投稿日:2010年6月7日|カテゴリ:コラム

精神科の用語は、しばしば厳密な定義から外れて、一般的な会話の中で利用されます。たとえば、「妄想」、「依存症」などがよい例です。多くの人と考えを異にする意見を述べると、「それは妄想だよ」と一笑に付されることがあります。また、何か一つのことに凝っている人を「○○依存症」と呼ぶ場面にもよく遭遇します。
このように一般に汎用化される精神科用語のなかで最も頻用される言葉は長らく「ノイローゼ」であったように思います。しかし、最近では「ノイローゼ」に代わって「うつ」が王者の座を占めるようになりました。
一昔前までは、何かくよくよ悩んだり、落ち込んで元気がなかったりすると「あの人ノイローゼじゃないの?」と囁かれたものです。ところが最近では、同じように精神的に不調な人を見かけると、「彼女うつだと思うよ」と言われるようになりました。
この交代劇は当然です。なぜならば、本家本元の精神医学の舞台から「ノイローゼ」という病名が消え去ってしまったのですから。

「ノイローゼ(Neurose)」とはドイツ語で「神経症」のことを指します。英語では「neurosis」です。その人の人格を基礎因子として、いやな出来事や環境の変化によって生じる心身の機能障害を言います。
用語自体は、18世紀に使われ始めましたが、その当時は極めてあいまいで包括的な概念でした。内因性の精神病や、器質的な精神病、てんかんまでもが含められていました。つまり、精神的な不調はすべて含まれていたわけで、その後一般の人が日常会話の中で使っていた「ノイローゼ」に近い概念であったように思います。
その後19世紀末以降、シャルコー(J.W.Charcot)、ジャネ(P.Janet)、フロイト(S.Freud)らによって「心因性」というメカニズムの研究が進んで、厳密な意味での「ノイローゼ」の概念が成立しました。さらに、ノイローゼの治療法を追及していった結果、精神分析という手法が開発されました。
私が自分の精神科医療の拠り所としている森田療法も、わが母校、慈恵医大精神神経科学講座の初代教授であった森田正馬がノイローゼに対する精神療法として考案したものです。
このように、「ノイローゼ」によって、近代精神医学の偉大な発展があったと言っても過言ではありません。
ところが、やがて精神症状の心理学的解釈が過大評価されるようになってしまいました。その結果、統合失調症や狭義の躁うつ病までもが心理学的な機序によってのみ発症し、心理学的なアプローチだけで解決するかのような幻想を抱かせるに至ってしまいました。素人が考えても首を傾げる極端な精神医学が幅を利かせる時代もあったのです。
そんな状況に風穴を開けたのが1950年代に開発されたクロルプロマジンという薬の開発です。この薬によって統合失調症の精神症状が改善するということが証明されてから、精神障害が形而上学的な議論から脳内の化学的神経伝達という生物学的、物質的な研究の場へと移されました。精神医学におけるルネッサンスと言えます。
ところが、人間の営みは極端から極端へと振れるもので、近年は神経伝達物質信奉が行き過ぎた感があります。
私自身、精神障害に対する生物学的なアプローチに期待して若いころは中枢薬理学を研究しました。しかし、くしゃくしゃ頭の自称、脳科学者がなんでもかんでもドパミンだセロトニンだといって単純に解説する姿には甚だ違和感を覚えます。数種類の化学物質を寄せ集めればフランケンシュタインのように、脳が出来上がるかのような幻想を抱かせる危険性を生んでいると思うからです。
こういった流れと並行して、診断法もアメリカ風の操作的な診断法がスタンダードになりました。表面的に現れる症状、徴候をチェックして、それらが幾つ以上あれば○○病であると断じるやり方です。こういう診断法は精神医学の敷居を低くして門戸を開放しました。つまり、患者観察の熟練した技術のない者でも、いちおうの診断名に辿り着くことができます。極端にいえば、ずぶの素人でも「○○性障害」、「✕✕性障害」という一見難しそうな病名を振りかざして議論できるのです。今、おおはやりの自己診断表というチェックリストによる診断がその悪しき産物です。
説明責任といって、全く基礎知識のない人ができるように、何でも簡単に説明されてしかるべきとの風潮がありますが、単純でないものはそれほど簡単に説明できるわけがありません。それができているように思わされた場合は、とても本質的なことが省略あるいはごまかされていると考えるべきでしょう。

精神医学における、生物学的研究の発達と操作的な診断法の台頭は精神科医の診断技能の低下と、精神療法的な治療技能の低下をもたらしました。
DSM-Ⅲの登場以来、精神科診断名から「ノイローゼ」という名前が消えてしまい、気分障害や不安性障害や人格障害などのグループに振り分けられました。
このことによって、患者さんの生活歴や性格傾向に対する深い考察なしに、表面的な症状に対して投薬をするだけの精神科医療になりつつあります。雨後の筍のように増加するメンタル系のクリニックがそのことをよく象徴しているのではないでしょうか。

しかし今でも、ノイローゼとして理解した方がよい患者さんは厳然として数多く存在します。むしろ以前よりも増えているように思います。そのことが、新しい向精神薬が次々と開発されるにもかかわらず、かえって精神障害が治りにくくなっていることの原因の一つかもしれません。
今一度、「ノイローゼ」という概念に立ち戻って、患者さんを見直して、精神療法的なアプローチに力を注ぐ必要があるのではないかと考えます。

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