投稿日:2009年12月7日|カテゴリ:コラム

最近、「依存」という言葉は一連の違法薬物事件以外にもしばしば耳にすします。睡眠薬依存、ギャンブル依存、買い物依存、セックス依存、ゲーム依存、醤油依存、アメリカ依存、等々です。こういった使い方の場合「依存」という言葉にはネガティブな感情が込められています。はたして「依存」とは悪いことなのでしょうか。
「依存」とは広辞苑によると「他のものをたよりとして存在すること」とあります。人間が完全無欠で、あらゆる局面で自己完結できる存在であるべきだと考えるならば、「依存」は改めるべきことでしょう。しかし、そこに求められているのは神の姿であって、生身の人間ではないような気がします。
ロビンソン・クルーソーだって、フライデーという伴侶との相互依存関係があったからこそ28年間の冒険生活を耐えることができたのです。人は「人間」というように一人では生きていけない社会的生物です。誰かに、または何かに依存し、依存されあって生きていくしかありません。つまり、「依存」とは悪いことだけではなく、人間が生きていくために必要不可欠な方法、手段でもあるのです。
他人に対して「あいつは○○に依存しているよ」と非難する人も必ず何かの依存対象を持っています。ただそのことに気付いていないで、自分はなにものにも頼らず生きている強い人間だと錯覚しているだけです。むしろ依存を自覚している人よりも愚かと言わざるを得ません。もしかすると自我を保つために、他人の欠点をあげつらって説教する行為に依存しているのかもしれません。
まずは「依存」=「悪いこと」、「すぐに改めなければならないこと」という安直な既成概念を払拭していただかなくてはなりません。そして自分も必ず何かに依存していることを自覚するべきです。「依存」はこの前提で考えないと偏った結論に導かれてしまいます。

その「依存」が良い依存なのか、または悪い依存であって即刻脱却すべきなのかは、依存している対象、依存することによって生ずる影響、程度などによって決まります。

依存対象は容易に善悪を決められると考えていらっしゃる方が多いですが、これもそう簡単ではありません。社会問題となっている覚せい剤「メタンフェタミン」への依存を良いという人は誰もいないでしょう。しかし、依存性薬物のもう一つの王様である麻薬(モルフィネ)は末期の癌患者さんなどのように難治の激痛の治療のためには依存していただかなければなりません。
因みに、昨年私が胆石・胆嚢炎で手術を受けましたが、あまりの痛みで意識がもうろうとしていた時に主治医から合成麻薬の点滴をしていただきました。点滴が開始されて間もなくそれまでの痛みがうそのように消えていきました。あれほど薬のありがたさを感じたのは初めてのことです。しかし、胆嚢を摘出して激痛が除かれた後に麻薬を欲しいと思ったことはありません。
日本では特に「麻薬」とか「依存」とかいう言葉を正しく理解しないで、単に悪いもの、怖いものという漠然としたイメージだけで考える傾向が強いために、激痛で苦しむ人たちへの麻薬の適用が遅れてきました。このために、不必要な痛みにもだえ苦しませる結果となっていたのです。WHOからこの点を指摘、改善勧告されて、ようやく末期癌の患者さんたちが疼痛地獄から解放されました。
また、30過ぎの男が何事を決めるのも母親に相談するといった状況、すなわち親への依存は困りもので周囲の人に多大な迷惑を及ぼします。しかし、乳幼児は親へ依存しなければならず、親との依存関係の中から自我が発達していきます。一方、親も子供に依存されてそれに応えることによって人格が成熟していきます。幼小児とその親との依存関係は両者にとってとても有益なものなのです。

次に依存によって生じる影響を考えてみましょう。覚せい剤は幻覚や妄想を発症してとんでもない社会問題を引き起こします。その人の脳にも回復不可能で深刻な損傷を与えます。作用から考えても絶対に良くない依存です。
同じように睡眠導入薬や抗不安薬への依存は悪いことと考えられていますが、正しく依存していれば医療費がかかるくらいの弊害だけで、取り立てて大騒ぎするような問題は生じません。この手の薬を長年飲んでいたからといって、認知症になるとか寿命が縮まるといったことはありません。
日本人は醤油依存症といわれますが、繊細で奥深い日本料理には欠かせない代物ですし、量さえ控えれば大した弊害はありません。高カロリーでメタボリック・シンドローム産生の立役者であるマヨネーズやケチャップに比べれば健康に悪くないと思います。少なくとも口の周りについた油とケチャップを常にナプキンで拭っている連中に「依存症」などといわれる筋合いではありません。

程度。これがもっとも重要です。特定の睡眠導入薬を飲まないと熟眠感が得られない人であっても、「明日は休日だからゆっくり寝ていればいいし、逆にぐっすり眠れなくたくってかまわないから、休日の前の晩は薬を飲まないでおこう」、「明日は朝から重要要な会議があるのでしっかり眠っておきたい今晩は薬を飲んでおこう」。こういった程度の依存は何ら問題がないのではないでしょうか。睡眠不足でパフォーマンスが低下して仕事の上で致命的なミスを犯すほうが困ります。
同じ睡眠導入薬を使うにしても、「1錠飲んだら結構よく眠れた。2錠飲んだらもっと気持がいいんじゃないかな?」と考えて、一日の目的が快適な睡眠を得ることと履き違えて、どんどん増量していくのが過度の依存であって、いわゆる依存症の状態です。
アルコールへの依存もその依存の程度が問題であることは言うまでもありませんが、趣味や道楽といわれているものも、実はそのことに依存した状態です。ゴルフや釣りを趣味にしていらっしゃる方は少なくないと思います。
仕事でストレスフルな毎日を送っていらっしゃる方にとって久々の休日グリーンの上で球を叩きながら歩く行為や、船縁から釣り糸を垂れている時間は、脱日常のきわめて有用なストレス解消になっています。趣味や道楽に依存することで知らず知らずのうちには精神障害に陥ることが予防されているのです。
ところがこれも程度問題です。いくら健康によい趣味とは言っても、病膏肓に入って仕事をそっちのけでゴルフや釣りにばかり興じることになれば話が違ってきます。立派なゴルフ依存症、釣り依存症の出来上がりです。

このように「依存」そのものは良くも悪くもありません。依存することによって本人および家族の健全な生活が害されたり、社会に重大な損害を与える。あるいは依存の程度が過度になって依存することが人生の目的に変わってしまうような本末転倒の状況になった時に「依存症」と呼び、治療の対象となるのです。
違法薬物に指定されている薬は、程度の差はありますが、依存対象、それによる影響、程度のどの点から考えても人間との間に良い依存を形成することが困難です。ですからこういった薬物は1回使用した時点で「依存症」が形成されると考えるべきです。「ためしに1回」という誘惑に負けないでいただきたい。
違法薬物の依存症がなぜ法律で規制しなければならないほど危険なのかという点については後日お話します。

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