投稿日:2010年9月19日|カテゴリ:コラム

私は小さい頃、両親や祖父母から叱られる時に、きまって「そんなみっともないこと止めなさい!」とか「そんなことしたら笑われますよ!」と言われたものです。たとえば、食べ物を皆で分けて食べる際に、一番大きな物を狙って我先に跳びついた場面などでです。
この他にも「そんなことして恥ずかしいと思いなさい!」、「お天道様が見ているよ!」、「少しは恥ずかしいと思いなさい!」、「人さまに申し開きができませんよ!」、「世間に合わせる顔がない」などなど、数え切れないほど叱られました。よほど不肖の息子だったと思われます。
考えてみると、叱られるかどうかの基準が「恥や外聞」にあったようです。つまり、自分の所属するコミュニティである「世間」に認められるかどうかということが一番大事な行動基準であったのです。
そして、その世間の価値感には「武士は食わねど高楊枝」の武士道精神が色濃く反映されていましたから、耐えて我慢する、自己犠牲が良しとされて、利己的、欲張りは忌み嫌われました。つまり、実益よりも名誉を重んじてきたのです。日本の文化がやせ我慢の「恥の文化」と言われる所以です。
これに対して宗教が日常生活に深く根付いている西欧における行動基準は、神に対する「罪」です。だから、法廷において聖書に手をおいて宣誓することに象徴されるように、自分の行動が神に誓って正しいと言えるかどうかが問われるのです。西欧文化が原罪に起因する「罪の文化」と呼ばれる理由です。
ところが、敗戦後、連合軍による占領政策によって、それまで良しとされてきた物事すべてが破壊されました。GHQが特に力を注いだことは戦前の強靭な軍国主義を支えたと思われる精神主義の破壊でした。
その目論見は見事に成功して、日本人から武士道精神、名誉あるやせ我慢精神は見事に消えてしまいました。それでは私たちに「恥」に代わって、西欧のように「罪」という行動規範が身に着いたかとそうではありません。自分の進むべき道標を失った今の日本人は何を規範として行動しているのでしょうか。現実的な目先の利得、それをもっとも具現化した金に他ならないと私は思います。
私たちは、これまで日本人が重んじてきた恥や外聞を一切かなぐり捨てて、金を得るために奔走する狂気の集団になってしまいました。政治家は国政をないがしろにして己の利権追及に躍起になり、役人は天下りしか眼中になく、己の施策が失敗したとしても一切責任はとりません。皆、自分さえよければよいのです。
そして、恥や外聞に眼をつぶって面の皮を厚くすればするほど目標に近づき、成功者として称賛さえされる始末です。多くの民衆をマジックで欺き、長期政権を築いたK元総理。潔い身の引き方が称賛されますが、実は総理在任中に三十億も蓄財したと聞きます。へたに表舞台にしがみついていてぼろが出てくる前に大金を手にトンずらしたというのが真相なのではないでしょうか。

こういった傾向は何も政治家、官僚といった特殊な集団だけに見られる現象ではありません。国民全体が精神的な支柱を失った、寄る辺ない流浪の民と化しているのです。
私自身も、先ほど述べましたように、小さい頃から「みっともない」と言われ続けてきた男ですから、およそ武士道とは縁遠いいやしい人間です。しかし、その私から見ても、目に余る恥知らずが至る所で大手を振って歩いています。

