投稿日:2010年8月2日|カテゴリ:コラム

大塚駅の駅ビル建設が決まりました。これで数年後には大塚駅もようやく都心駅らしくなります。戦前、大塚が池袋や巣鴨よりも賑わっていて、この地区の中心であったことは以前のコラムでお話ししました。ところが、いつの間にか山手線の駅の中で1,2を争う情けない駅になってしまいました。
衰退の最大要因は地下鉄と接続していないことです。東京唯一の路面電車である都電とは接続していますが、早稲田と三ノ輪橋というあまりにもローカルな地域を結ぶ路線では大きな発展は望めません。東京中を張り巡らされた地下鉄ネットワークと繋がっていないことは致命的と言えます。
聞くところによると、地下鉄丸ノ内線開設時、大塚駅で省線(現在の山手線)と接続する案もあったそうです。このプランが日の目を見なかった理由の一つに、地元商店主たちの利権争いがあったようです。当時この地区の有力者であった人物が自分の土地の近くに駅を誘致しました。その結果、国鉄大塚駅から600m近く離れて、変死体を行政解剖する監察医務院くらいしかなかった辺鄙な場所に新大塚駅ができたのです。
最近多い人身事故で山手線が止まると、「地下鉄に振り替えてください」と構内アナウンスがあります。しかし、山手線に乗れば2分ほどで着く池袋に行くために、10分弱歩いて地下鉄に振り替え乗車する人は多くありません。

大塚駅はその後も何回か復興の機会があったようですが、その度に目先の利益しか考えられない人たちによって潰されてしまいました。
私がこの地に移ってから20年ほどになりますが、この間にもチャンスがありました。JRの貨物操車場跡地の売却に伴って、駅ビル建設と改札口増設の提案があったのです。
当時はバブル経済の最中で、池袋新都心の商業地域がサンシャインシティを越えて大塚の方まで拡大してきていました。このために大塚駅に近いビルに沢山の会社が入って、通勤のためには池袋駅よりも大塚駅の方が近い会社員が増えたのです。ところが、大塚駅には巣鴨寄りの改札口一つしかありません。通勤客は大変遠回りの歩行を余儀なくされており、池袋寄りの改札口増設が望まれていました。
ところが、これまた、地元商店街の猛反対で実現せず、中途半端なホテルが建ってしまいました。反対理由は「駅ビルができると地元商店街のお客が減る」、「改札口が増えると池袋方面に歩いていく人たちが自分たちの店の前を通らなくなってしまう」というものでした。なんともはや、ケツの穴が小さいというか、近視眼極まれりと言うか。自分だけの、しかも目の前の利益にだけに目がくらんだ結果、町全体の活気を失わせ、結局は自分の首を絞めることになったのです。金の卵を産む鶏を見た欲張りが鶏の腹を裂いて殺してしまい元も子もなくなったという童話を思い出します。

既得権益に固執する輩は大塚駅周辺にだけ住むわけではありません。家内の親戚が住んでいることもあって、私は暑い夏の週末はしばしば山中湖に行きます。いや、私は結婚前から山中湖が大好きでした。
関東の避暑地のトップブランドと言えば軽井沢ですが、景色のよさ、涼しさ、東京からの距離のいずれをとっても山中湖の方が優れています。山中湖自身がとても美しい湖ですし、見上げれば霊峰、富士が四季折々の美しい姿で眼前に現れます。山中湖に映る逆さ富士は圧巻です。軽井沢には美しい湖などありません。山といっても、時折噴火で迷惑をまき散らす浅間山と、まがまがしい姿の妙義山くらいしかありません。どちらもお世辞にも美しい山影とは言えません。高度でも山中湖の方が高いために涼しさでも山中湖に軍配が上がります。距離はどうでしょう。都心から軽井沢までは140km近くなのに対して山中湖は100kmちょっとです。軽井沢は山中湖の足元にも及ばないのです。
それなのになぜ、軽井沢の方が避暑地として発展したのでしょうか。それはひとえに、地元の人とデベロッパー(西武の堤さんが頑張った)の努力によります。人の力によって避暑地の王に育てられたのです。とどめは新幹線の敷設でした。新幹線ができたことによって東京から渋滞の列に巻き込まれることなく、快適に往復することができるようになりました。
これに比べて山中湖はどうでしょう。軽井沢より東京まではるかに近いのに車か高速バス頼みなので、休日の帰りは大渋滞の高速道路をのろのろと3時間もかかってしまいます。これではよほど覚悟しないと出かけることができません。
実はあまり知られていませんが河口湖までは電車で行けます。JR大月駅から富士急行という電車が走っているので、大月まで特急あずさを使えば1時間ほどで大月駅に着きます。しかし、そこからが大変です。富士急は単線ですし利用者のことを無視した運行なので接続が悪く、その上運賃が高いときています。しかも河口湖から山中湖まではバスに乗るしかありません。
ところが地図を開いてみると高尾山から山中湖までは道志村という場所を経由してかなり近い距離にあります。高尾山にトンネルを掘って京王線を延伸すれば、新宿から1時間半程度で山中湖畔の平野に辿り着くはずです。
なぜこの計画が実現しないのでしょうか。私の推測では最大の障害は富士急行のオーナーであり、この前まで自民党で派閥を抱えていた堀内光雄とその一族だと思います。富士吉田を本拠地とする堀内一族とそれにたかって既得権益を受けている連中が、富士吉田を迂回して直接山中湖に行かれるのを嫌っているからだと思います。
堀内一族はこの地域のドンで、圧倒的な力を誇って外からの資本算入を阻止してきました。おかげで山中湖は今でも陸の孤島状態なのです。こんな利己的で先見の明がない男に国の将来を託せるわけがありません。前回の総選挙で堀内は落選しました。ここへきて堀内王国にも陰りが見えてきましたから、京王ロマンスカーも夢でないかもしれません。

大塚駅や山中湖に限らず、土地の有力者と呼ばれる人には、己の既得権益のみに執着して町、地域、国という視点で将来の発展を考えられない者が少なくありません。己の利を犠牲にして地域全体のことを考えろとまでは言わないでも、明日、来月、来年のことだけではなく、数十年先の発展という視点でものを考える人がもう少しいて欲しいものです。
当座は少し損をしても、地域全体が発展すれば、やがては己の利益ももっと大きなスケールで廻ってくるというものです。昔から言う、「損して得取れ」です。

考え方を変えれば先の見ることができない欲張りの努力(?)の結果、山中湖は軽井沢ほどの高級ブランドにならず、今でも素朴さが残り、お店の値段も軽井沢よりもずっと安くて済んでいるとも言えます。
おかげさまで私はこの夏も、あまりお金を使わないできれいな湖と富士を眺めながら涼しい夏を過ごさせていただきます。ありがとう。

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