投稿日:2009年9月21日|カテゴリ:コラム

「個体発生は系統発生を繰り返す」とは19世紀のドイツの動物学者エルンスト・ヘッケルの「反復説」です。
人間の胎児の発生の諸段階は生物の進化の過程を辿るという考えはヘッケルの独創ではなく、古くはアリストテレスもそう考えていたようです。その後キリスト教による支配によって、長らく、発生の仕組みを考えること自体が封印されてきましたが、1859年にダーウィンが「種の起源」を出版すると、再びこういった考えが復活してヘッケルの「反復説」に行き着いたのです。
反復説はナチスの人種差別を正当化する根拠として政治的に利用され、戦後はそのことからの反動で、口にすることをタブーとされてしまいました。政治的な思惑に翻弄されてきた仮説ですが、学生時代に発生学の実習でヒトの胎児の発達過程を観察した私は、この仮説が中らずと雖も遠からずであると実感して、生命の不思議さにびっくりしたものです。
受胎後のヒト胎児の標本を時間を追ってみると、受胎後32日目の胎児の心臓は魚類と同様に1心房1心室で、頭部の側面には鰓に相当する裂け目が見られます。古生代の軟骨魚によく似た形態です。
35日目になるとこの鰓の血管が肺の血管に変化し、それまで魚の鰭とそっくりだった体側の突起が5本の指を備えた四肢の形を取ります。中生代の爬虫類によく似た形になります。
38日になると眼が前方に移動してだいぶ人間の形に近付きますが、まだ尻尾が突き出ていて体表面は毛に覆われています。新生代初期の原始哺乳類に類似した形態です。やがて尻尾が退縮して眼を瞼が覆い小さな小さなヒトの姿になりますが、体毛が抜け落ちるのは分娩直前です。
つまり、私たちは母親の体内で魚類、両生類、爬虫類、原始哺乳類、類人猿を経て生まれてくるのです。
基礎医学を学んで、この現象を目にした者は、誰しも、生命というものに対する考え方に大きな影響を受けたはずです。個々の生命が、種としての生命の長い営みにおける、次々と新陳代謝していくちっぽけな構成員に過ぎないことを知るのです。
私たち、個という生命は、一人一人独自の自我を持って、かけがえのない一生を過ごすわけですが、ヒトという種としての生命の観点から見れば、この種を継続、発展していく過程における一時的な要素に過ぎないのです。さらにヒトという種も、地球という生命システム全体の歴史の1ページに登場する、役者の一人に過ぎません。
私たち人間は自我が発達しています。反面それはその自我に縛られるということです。ですから、私たちはあらゆる現象を、たかだか80年くらいしか存在できない自分を尺度にして解釈しがちです。しかし、同じ出来事や現象を種としての生命という立場から眺めると別の世界が見えてきます。時々はそういう立場から考えてみることも必要ではないでしょうか。

現在、我が国では少子化が問題とされて、少子化対策担当大臣まで設置されています。少子化の原因として保育システムの不備、雇用問題、教育システムの歪等々が挙げられて、それに対して子育て支援やら教育費補助やらの対策が検討されています。
しかし、養育や教育に補助金を出して、保育施設を増やせば、本当に子だくさんの社会が戻ってくるでしょうか。私にはそうは思えません。少子化という現象はそんな小手先の対策など通用しない、自然の大きな流れの一環だと考えるからです。
ちょっと昔は人工妊娠中絶が産婦人科医の中心的な業務の一つでした。最近は、不妊治療が大流行りです。つまり、日本人は生物学的にこの数十年で子供ができ過ぎて困る状態から、できなくて困る状態に変わったのです。経済的理由や社会保障だけの問題ではありません。純粋に生物学的に日本人は生殖能力が低下したのです。
今の不妊の原因の多くは男性の方にあるようです。精子の数が激減しているのです。精液の中に妊娠可能な数の精子が見られない、中には精子が見当たらない男性が増えています。男性の生殖能力が低下したのです。
この原因については身の回りにあふれるプラスチック製品から出される環境ホルモンやパソコンの普及による電磁波の影響などが取り沙汰されていますが、先程述べたように種という立場から大局的に考えると、次世代の増産を必要としなくなったために、自然の調節機能が働いた結果と考えられるのではないでしょうか。
ヒトという種を一つの生命体とすれば、私たちはそれを構成する細胞に相当します。国や人種といった単位は、臓器やシステムと言えるでしょう。
つまり、我が国の少子化は、地球上のヒトという生命種にとって、日本人という臓器はもう充分に成熟したので、これ以上分裂増殖しないように制御されたのだと考えるととても分かりやすいのです。
命あるものすべて「生老病死」を避けることはできません。すなわち、誕生したら成長し、成熟したら成長は止まり、ある一定期間を経ると老化が始まり最後には死を迎えます。
感情的に認めたくはありませんが、種としての生命もどこまでも成長を続けることはあり得ません。成熟してやがて老化の過程に入ります。老化の過程ではなくとも種としての生命を正常に維持していくためには各システム間で調整を図っていかなければなりません。正常な細胞とはそのようにプログラムされています。このプログラムが壊れて無限に分裂増殖をしていくのは癌細胞です。
ヒト全体が健康に生きていくためにはある段階で増殖を止めなければなりません。部分的には中国やインドをはじめまだまだ成長を続ける細胞を持ったシステムはありますが、少なくとも欧米をはじめ我が国は成長が終わった臓器と考えられます。私たちという細胞がその状況にあった活動をしなければヒト全体の健康が損なわれます。
もちろん、実際に子供を育てる個々の親達を社会が支援することは必要ですが、そんな些末なことで大きな自然の流れを変えることはできません。自分たちが種生命体としては成長期を終えたということを認めてそれに合わせた活動に切り替える必要があるのではないでしょうか。
まずは経済活動です。未だに「経済成長」ありきで話を進めていますが、なぜ強迫的に右肩上がりの直線を追い求めるのでしょう。種自体が成長期を終えたならば経済だけが成長するわけがありません。それなのにいつまでも非現実的な成長という幻想を追い求めることが正しいとは思えません。成熟期に相応しい経済のあり方に目標を変えるべきです。
中年過ぎたのに若い時と同じように飲み食いを続けていると生活習慣病に陥るように、現実をわきまえない社会行動は必ず破綻します。今の日本社会は成熟した細胞集団としての役割を果たして、ヒトの健康な生命活動に寄与する時のように思います。

以上は社会、経済に関する素人が、人類を一個の生命体として考えた場合の乱暴な推論です。細かい事項の検証などに裏付けされてはいるわけではありませんが、当たり前とされている前提を180度覆して考え直してみることも必要ではないでしょうか。

【当クリニック運営サイト内の掲載記事に関する著作権等、あらゆる法的権利を有効に保有しております。】