ごく身近なところにその典型例がいるので御紹介しましょう。それは、私の所属する地区医師会の要職にある女医です。
数年前にノロウィルスが大流行した年の瀬に、医師会近くのホテルで医師会関係の忘年会が行われました。運悪く隣の部屋でノロウィルス罹患者嘔吐したため、忘年会参加者の多くが感染してしまいました。彼女もその一人でした。嘔吐と下痢に苦しんだのは同情すべきですが、その後がいけません。ホテルからの見舞金を受け取っておきながら、パーティの代金を払わなかったのです。
このホテルと医師会とは日頃から付き合いが深いので、ホテルも「医師会の人たちだからそのうちに払ってくれるだろう」と、忍耐強く待っていました。しかし、年度が替わる時期になっても音沙汰がないのでさすがに鷹揚に構えてもいられなくなり、医師会に催促がきました。
医師会の事務員から彼女に支払いを求めてもいっこうに支払おうとしません。当時の医師会長が事態を知って会計係に支払いを命じて一件落着しましたが、
御本人は恥入るどころか、自分の意向に反して支払いが行われたことに腹を立てていました。本当に食い逃げするつもりだったようです。
また、この女性は様々な会合に定時に姿を現すことは稀有です。15,20分の遅刻は当たり前です。おかげで、彼女がが到着すると、それまで議論してきたことをまた最初から説明しなければなりません。真面目に初めから出席していた他のメンバーは甚だ迷惑です。
ただの会議の場合には人の迷惑を顧みない無礼者というだけの話ですが、食事が出る会費制の会合の場合には無礼だけではすみません。というのは、この女性は時々、信じられないことを言いだすのです。「私、遅く来てあまり食べなかったから会費は払わなくていいわよね」と。空いた口が塞がりません。
これでおしまいではありません。デパート系のレストランで会食が行われる時には、自分は支払わないくせに、会計担当者にこう言います。「私のカード渡すからポイントをつけておいて」。全員分の支払い額はかなりの額になります。その金額に対するサービスポイントをちゃっかり自分のものにしてしまうのです。公的な会合で医師会が支払った場合にも自分のカードにポイントをつけさせます。サービスポイントはそのデパートにおいては現金と同じです。これはもう立派な横領と言えるのではないでしょうか。横領かどうかという前に、あまりにもみっともない行為です。
こういう恥知らずは、たいてい権力志向で上には媚びへつらい、下には横暴な態度をとるものです。もちろんこの点でも彼女は立派に合格です。自分が医師会の役員になろうという時は、当時影響力の強かった先輩のところに日参して、自分の応援を依頼しました。ところがいったん自分がその職について先輩が病に倒れたとたん、手のひら返しでその方のことなど一切見向きもしなくなりました。
先日は、一人の事務職員がこっぴどく怒鳴られました。その理由はメールでの情報伝達の際にCC欄の自分の名前の順番が後の方だったという馬鹿馬鹿しいことです。私は、CC欄の名前の順番注意を払ったことがなかったので、そのエピソードを聞いてあきれてしまいました。ところが、そんな瑣末なことに対して、彼女はいつもの口癖を吠えまくったようです。「いったい、私を誰だと思ってるのよ!」
私は「師」と呼ばれる者はそれなりの矜持を持って行動しなければならないと考えています。ところが最近、医師に対する世間の評価は相当に低下しました。いまや、医師会と言われても紳士淑女の集団と言うイメージはないでしょう。
こうなってしまったのは、私たちメンバー一人一人の品位が低下したからにほかなりません。その象徴的存在が前述の女性役員でしょう。金に汚く、権威を振り回す。こんな人が役員として名を連ねていては医師会員であることさえ恥ずかしくなってしまいます。ところが彼女、私を始め多くの会員たちの顰蹙など歯牙にもかけず会長を目指しているとのことです。彼女が医師会長になるなど世も末です。

戦前の精神教育が軍国主義を生んだと言われますが、私は恥の文化が直接的に先の戦争を生んだとは考えません。戦争指導者たちが武士道や恥を利用したにすぎないと思うのです。
ミイラ化した親の遺骸を隠して年金を受け取る子供、実の子供を虐待して殺す親、お茶を飲むだけで次々と高額の退職金を受け取って平気な天下り官僚。我が日本人の心はズタズタに壊れてしまい穴だらけです。その穴に金を詰め込んで得意げな厚顔無恥が跳梁跋扈しています。
今一度、恥や外聞という物差しで自分の行動を振り返ってみる必要があるのではないでしょうか。

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