投稿日:2010年7月26日|カテゴリ:コラム

このところ、テレビのワイドショーは連日大相撲関係者を追いかけまわして、真実を告白するように詰め寄っています。ちょっと前は小沢代議士関係者が対象でしたし、数年前は設計士や食品関係者がマイクに取り囲まれていました。
声を揃えてこう言います。「国民に対して真実を語りなさい」と。マスコミは彼らが大岡越前の前に引き立てられた悪党のように、「こうなったら洗いざらい白状します」としおらしく極悪人を演じれば満足します。しかし、彼らの発言が、自分たちが期待していた絵柄と少しでも違えば納得しません。「説明が不十分だ」、「説明責任を果たしていない」と執拗に追い回します。
こうして、最終的に期待通りの発言を引き出すと「どうです、私たちの予想していた通りだったでしょう」と見栄を切ります。真実を語れと言いながら、その実は自分たちの書いたシナリオに沿った情報を作り出しているのです。
こんな歪んだ報道を生む原因は私たちにあるのではないかと思います。大衆は複雑な真実を理解しようなどと思ってはいません。現実社会の複雑な出来事を単純な勧善懲悪ドラマに仕立てて楽しみたいのです。報道機関はそんな大衆の嗜虐的な欲望を満足させる情報を提供しているだけなのではないでしょうか。

報道という名のドラマの弊害については別な機会に述べます。今回は、こういった報道という名の暴力が罷り通る下地についてお話したいと思います。それは「知る権利」の濫用です。
今や「知る権利」は疑いの余地がない大義名分とされています。大衆はみな際限のない「知りたがり」です。しかし、本当に何でもかんでも知ることがよいのでしょうか。こういった権利を行使することによって私たちは賢く、幸せになったのでしょうか。甚だ疑問に思われてなりません。

現代は「知りたがり」の風潮に応えておびただしい情報が氾濫しています。あらゆる商品の取扱説明書には微に入り細に入り、馬鹿馬鹿しい事柄まで詳しく書いてあります。アメリカでは電子レンジの取り説に「猫を入れないでください」と書いてあることはあまりにも有名です。
実際に猫を電子レンジに入れて殺してしまった消費者が、猫をレンジに入れてはいけないという注意事項がなかったためだとしてメーカーを相手取って訴訟を起こし、勝訴した結果だと聞きます。
私が扱う医薬品の説明書きも日々注意事項が増えるばかりです。医薬品は電子レンジ以上に安全性が要求される商品ですから、注意に注意を重ねることに異論を唱えるつもりはありません。しかし、因果関係がはっきりしていない事故や極めて稀にしか起きない副作用までももれなく記載してあります。私たち専門家が読む場合にはその意味するところを汲み取れますが、医学の基礎知識のない人が読むとただ混乱をきたすことになります。
家電製品や医薬品の説明書に限らず、現代はインターネットを利用すれば、これまでは専門家しか知り得なかった情報を誰もが簡単に入手できます。誰にでも情報が公開されて共有化されています。しかし、情報はただ丸暗記しても知識として役に立ちません。正しく理解して初めてその人のものになるのです。そして正しく理解するためにはその分野で常識となっている基礎知識と思考力が要求されます。
それでは現代人は昔の人に比べ、おびただしい量の最先端知識を理解できるだけ基礎知識と思考力が向上しているのでしょうか。そうは思いません。基礎知識はゆとり教育の弊害によって明らかに減っています。基礎中の基礎である読み書き算盤がおろそかにされてきたからです。
思考力が落ちているのも確実です。何でもかんでも懇切丁寧な注意書きに頼っているからです。その一つの証拠は、多くの人が科学的な根拠に欠ける賞味期限に振り回されていることです。この怪しげな基準を一日でも過ぎた物には一切口をつけない人を見ると唖然とします。
形而上的な難問ではなく、極身近な問題についても自分で考えて判断しようとしないのですから、思考能力は確実に低下しています。いや、能力云々以前に思考しようとしなくなってしまったのです。因みに私は、誰も手をつけない賞味期限切れのお菓子を一手に引き受けるために太ってきてしまいました。

皆が安易に「私、それ知っている」と口にしますが、「知る」にはピンからキリまであります。本来はそのことについて熟知していなければ使えない言葉なのですが、単にその言葉を聞いたことがあるだけでも、平気で「知っている」という風潮です。
英語だと前者は「I understand」で後者は「I heard」ですから、両者の違いは一目瞭然なのですが、曖昧な表現を得意とする日本語ではどちらも「知っている」になってしまいます。
「外題学問」という熟語があります。これは、書物の書名だけを知っていて、その内容をよく知らない似非学問のことを言い、うわべだけの学問をあざけって言う言葉で、「本屋学問」とも言います。
このような四文字熟語があるように、昔から知ったかぶりや生かじりは馬鹿にされてきました。ところが最近はそうではないようです。実際に、やたらと用語をたくさん覚えている人が深く思考する人よりも尊敬されます。考える能力よりも情報収集能力の方が重視されているからです。こういう状況ではヒトはますます馬鹿になっていきます。つまり「知る権利」を振りまわす結果、どんどん思考能力が低下していくのです。

「一を聞いて十を知る」とまではいかなくても、一つの情報を基に深く考えをめぐらせる習慣を身につけたいものです。

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