投稿日:2010年9月6日|カテゴリ:コラム

ここ数年、「草食系」、「肉食系」という言葉を耳にします。多くは「草食系男子」と「肉食系女子」です。特に「肉食系男子」が多用されます。「最近の若い男性は草食系が多くなっている」といったふうにです。実際に、あるアンケート調査によると、30代未婚男性の13%が「完全に草食系男子」、61%が「どちらかというと草食系男子」と、自分のことを草食系男子と思う男性が75%に上っています。ところで「草食系男子」とは一体どういう男の子のことを言うのでしょうか。
まだはっきりとした定義はありませんが、「恋愛やセックスに縁がないわけではないのに積極的でない、肉欲に淡々とした男子」、「新世代の優しい男性のことで、異性をがつがつと求める肉食系でなく、異性と肩を並べて優しく草を食べることを願う男子」、「心が優しく男らしさに縛られていず、恋愛にがつがつせず、傷ついたり傷つけたりすることが苦手な男子」といった解釈が一般的です。
ところが、マスコミでは草食系に派生して「スカート男子」といった言葉も使われるようになり、女性の目から見て男性を嘲笑する報道も多くなっています。また、元気のある女性を肉食系女子として、これに対して元気のない男性を草食系男子と呼ぶことも少なくありません。また、男女を問わず、元気のない若者の代名詞として「草食系」の言葉を使うことも多くなってきました。
こうなると、若い男性諸君の大半が自分のことを草食系男子と自任している現状は実に由々しき問題です。本当に日本男児はそんなに元気を失ってしまったのでしょうか。

愛車の整備のために馴染みのバイク屋さんに行ったところ、彼が「大型バイクに乗りたいという若い連中がめっきり減ってしまったのでバイクが全然売れないよ」とボヤいていました。
バイクだけではありません。近頃の若者は4輪車に対する興味もあまりないようです。車やバイクどころではありません。最近はゲンチャリさえ売れなくなっているようなのです。
私が「雇用不安で若者がお金を持っていないからじゃないの?」と聞くと「いや、それだけじゃないと思うよ」。「前は、喰うものを我慢してもどうしても大型バイクが欲しいって奴がいたんだけど、最近は欲しい物の順位が全然変わっちゃったんだよね」。
もう40年以上も前のことになりますが、自分が思春期だった頃を思い出せば、どうしても車を手に入れたかったし、バイクを跳ばすことを夢見ていました。その動機といえば、ただただ女の子にもてたいという一心でした。
強くなるために柔道を励んだのも、ギターを一生懸命練習したのも、よい成績をとりたくて勉強したのも、元を辿れば、女の子にもてたかったからです。
若い頃のすべての行動の源は異性の視線に対してなんとか目立って自己アピールして、その他大勢に埋没してしまわないための足掻きであったように思います。
そして異性とは親密な関係になるための対象であって、決して一緒に草を食む仲間として求めてなんかいませんでした。あわよくばと不埒な妄想の対象であった娘から「西川君はとっても大切な友達よ」と言われた日は、悲しくて悔しくて眠れなかったことを思い出します。つまり、私の若い頃の行動の大半は肉欲に突き動かされていたと言ってもいいでしょう。
さすがに最近では、そんなエネルギーはありませんが、それでも未だに異性から好かれたいし、異性から褒められることが何よりの励みです。今風の言い方をすれば、私は根っからの肉食系ということになります。しかし、よくよく振り返ってみても、私が特別飢えた狼だったわけではありません。
私の周りにいた連中は皆似たり寄ったりでした。むしろ私などは肉食系男子番付をつけたならば、せいぜい幕下筆頭くらいのものだったのではないでしょうか。ですから、今の若者の75%が草食系だと言われても俄かには信じられませんでした。異性を求める手段として、爪や牙を隠しておとなしい羊を装っているだけではないかと穿って見ていました。ところが、先日昭和22年生まれで日頃から若い男女に囲まれる仕事をしている友人から言われた言葉でこの考えを根底から変えることになりました。

「僕は人というものは個体の年齢とは別に人種の年齢というものがあるんじゃないかと思うんだよ。先の戦争に敗れた瞬間から日本人は生まれ変わったんじゃないかな。だから、戦後間もなく生まれた人は文字通り赤子として生まれたけど、それから経済的に豊かになって世の中が成熟するにつれて日本人という人種が年をとっていって、今や初老から高齢になろうとしている。人種そのものが年とっているから、今生まれる赤ちゃんは生物学的には赤ちゃんであっても、全人的には初老なのじゃないかな。つまり、現代の日本人は初めから年をとって生まれてくる。」
この意見は無論、科学的ではなく、アバウトで情緒的な印象を表現したものです。しかし、異性に対する態度に限らず、今の若者のいろいろな社会行動の特性を理解する上でとても分かりやすい考え方だと思います。今の若者は、同じ年の頃の私よりもずっと分別ある行動をして、無謀な冒険を犯しません。
一方、昭和22年生まれを中心とした団塊の世代は、育ち盛りの日本全体を騒がせた学生運動の中心でありました。麻疹のような革命病が治った後は、猛烈サラリーマン、ちょい悪親父と、いつまでたっても自己顕示欲旺盛です。私の周りにいる連中を見ても、この世代はいつも何かしていないと気が済まない人がほとんどで、何かにつけてお騒がせな存在です。先ほどの説から言えば、生物学的個体年齢は高齢者に足を突っ込んでいるのに、全人的には未だに悪ガキのままと言えます。

若年寄とガキ親父のどちらがよいとは言えませんが、自分自身の行動のいかんで、明日は今日よりよくなるかもしれないという夢を見ることができただけ、団塊の世代のガキ親父の方が幸せなのではないでしょうか。
だからこそ、私たち団塊の世代はいつまでもガキぶりを発揮しているだけではいけません。自分たちが好き勝手にやってきたおかげで、大人で生まれてしまった若者が、夢を見ることの楽しさ味わうことができるように、今少し世の中に変えていく義務を背負っているのだと思います。

【当クリニック運営サイト内の掲載記事に関する著作権等、あらゆる法的権利を有効に保有しております。】