビニメンタルクリニックというのは、チェックリストを評価して、一定以上の得点だと「はい、あなたはちょっとうつですね」と診断して抗うつ薬を処方する医療のことです。
しかし、心の健康を損なっている人に対して、表面的な症状だけを見てSSRIのような薬を処方するだけでは本当の回復は望めません。同じ症状を訴えていたとしても、基盤となる人格に応じて治療法は大きく異なります。
「うつ状態」だからといって、「叱咤激励はいけない」の馬鹿の一つ覚えで対処していれば済むというものではありません。症例によっては「叱咤激励」が必要なこともあります。そのためには、その人の人格評価がとても重要になるのです。
また、障害の主体が病気としてのプロセスではなく、その人の人格にある場合も少なくありません。そういうケースではやたらに薬を増量していっても副作用がでるだけで治療には結び付きません。薬は必要最小限の対症的な適用にとどめて、精神療法を中心に治療を進めなければなりません。
実際に、精神医学では通常の人と大きくかけ離れた人格を人格障害として診断することになっています。国際疾病分類(ICD)やアメリカ精神医学会による診断分類(DSM)には回避性人格障害、演技性人格障害、自己愛性人格障害、境界性人格障害等々、沢山の人格障害が列挙され、それぞれの診断基準が示されています。
DSM-Ⅳ-TRに記載されている「回避性人格障害」を1例として示します。

回避性人格障害(Avoidant Personality Disorder)
社会的制止、不全感、および否定的評価に対する過敏性の広範な様式で、成人早期までに始まり、種々の状況で明らかになる。以下のうち4つ(またはそれ以上)によって示される。
(1)    批判、否認、または拒絶に対する恐怖のために、重要な対人接触のある活動を避ける。
(2)    好かれていると確信できなければ、人と関係を持ちたいと思わない。
(3)    恥をかかされること、またはばかにされることを恐れるために、親密な関係の中でも遠慮を示す。
(4)    社会的な状況では、批判されること、または拒絶されることに心がとらわれている。
(5)    不全感のために、新しい対人関係状況で制止が起こる。
(6)    自分は社会的に不適切である、人間として長所がない、または他の人より劣っていると思っている。
(7)    恥ずかしいことになるかもしれないという理由で、個人的な危険をおかすこと、または何か新しい活動にとりかかることに、異常なほど引っ込み思案である。

この基準に沿ってチェックすれば人格障害の診断ができるかというとそうではありません。誰だって、嫌われているかもしれないと感じている人と接触を持ちたくはありませんし、他人から批判されたり、拒絶されて平気な人はいません。ですから、それぞれの特性が「異常なほど」に当たるのか否かの判断がポイントになりますが、この異常性の判断もまた、極めて主観的で、診断する者の価値観に委ねられるところが大きいと言えます。
また、その人のある行動をどうとらえるかという点にも問題を含んでいます。たとえば「演技性人格障害」の診断基準における「自分が注目の的になっていない状況では楽しくない」と「自己愛性人格障害」の「過剰な称賛を求める」との鑑別は実際には難しいことが少なくありません。つまり、人格障害の診断はそう安易につけられないのです。
私は、人格はマニュアルを頼って無理やりに診断をつけることは避けるべきだと思います。十人十色の人格を数個のカテゴリーに分類できるはずがないのです。それよりも、できるだけ多角的に把握して、その人となりを総合的に理解することが重要なのだと思います。
人の顔を見た時に丸顔、面長、四角と分類するだけでしょうか。そのほか目の大きさや眉毛の形、唇の形等々、いろいろな要素を総合的に判断して、その人の顔として認識しているはずです。人格も顔と同じです。いろいろな要素を総合的に認識して、本来のその人らしさというものを把握しなければ実際の臨床では役に立ちません。
また、こうやって考えていくと相当に極端な例以外は障害としてではなくその人の特徴の一つとして理解することができます。そして、そう理解する方がその人に対してより設的なアプローチをすることができるように思います。
だいたい、簡単に「あいつ性格悪いよ」という人に限って、その人自身が相当偏った人格の持ち主である場合が少なくありません。

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