投稿日:2009年11月30日|カテゴリ:コラム

酒井法子と押尾学、二人のタレントの相次ぐ逮捕によってここ数カ月の間、違法薬物による依存症の話題がお茶の間を賑わしました。
一連の報道の中には違法薬物の害毒を啓蒙するものもありましたが、その多くは芸能ニュースの御多分に洩れず、二人の私生活を暴きたてて、人気者の凋落ぶりを面白可笑しく観劇する、嗜虐的な内容のものでした。
リポーターが「子供のことを考えて介護の道で立派に更生してほしいものです。」などときれいごとで番組を閉めますが、誰も腹の中では、中学生の頃から虚飾の世界で優雅に生きてきて、まともな教育など受けたことのない酒井が、子供を抱えて、勉学をしながら、月給15万円ほどの介護ヘルパーのアルバイトで生きていけるなどと考えてはいません。これから先どんな転落をしていくのか、わくわくしながら見ている人がほとんどではないでしょうか。
私は二人の逮捕劇が違法薬物の害毒や薬物依存について正しい啓蒙を進めることを期待していたのですが、次第に今述べたようなゴシップ報道へと傾いていってしまったことが残念でなりません。
二人の事件の少し前には大学生や家庭の主婦たちが大麻所持で次々と逮捕されたことが話題になりましたが、この時も「あの名門大学の学生が?」、「あんな高級住宅地に住んでいる主婦が?」という部分ばかりに焦点が当てられて、薬物汚染の本質が十分に語られないまま話題に上らなくなってしまいました。
薬物依存、特に違法薬物の依存者は、進んで自ら告知するはずがありませんから、大きな非社会的行為をして大騒ぎにならない限り表面化することがありません。ですから、司直によって保護、逮捕される例はまさに氷山の一角にすぎません。
私は、薬理学の研究をしていた経験と第一線で精神科医療に携わっている日々の体験から考えて、我が国の薬物汚染の実態は抜き差しならぬほど深刻な状況に差し掛かっていると考えます。
芸能人なんて元々ヤクザな連中が薬物に手を出していることは驚くにはあたりません。昔から芸能人と違法薬物は切っても切れない仲です。大手プロダクションのパーティー会場で石を投げれば数発に一つはヤクチュウに当たるのではないでしょうか。それよりももっと憂慮しなければならないのは、暴力団や芸能界とは無縁の一般の人たちの間に深刻な薬物汚染が広がっていることです。

昨年、私は池袋の町をぶらぶらしている時に警官から職務質問を受けました。善良な市民である私は、初めは警察の防犯活動に協力しようと思ったのですが、相手の警官の態度があまりにも横柄であったので、むかっとして持ち物検査を拒否した結果、小一時間すったもんだしました。
彼らの疑いは私が違法薬物を所持しているのではないかということだったようです。後日、警察関係の友人にこの時の話をしたら、「西川の格好見たら普通の警官は怪しいと思うよ。その警官の判断は正しい。」と笑われてしまいました。
確かに、私のいでたちは多少派手なので怪しい人物に間違えられてもいたしかたないとは思うのですが、いかにも怪しげな人物が白昼薬物を所持していると考えるのもいかがなものでしょうか。
さて、この職質の際、私は強引に私のバッグの中に手を突っ込もうとした警官の行動を拒否したのであって、身元を明かすことには吝かではりませんでしたから、名刺を渡して、すぐ近くの豊島区医師会に行って証明してもらおうと提案しました。しかし、地元で長く開業している医師であることを主張しても、彼らは私の身分など、全く意に介さなかったのです。
よく考えてみれば医師であることが違法薬物を所持していないことを保証するものでないことは当然です。犯罪と職業や社会的な地位とは無関係です。特に薬物に関しては、このグループの人は大丈夫という聖域は全くありません。医師、歯科医師は言うに及ばず弁護士など法曹でさえ逮捕されている昨今です。後で述べますが、医療関係者はむしろ麻薬依存者が多いのが実態です。私の取り調べに当たった警官の行動は正しかったと言えます。
今から考えてみれば、私を職質しなければならないほど薬物汚染の広がりが深刻だということであり、感情的にならずに協力してあげればよかったと反省しています。

閑話休題、違法薬物、薬物依存と十把一絡げに扱われていますが、違法薬物は多種多彩であって作用機序や中毒症状は様々です。またその作用によって依存の仕方も異なってきます。さらに、依存人間たちが次から次へと新手の薬物に目をつけて耽溺していくので、法が追いついていません。
一方では、私たち医療者が考えもしなかった薬物が嗜癖対象とされて、それに対する取り締まり方が作られるために、その薬を本来必要とする医療現場で使用が難しくなってしまうという皮肉な事態も起きています。これから数回にわたって薬物依存に関する基礎的な知識と臨床現場での困った状況についてお話します。

