投稿日:2010年5月17日|カテゴリ:コラム

先日来、宮崎県東部の川南町を中心に「口蹄疫」なる病気が流行の一途を見せて、13日現在1市2町、86か所の農場が感染被害を受けて、8万257頭の牛や豚が殺処分を受けました。
また、まだ感染の兆候がない種牛6頭を感染圏外へ一時避難させたそうです。この6頭は現在流通している宮崎牛の約9割の精液提供牛であり、この優秀な雄牛を失うと宮崎の養牛業が壊滅的な被害になるために、移動禁止の原則の例外としたのだそうです。
それでも、既に宮崎の畜産農家は莫大な経済的損失を被っており、県は同地域の畜産農家の生活資金として2億1千万円の緊急融資を決定しました。宮崎県の1地方に限局された流行だけでこれだけの被害です。全国的に拡大した状態を想像すると背筋が寒くなる思いです。
世界的には過去に、何十万頭もの家畜を犠牲にした大流行もあったとても恐ろしい病気です。そもそも「口蹄疫」という名前からして何やら空恐ろしいではないですか。ところが、この病気については一般にはあまりよく知られていません。そもそも「口蹄疫」とはどのような病気なのでしょうか。

口蹄疫(foot and mouth disease)とはRNAウィルスのピコナウィルス科(Picornaviridae)アフトウィルス(aphtovirus)属のfoot and mouth disease virus(FMDV)によって偶蹄類(牛、豚、鹿、羊、山羊、猪、カモシカなど)やハリネズミ、像などが感染する急性伝染病です。日本でも家畜伝染病に指定されています。
こういった動物に感染すると発熱して元気がなくなります。よだれが多くなり、舌や口の中の粘膜と蹄の付け根の皮膚に水泡ができて、やがてそれが破けて傷になります。この傷の痛みや二次的な細菌感染によって、摂食や歩行が不良になり体力を消耗します。こうして幼獣では50%近くが死にますが、成獣の致死率はわずか数%です。それほど重篤な病気ではありません。それではなぜこれほど大騒ぎしなければならないかと言うと、それはこのウィルスの感染力が強力だからなのです。
「口蹄疫」は家畜の伝染病の中で最も伝染力が強く、感染源は罹患動物の体液、分泌物、糞便のみならず、ウィルスが付着した塵によって空気感染もします。空気感染の範囲は陸上で65km、海上では200km以上に達すると言います。実際に1967年~1968年にはイギリスからドーバー海峡を越えてフランスに流行拡大しました。1981年にはデンマークからスェーデンに伝播したことが分かっています。
病気の症状は重くないのですが感染性が強いために、もし「口蹄疫」が蔓延すると畜産業に経済的大打撃を与えます。このため、本疾患にかかった動物は治療されることはありません。症状が見つかり第殺処分にされます。死骸は焼却されて規則通りの方法で埋却されます。さらに、感染拡大への対策として発生場所を中心とした半径10km以内の動物の移動を禁じたり、半径20km以内の動物の搬出を禁止します。
殺処分、移動制限などの厳戒体制は現在、人類が最も恐れている「鳥インフルエンザ」を彷彿させます。ということは、この口蹄疫がヒトに感染すると致死的な病態を引き起こすのかと思いきや、そうではありません。ヒトは口蹄疫ウィルスに対して強い抵抗性を持っていて、感染する恐れはほとんどありません。万が一感染したとしても大した症状は現われません。ましてや感染した家畜の肉を食べたからと言って感染することはないのです。
では何故、これほどまでに大騒ぎするのでしょうか。ひとえに経済的な理由にあるとしか思えません。つまり、この病気に感染することによって飼育していた家畜の商品価値がなくなることが大問題なのです。多額の設備投資、種付け料、餌代をかけて育てた牛や豚が一瞬にして大量に売れなくなってしまうのですから、確かに、畜産農家にとっては死活問題です。

私は鳥インフルエンザや昨夏の豚由来の新型インフルエンザ騒動の報道を聞くたびに何か釈然としないものを感じていましたが、今回の口蹄疫の事件によって私が違和感を持っていたものの一つがはっきりとしました。それは、病気に罹患あるいは罹患の恐れのある動物を大量虐殺して埋めてしまうというやり方です。
私はシー・シェパードの会員ではないので、狂信的な動物愛護の精神から主張しているのではありません。感染拡大防止のために感染源となる動物を焼却処分すること自体には異論はありません。ましてや、ヒトに対して直接的な脅威となるような狂牛病のプリオン*1や変異した鳥インフルエンザであるならば少しでも感染の可能性のある動物は迅速果敢に焼却すべきだと思います。しかし、単に焼き殺して埋めてしまうのはいかがなものでしょうか。
発想を転換してみましょう。煮ても焼いても病原性を保つ、恐怖のプリオンは別にして、未だヒトに対しての強い感染性の見られない鳥インフルエンザならば、罹患した鳥を単なる感染性の廃棄物として処分しないで、感染性を消滅するだけの加熱処理をした上で皆で食べてしまえないのでしょうか。
ましてや今回大騒ぎをしている口蹄疫ウィルスは先ほど説明した通り、ヒトにはほとんど無害なウィルスです。感染した家畜は殺さなければならないとしても、そのまま埋却するのではなく、安全に加工して食用に供すればよいのではないかと思うのです。また、そういう加工技術開発は日本人のお手のものと思います。
誰でも、自分が口にするものはより安全性が高いものであってほしいと思います。しかし、すべて健康優良児の牛や豚である必要はないはずです。そんなことを言ったら、虫歯のある家畜も商品にならないことになります。重症の脂肪肝であるフォアグラなんか口にできないはずです。少しでも瑕疵がある物は商品にしないというやり方は、曲がったキュウリ、不揃いのジャガイモを廃棄してしまうのと同じ発想だと思うのです。
感染してしまった家畜は無論、商品価値が下がります。それでも商品価値が完全にゼロにならなければ畜産業者の損失も大分軽減できます。私だったら、感染する恐れがなければ、ちょっとした病気がある牛や豚でも、安ければ喜んで焼いて食べてしまいます。
殺される牛や豚の立場になってみても、この世に生を受けて食べられることもなく、ただ焼き殺されて廃棄物として埋却されてしまうよりは、まだ無念ではないと思うのですが、皆さんはどう思われますか。
———————————————————
*1プリオン(prion):蛋白質からなる感染性因子。狂牛病の感染源と考えられている。通常の加熱や、放射線、ホルマリンなどでは感染性を失わない。詳しくは2007年の小生のコラム「感染する認知症」を参照。

【当クリニック運営サイト内の掲載記事に関する著作権等、あらゆる法的権利を有効に保有しております。】