投稿日:2010年5月2日|カテゴリ:コラム

観光バスの運転手さんから聞いた話ですが、春は日を追うごとに仕事がハードになり、秋はだんだんと楽になるのだそうです。なぜならば、春は桜前線を追いかけて行き先がだんだん遠くなり、秋は紅葉の南下に伴って徐々に近場までの運行になるからです。

それでも、例年は4月の下旬に北への長道中が終わり、ゴールデンウィークの大渋滞の中の長時間運転は避けられるとのことです。しかしながら今年は、日本列島の上に寒気団が居座っていて、いつまでも桜が散らないので、観桜旅行が続いているようです。先日彼に会ったら、連休の大渋滞の中を、弘前まで桜見物のバスを運転しなければならないと嘆いていました。

私は今、山中湖に来ています。こちらは現在山桜がきれいに咲いていますが、仰ぎ見る富士山はここ数年見たことがないほど下の方まで雪が残っています。3月下旬にやっと開場したゴルフ場も4月に入って度々降雪のためにクローズを強いられて大打撃とのことです。

地元の人の話ではここ数十年見たことのない霧氷も見られたそうです。この寒い春の原因は北極振動によってオホーツク寒気団が異常に南下したことなのだそうですが、一方、南の海ではエルニーニョ現象が続いていて暖かくて湿った大気が虎視眈々と日本列島への侵攻をうかがっています。寒気団が撤退すると一気に暑い夏の到来が予想されます。

気象学者が地球温暖化現象の現れとして季節の変化が極端になり、春と秋が無くなって、夏と冬を繰り返すようになると言っていましたが、ここ数年の季節の移ろいを見ると、まさにその予想が立証されているように思います。

わが国はその位置するところから、世界で類を見ない豊かな四季を誇ってきました。そして、そういう環境が繊細で優美な「侘・寂」の文化を育んできました。その一言で季節を表す季語を使った俳句は、四季が明瞭なわが国でなければ生まれなかった文化だと思います。

この時期の素晴らしさを詠った句に「目に青葉 山不如帰 初鰹」があります。この俳句は江戸時代前期の俳人、山口素道の作で、正確には、「目には青葉 山郭公 初松魚」(字余り)なのです。郭公は現在では「かっこう」と読みますが、古くは「ほととぎす」と読みました。ところで、一説には「ほととぎす」は鳥の鳴き声ではなく、山に咲く「ほととぎす」という花の美しさを詠んだとも言われています。

確かに、山には鳥の不如帰の羽と瓜二つの紋様をした花を咲かせ、「ほととぎす」と呼ばれる植物が存在します。しかし、この花は秋に咲くのです。素道の句はやはり、新緑の山に冴えわたる不如帰の鳴き声を愛でている句に違いありません。もし植物の「ほととぎす」を詠んだとしたならば、「目に紅葉 山ほととぎす 戻り鰹」でなければなりません。

さて、この句を思い出したので、山中湖で改めて周囲の木々に注意を向けてみても、不如帰の鳴き声は聞こえません。今年の春は本当に異常状態なのだと実感しました。

この異常気象のために野菜が生育不良で高値を呼んでいます。私も先日スーパーでキャベツ1玉に400円近い値札が付いているのを見ました。キャベツに限らず、ほとんどの野菜が高値で家計を直撃しています。このような不安定な天候がこの後も続くと米作にも影響が出てきます。いやなことに、気象に詳しい私の知人によると、今年の天候はタイ米を緊急輸入しなければならないほどの大凶作となった、17年前の天候と似ているのだそうです。

農作物の不作は外国からの緊急輸入によって何とか凌げるかもしれません。しかし、気象学者の予測通り、今後も春、秋抜きで夏と冬だけの季節変化となると、日本人の精神性に大きな影響を与えるような気がします。「侘・寂」を解するきめ細やかな感受性が失われて、粗野で猛々しく、がさつな人格の人たちが増えてしまうことが懸念されます。いや、人を殺せばすぐにばらばらにしてしまう昨今、すでに現代の日本人の心から春と秋は消えてしまっているのかもしれません。

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