投稿日:2009年9月14日|カテゴリ:コラム

「心」の働き、つまり精神機能全体を解明しようとする際、「心」を丸ごと扱ったのでは、あまりに漠としているのでなかなからちがあきません。ですから、「心」は脳の機能だという前提の下に、精神機能を幾つかのサブ機能に分けてそれぞれについて研究するという方法がとられます。
その結果、不安、気分、欲動、知覚、思考、記憶といった諸機能に関する研究に力が注がれて、細胞レベル、遺伝子レベルにまで至る知見が得られるようになりました。
でもそうやって得られた知見をただ寄せ集めても、「心」全体を理解することはできません。生命現象は全機性といって、いくつかの要素が有機的に組み合わさって初めて機能するという性質を持っているからです。
単に脳という臓器を考えたとしても、それだって簡単な話ではありません。脳はニューロン(神経細胞)とグリア(膠細胞)とからできています。現在はこのうちニューロンに対する研究が盛んです。しかしニューロンのことをいくら詳しく分解していっても、脳全体の働きを説明することはできません。しかも天の川銀河の星の数に匹敵する1000億個あると言われているニューロンは、さらに相互に結合してネットワークを作っています。一つのニューロンに数千個のニューロンからの信号が入り、その代りに数千個のニューロンに信号を送りだしていると考えられています。
ですから精神活動の総和と言える「心」を解明するために、細胞レベルやそれより小さいスケールから積み上げて研究するだけでは本態解明までに天文学的な時間を要するように思います。
これとは逆に「心」を分割しない丸ごとの大きなスケールからアプローチする方法もあります。心理学的研究です。この方法は実践的でありますが、個々の体験を説明する手段としては有効なものの、やはり心と脳の関係を説明するためには力不足です。
当たり障りのない言い方になってしまいますが、心と脳との間の間隙を埋めていくためには小さいスケールから出発した研究と大きなスケールから出発した研究がどこかで交わらなければならないと思います。

私は、心と脳の間を埋めていく際にまず解決しなければならないことは「意識」とは何かということを解明することではないかと考えます。
「意識(consciousness《英》、Bewußtsein《独》、conscience《仏》))」とは脳のあらゆる他のサブ機能の土台であり、脳が心としての振る舞いを示す時になくてはならない舞台としての機能だと思います。
ところが、この「意識」というものの科学的解明が未だに手つかずのまま残されています。
「意識」は、ある時は「知る」、「注意する」というように主観的、内省的なものとして使われます。一方、熟睡や混迷のように客観的、現象学的に捉えられる面があります。
ですから、「意識」は自然科学、人文科学でそれぞれの意味で勝手に使われているのです。にも拘らず「意識」と言えば、なんとなく共通の認識を持つことができます。確固たる共通の定義はできないが、何となく了解できる「意識」を、あらゆる分野で統一した認識にすることで、「心」の本体にぐっと近づけるのではないでしょうか。
脳科学が進歩していなかった時代には脳のどこかに「自分という意識」が存在して、その意識が脳のその他の活動状態を見張っているという考え方が主流でした。
脳の機能を見張る存在とは、すなわち「心」そのものですから「自分という意識」が「心」であって、それは他の脳を超える存在として脳のどこかに無ければならないことになります。
しかし、近年の脳科学の研究によれば脳のどの部分を探してみても、そこだけで「自分という意識=心」を担っている場所は見つかっていません。つまり、意識という機能もまた脳の全機性によって初めて獲得される機能だと考える方が妥当なのです。
現在もっとも有力な仮説は神経の膨大なネットワークの活動パターンが意識をはじめ心の諸要素を決定しているのではないかという考えです。ここで言うパターンとは空間的な配列だけで決まるのではなく、時間的要素をも含めた活動パターンです。
この他にもたくさんの仮説がありますが、この中でとてもユニークな仮説が、ホーキングと共同でブラックホールの特異点定理を証明して「事象の地平線」を唱えた世界的数学者であり理論物理学者であるロジャー・ペンローズの仮説です。
ペンローズは神経細胞内小器官である微小管(microtubule)で波動関数が収縮する*ことによって「意識」が生まれるという仮説をたてました。量子脳理論といいます。
同じ自然科学とは言っても脳科学と量子物理学とはこれまであまりにも縁遠かったこと、また生物学を研究する者には彼の数学が難解で理解しがたいことから、今のところ受け入れられてはいません。むしろニュートンが錬金術に取り組んでいたことを引き合いにして、眉に唾する者が多いのが現状です。
しかしながらこの仮説は、曖昧でいてとらえどころがないが、状況に応じて、その存在が明確に実感できる「意識」というものの性質を説明できるようにも思います。
私が生きているうちに「意識」がどこまで明らかになるのか楽しみです。
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*波動関数の収縮:量子状態を表す複素数知関数を波動関数という。量子理論学者によると、あらゆる物質の状態そのものが波であり、波動関数で表わされる。量子の世界では、シュレディンガーの猫のように、物体は同時に複数の異なった状態を取り得る。観測という行為によって初めてこの関数の収縮が起こって一つの状態となる。

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