投稿日:2009年10月26日|カテゴリ:コラム

ガスの消し忘れが気になったキムタクが、映画撮影をほっぽらかしてガスコンロを確認するために家に走って帰ってしまう。最近放映されているCMの1シーンです。強迫性障害の確認恐怖をモチーフにしているコミカルなCMです。
強迫症状は、本人はひどく苦しんでいるのですが、彼らの行動を傍から見ると滑稽なので、よくコメディの題材として使われます。周囲が不安を煽って主人公がどんどん強迫の深みに嵌っていくというパターンが多いようです。
筒井康隆の小説に、眠るための方法について書いた短編がありますが、不眠神経症の方があれを読んだら不眠が一層重くなること請け合いです。
強迫症状の対象には、今述べた確認や睡眠のほかに、不潔、尖ったもの、病気などさまざまありますが、服薬(薬を飲むこと)に対する強迫症状もよく目にします。「服薬恐怖症」と言えるかもしれません。特に精神科で出される薬はこの強迫症状の対象になりやすいようです。

一般の方が一知半解で使っている用語の代表に「精神安定剤」があります。「あの、これ精神安定剤でしょうか?」とか「精神安定剤を出してください」とかは私たち精神科医が臨床現場でよく耳にする台詞です。
そういう人たちが頭の中に描いている精神安定剤の概念はきわめてあいまいです。魔法のような効果と恐ろしい副作用が混在したイメージを描いているように想像します。
具体的には、精神安定剤を飲むと今までの悩みが一気に解決する。眠れるようになり、元気で楽しくなる。一方、精神安定剤は一度口にしてしまったら止めることができない。無理にやめようとすると「禁断症状」という恐ろしい症状のためにのたうちまわる苦しみを味わうことになる。
よく理解しようとしないで用語だけを口にする人は、どうやら精神に作用する薬を十把一絡げにして「精神安定剤」と称するようです。正しくは精神に作用する薬をまとめて「向精神薬」と呼びます。
向精神薬に対する一般の方の理解が低い原因は、その人たちの不勉強だけにあるのではありません(もともと勉強なんかする必要はありませんが)。一般医が安直に、またしばしば不適切に向精神薬を処方することにあると考えます。
現在、精神症状のことを十分に理解しない一般医が私たち、精神科医よりも大量の向精神薬を処方しています。その際に一般医の口から出る言葉が、「精神安定剤も出しておきますから」です。
このいわゆる「精神安定剤」の内訳をみると、抗不安薬(小精神安定薬)のほかに睡眠導入薬や抗うつ薬までが含まれています。
さらに一般医は勝手に向精神薬を大量に処方しておきながら、一方では「精神安定剤はなるべく飲まない方がよい」とか「精神安定剤は止められなくなるよ」とか患者さんの不安を煽るような誤った情報を流します。
専門ではなく、ほとんど勉強もしていなければ、その知識は素人と大して変わりはないのですが、白衣を着て「先生」と呼ばれる者の口から出た言葉は、患者さんを「服薬恐怖症」に仕立て上げるに十分な威力を持っています。
この結果、精神安定剤を飲まされた患者さんたちは、服薬しながらも、飲んでいる薬に対しての不安を抱かなくてはならないという状況に追い込まれます。この不安の中で上位に位置する、依存性や禁断症状に対する懸念についてお話します。

抗うつ薬や抗精神病薬、気分調整役などは依存性がありません。しかし、最も一般医がポピュラーに処方し大量に使用されている、抗不安薬と睡眠導入薬の大半が薬理学的に依存性を持っています。
つまり、抗不安薬や睡眠導入薬を長期にわたって服用していると、徐々に効果が弱くなる耐性という性質を示します。ですから最初のうちは1日2錠で症状が消えていたのに、しばらくすると2錠では効かなくなってきて、1日3錠必要になるという状況が起こり得ます。
また、急に服薬を中止すると、症状が以前にまして強く表れる禁断症状(退薬症状)の出現する可能性もあります。ですから「抗不安薬は一度飲み始めたら止められなくなる」という説はあながち間違いではありません。しかしながら抗不安薬の持つ依存性は、一般の方や知ったかぶりの一般医の想像しているほど強くはありません。
「依存性」「禁断症状」と言って、まず頭に描くのは麻薬です。多くの方が麻薬や覚醒剤の中毒患者が禁断症状にのたうちまわる姿を映画などで観ているので、「依存性」、「禁断症状」と聞くとすぐにあの地獄絵図を思い浮かべてしまうようです。抗不安薬や睡眠導入薬に薬理学的依存性があるとはいっても、その程度や禁断症状の質は麻薬や覚醒剤とは比べ物にならないほど軽度です。
数週間で使用量が倍増することなんかありませんし、服薬を中止する際に地獄の苦しみを味わうこともありません。私が抗不安薬を処方した患者さんのほとんどは、やがて良くなって来院されなくなります。長期に通院を続けられている患者さんも処方量は一定のままか当初より半減されています。