違法薬物にはどのようなものがあるのでしょう。運動選手が筋力をアップするためにタンパク同化ホルモンを使用することも「ドーピング」と言って違反です。オリンピックなどの公式協議においては競技の前後で尿検査を行って、こういった薬物の使用が疑われた場合には失格となります。
しかし、これはスポーツ選手としてフェアでないということであって、刑法上の違法薬物使用ではありません。一般の方がタンパク同化ホルモンを使用しても処罰されたりはしません。また、車を運転する前に飲めば厳しく罰せられるアルコールも通常の飲み方をしていれば法に触れることはありません。ですからこういったものは違法薬物とは呼びません。
その製造、販売、所持、仕様が法律で厳しく制限されている違法薬物の第一の特徴は、主として中枢神経系に作用して精神の変容をきたして非あるいは反社会的な行動を引き起こす可能性のある薬物であるということです。
違法薬物は使用時の快感を求めるため、あるいは使用を中断する時に起こる不快、苦痛(禁断症状、離脱症状)を避けるために使用し続けます。こうしてその薬物なしにはいられなくなる状態を薬物依存と言います。違法薬物の第二の特徴はこの依存性を生じやすいという点です。
刑法上、違法薬物は、覚せい剤取締法、あへん法、麻薬及び向精神薬取締法、大麻取締法、毒物及び劇物取締法によって規制されています。
覚せい剤取締法は覚せい剤および覚せい剤の原材料の輸入、輸出、製造、譲渡し、譲受けて所持、使用を禁じています。
あへん法はあへん、けし、けいがらの栽培、採取、輸入、輸出、譲渡し、譲受けて所持、使用、吸食を禁じています。
麻薬及び向精神薬取締法はヘロインの輸入、輸出、製造、製剤、小分け、譲渡し、譲受け、交付、所持、施用、廃棄、受施用を禁止。ヘロイン以外のコカインやMDMAなどの輸入、輸出、製造、栽培、製剤、小分け、譲渡し、譲受け、所持、施用、施用のための交付の禁止。向精神薬の輸入、輸出、製造、栽培、製剤、小分け、譲渡し、譲受け目的所持の禁止。麻薬等原料の業務の届け出違反、無届の輸入、輸出を禁じています。
大麻取締法は大麻の栽培、輸入、輸出、譲渡し、譲受けて所持、使用を禁じています。
毒物及び劇物取締法はシンナーなどの有機溶剤の無登録販売、知情販売、授与、摂取、吸入、吸食、吸入目的所持を禁じています。
このように薬物によって取り締まる法律が異なり、その法ごとに違反形態が微妙に異なります。一時期問題にされたリタリン(methylphenidate)は薬理学的には覚せい剤に近い構造をもっていて覚醒作用があるのですが、法的には「麻薬及び向精神薬取締法」で規制されています。また、大麻取締法では大麻の原材料である麻の種の所持が処罰対象となっていないので、種のネット販売が横行しています。
このように、法律が医学的(薬理学的)な作用に対応していないことや法の抜け穴が存在することで困った問題が起きる可能性があります。また、法律の網の目を掻い潜って「合法ドラッグ」と称して登場する薬物への対応はほとんどが「麻薬及び向精神薬取締法」の改正で対応してきました。
2001年にGHB(ガンマヒドロキシ酪酸)、2002年にマジックマッシュルーム、2003年にアミネプチン、TFMPP,BZP,2005年に5-MeO-DIPT(5N,N-ジイソプロピル-5-メトキシトリプタミン)、AMT(α-メチルトリプタミン)、2006年に2C-T-7(2,5-ジメトキシ-4-プロピルチオフェネチルアミン)、MBDB(N-メチル-α-エチル-3,4メチレンジオキシフェネチルアミン)、3CPP(1-(3-クロロフェニル)ピペラジン)、TMA-2(2,4,5-トリメトキシ-α-メチルフェネチルアミン)、3CPP(1-(3-クロロフェニル)ピペラジン)、TMA-2(2,4,5-トリメトキシ-α-メチルフェネチルアミン)、2007年にケタミン、メチロン、オリパビン、2008年に2C-T-2、2C-T-4、2C-Iが麻薬2に指定されました。
しかし、このモグラ叩きのような薬物と法改正との鼬ごっこは、出てくるモグラの数にハンマーが追いつかないのが現状です。

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