投稿日:2010年10月11日|カテゴリ:コラム

今大流行の「うつ」は現在主流の診断名で正確に言うと「気分障害」となります。気分が持続的に憂うつ、あるいは過度に爽快になる気分を主体とする病気です。こういう知識はかなり普及しました。しかし、そもそもこの病気で障害される「気分」とはどんなものだかご存知でしょうか。
精神医学では「比較的弱いがある一定期間持続する感情の状態」と定義されています。
よい成績をとると嬉々とした気分になります。一方、失恋したり上司から手酷く叱責されれば憂うつな気分になります。これはごく当たり前の心の動き、言い換えれば、正常な感情の動きです。もし失恋や叱責によって気分がうきうきしたとすれば、極めて重篤な感情障害と言えます。
ところが近年、「うつ」という言葉が独り歩きしてしまったために、理由があって起きた正常な憂うつ状態でも、本人が「憂うつだ」と訴えるだけで、すぐにうつ病とする傾向があります。
人生には様々な困難が待ち受けています。そして、楽しいことよりも悲しいこと、辛いことに出会うほうがはるかに多いのではないでしょうか。私たちは絶好調と感じるよりは憂うつと感じることの方が多くて当たり前なのです。それなのに、憂うつだと訴える人を片っ端からうつ病と診断したならば、世の中はうつ病患者で溢れかえってしまいます。
それでは健康な憂うつと病的な憂うつとはどこが違うのでしょう。一番大きな相違点は持続時間にあります。どん大失恋をしても、健康な心ではいつまでも憂うつな気分を維持することができません。失恋をした事実は一生忘れることがないかもしれませんが、生々しい体験はどんなに頑張っても次第に薄れてしまいます。これは、その恋愛がそれほど真剣ではなかったとか、その人が薄情だとか言うことではありません。脳には自分自身を守るために「忘却」という機能があるからなのです。
したがって、脳が健康な状態であれば、どんなに強いショックを受けて落ち込んだとしても、この忘却機能が作動するためにいつまでも憂うつな気分が続くことはありません。
ところが忘却機能が働かずに脳が不健康になると、憂うつな気分がいつまでも持続します。むしろ時間とともに憂うつ気分がひどくなっていきます。これがうつ病という気分障害です。
大事な人が亡くなった場合に、健康な人の場合には当初は悲しみのどん底に落ち込んでも、次第に元気を取り戻していきます。ところがこれとは逆に、四十九日が終わった頃からどんどんふさぎこんでいくとすれば、うつ病になったと考えた方がよいでしょう。

感情には気分の他に感覚感情(単純感情)、情動、熱情、情操(高等感情)といった種類があります。感覚感情は本能的な反応で、快か不快かです。情動は激しくて身体表現と深く結び付いていますが持続は短くて一時的な感情です。喜び、悲しみ、恐れ、怒りなどと表現されます。熱情とは知的な要素を持って長く持続する感情で、恋愛への熱情、発明への熱情、学問への熱情、政治への熱情などが知られています。情操は真・善・美の観念に伴う高等感情で、美的情操、道徳的情操、知的情操といったもので、教育によって成長します。
こういった感情機能の中でなぜ気分だけが「○○情」あるいは「情○○」と呼ばれずに「気分」と命名されたのでしょうか。そもそも「気」とは何なのでしょうか。
「気」は広辞苑によると「天地間を満たし、宇宙を構成する基本と考えられるもの。また、その動き。」、「万物が生じずる根元。」、生命の原動力となる勢い。活力の源。」、「はっきりとは見えなくても、その場を包み、その場に漂うと感ぜられるもの。」とあり、その上で「心の動き・状態・働きを包括的に表す語。」とあります。何やら分かったような分からない形而上的な概念です。私は、遍く時空に存在するエネルギーの一種と理解しています。
実際に「気」は多くの事象を説明する用語の中に使われています。「大気」、「空気」、「気候」、「気象」、「天気」、「電気」、「霊気」などなどです。心の領域の「気」に関しても「元気」、「呑気」、「気合」、「気品」、「気韻」、「意気」、「陽気」、「陰気」、「気概」、・・・・・・・・。その気の動きとしては「気にする」、「気付く」、「気負う」、「気がある」、「気掛かり」、「気が利く」、「気を静める」、「気が散る」、「気が短い」、「気とそそる」、「気を揉む」、「気まずい」、「気が合う」、「気が置けない」、「気が進まない」、「気が済む」、「気が急く」、「気が強い」、「気が詰まる」、「気が咎める」、「気が乗る」、「気が張る」、「気が早い」、「気が晴れる」、「気が引ける」、「気が紛れる」、「気が回る」、「気が揉める」、「気が休まる」、「気に食わない」、「気に障る」、「気の留める」、「気を奪われる」、「気を配る」、「気を吐く」などがあります。
こうしてみると、宇宙の様々な事象、私たちの心の事象の多くが、この「気」
に関連していることがお分かりになると思います。アインシュタイン以前の物理学の世界で宇宙を満たしていると考えられていた「エーテル」のような概念ではないかと考えます。

こう考えると、やや飛躍ではありますが、私たちの心の「気分」は宇宙に満ち満ちている「気」の一部を分けてもらったものと解釈できます。実際に、ずっと以前に書いたコラム「星の王子様」で述べたように、私たちの身体を構成する原子は、何億、何十億年も前に超新星爆発で一生を終えた恒星の一部からできています。目に見える身体も宇宙の一部なのですから、心的エネルギーが宇宙のエネルギーと密接に関係していても不思議ではありません。

先人たちの洞察力の鋭さは畏るべしです。宇宙エネルギーとの関連はともかく、「気分」は自分のもののように感じられるけれど、本当は自分の思い通りにコントロールできるものではないことを看破しているからです。
事実、気分は感覚感情や情動よりは高等で複雑な機能ですが、熱情や情操のように自分の意思の管理下にはありません。
だから、気分障害に陥った時には、静養と治療を受けて、後は枯渇した「気」が自分の内に満ちてくるのを待つしかありません。宇宙からおすそ分けしてもらったエネルギーののですから、むりやり「気」を高めようとしても無理というものです。
ですから、うつ病で悩んでいる人に対して訳知り顔で「そんなものは気のもちよう」などと無責任で頓珍漢なアドバイスをしないでください。

【当クリニック運営サイト内の掲載記事に関する著作権等、あらゆる法的権利を有効に保有しております。】