依存には身体依存と精神依存の2種類があります。身体依存とは薬を止めた時に身体的な禁断症状が現れることです。麻薬を止めると体中に痛みが起こります。精神依存とは薬のプラシーボ効果に基づく依存で、薬を止めると服薬という行為で安心していた部分がなくなってしまうために、やっぱり飲んでいたいという依存です。
抗不安薬にはごく軽度ですが身体依存もあります。実際に抗不安薬を急に止めると、一過性に前にも増した強い不安が出ます。しかし、抗不安薬の依存の主体は精神依存です。薬の作用もさることながら、服薬しているという安心感が患者さんを支えています。だから、無理に止めようとすると「今日は飲まなかったけれど大丈夫かしら?」と、服薬しなかったということだけで不安が惹起されてしまうのです。この結果、本当は抗不安薬を必要としない状態まで回復したのにもかかわらず、いつまでも服薬を止められない方がいらっしゃいます。
では、必要がなくなったのに抗不安薬に依存している方はどうやって薬を止めればよいのでしょう。答えは、一見矛盾するようですが「医師の指示通り服薬を続ける」ことなのです。

強迫観念についてのコラムで説明したように、脳はとても天の邪鬼です。だから、考えてはいけない、気にしてはいけないと思えば思うほど、そのことについて考え、気にします。
この理屈は服薬に関しても当てはまります。「薬を止めよう」とこだわることは「薬を飲まなかったら大変だ」という不安の裏返しなのです。実際に、薬はなるたけ飲みたくない。一刻も早く服薬を中止したいという願いが強い人ほど結果としては、いつまでも服薬を続けることになることが多いのです。
皮肉なことに、それは依存性、禁断症状に脅かされて服薬という行為に強くとらわれることが、薬への精神依存を強くする結果となるからです。「今日こそ薬を止めよう。」「薬を飲まなかったぞ。」「大丈夫かな?」と1日中、服薬しなかったことへこだわり続け、そのこだわりが不安症状を誘発します。結局、服薬しなかったら不安だったから、次の日からまた服薬することになります。
それに対して、依存とか禁断症状とか、薬の副作用を過度に心配せずに,医師から言われるまま服薬している人の方が、いつの間にか元気になって来院されなくなります。服薬へのこだわりがないために、無理に薬を止めようとしません。だから、「今日は飲まなかったけれど大丈夫かな」といった、要らない不安を呼び起こすことがないからです。それでも、具合が良くなると、ちゃんと飲もうと思っていてもついつい服薬を忘れてしまうものです。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」です。気がつくと、最近は全く薬を飲んでいないのに元気に生活しているということになります。これが理想的な治癒の経過なのではないかと思います。
以前、気象庁関係者から「季節の変わり目になると、『まだ寒い日はあるのでしょうか?』とか『まだ暑い日はありますか?』といった問い合わせがあります。それに対しては『まだあります』と答えておけば間違いがないのです。本当に気候が安定すればそのような問い合わせがなくなるからです。問い合わせがあるうちはまだ寒い日や暑い日があるといえます。」という話を聞きました。
治療についても同じことが言えます。もう、本当に薬を必要としない状態になると『まだ薬を飲まなければいけないのでしょうか』 と言って受診することがなくなるのです。言い換えれば、早く薬を止めなければと、とらわれている間は、まだ服薬が必要だと言えるのです。
残念なことに、必要もないのに延々と服薬を続けさせる医師もいますから、まずは慎重に主治医選びをするべきです。そして、いったん信頼できる主治医を見つけたならば、生半可な聞きかじりの情報に踊らされず、主治医の指示にしたがって服薬することが、早い回復につながると思います。

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