投稿日:2009年9月7日|カテゴリ:コラム

カール・フリードリッヒ・ヒエロニュムス(Karl Friedrich Hieronymus Freiherr von Münchhausen, 1720年5月11日~1797年2月22日)はドイツ、ニーダーザクセン州の街ボーデンヴェルダーでミュンヒハウゼン家の第5子として生まれました。
15歳の時に、ブラウンシュヴァイク公家に小姓として出仕し、ロシアに移っていたブラウンシュヴァイク公アントン・ウルリヒ2世の求めに応じて、1737年ロシアに渡りました。しかし、1739年、バイロン公爵夫人の求めに応じてウルリヒの元を去ってロシア軍騎兵隊少尉に就任。
一方、ウルリヒはアンナ・レオポルドヴナと婚姻し、大元帥に就任。1740年、アンナがイヴァン6世を擁して摂政に就任した余波を受けてヒエロニュムスも中尉に昇進し、その後2度にわたる対オスマン帝国戦に参加しました。
ところが1741年12月に政変がおこって、イヴァン6世が廃されてウルリヒ2世はアンナとともに幽閉されてしまいました。幸運なことにヒエロニュムスは2年前にウルリヒの元を去っていたためにこの騒動に巻き込まれることがありませんでした。1750年に大尉に昇進した際、休暇を願い出て故郷に帰省しました。
この帰省中に母の死去、二人の兄弟の戦死といった不幸が相次いだためにミュンヒハウゼン家を継承しなければならなくなり、ミュンヒハウゼン男爵となり、ロシアに戻ることはありませんでした。
ミュンヒハウゼン男爵は故郷で、自分がロシアで体験した数多くの冒険談を語って聞かせました。彼は機知に富んで人を喜ばせることが好きであったために、話を誇張したり創作の部分を付け加えたりもした為に、彼の冒険談が評判となるに連れて、彼に「ほら吹き」というレッテルが貼られてしまいました。
やがて誰とはなしに彼の冒険談を纏めて「ほら吹き男爵の冒険」という小説が創作されました。数多くの人たちが加筆をして各国で翻訳されたために現在では100以上ものバリエーションができています。
物語の中核はミュンヒハウゼンの手柄話ですが、彼の生きた時代以前の話や後から創作された話が加わっています。しかも書き手がミュンヒハウゼンに好意的でないことが少なくないので、彼のほらぶりが極端に強調される結果となりました。やがて「ミュンヒハウゼン男爵」が「ほら吹き」と同義語になることになります。皆で寄って集ってミュンヒハウゼンを世紀のほら吹き男に仕立てたと言えます。

チャールズ・ディケンズの小説の題名に由来する、睡眠時無呼吸症の典型例である「ピックウィック症候群」やモーリス・メーテルリンクの童話からとった「青い鳥症候群」のように、医師は小説などからユーモアに富んだ病名を付けることが好きです。世界中で多くの人に愛読されている「ほら吹き男爵の冒険」を見逃すはずがありません。1951年イギリス人医師リチャード・アッシャーによって人格障害に基づいて特殊な行動を繰り返す一群の精神障害が「ミュンヒハウゼン症候群」と命名されました。

ミュンヒハウゼン症候群とはパーソナリティ障害の中の虚偽性障害(F68.1)の中で身体症状が主で慢性的で重症のものを言います。自分に周囲の注意を惹きつけるためにいろいろな虚偽の話を作り上げるのですが、その話の内容は主として病気や怪我に関することが中心です。病気や怪我を手段として同情を買って、周囲の人との人間関係を操作しようとするものです。
病気や怪我は重症でなければならないので、客観的な徴候に比べて自覚症状が重く、通院、入院を繰り返します。医師から虚偽を見破られたり、病状の改善を告げられると、新たに別の病気を作ろうとします。そのためには体温計を擦って高熱を装ったり、検査の検体をすり替えたり、さらには自傷行為や手術をもいといません。
自分の望む診断と医師の診断が異なると、自分の意に沿う診断を下してくれる医師を求めて医療機関を次々と変えるドクター・ショッピングをします。ミュンヒハウゼン症候群は昔風に言えば特異な人格の人のヒステリー症状なのですが、本人から精神科を受診することはなく、内科や外科の一般科を渡り歩きます。したがって自傷行為や検体をすり替える現場を見つけるまでミュンヒハウゼン症候群であることが疑われない場合が多いのです。
病気を偽るものとしては「詐病」もあります。この両者の鑑別はなかなか難しい所ですが、詐病の場合には病気であることの目的が経済的利益なので手術や検査を嫌がります。一方、ミュンヒハウゼン症候群の人は周囲からの同情という精神的な利益が目的ですから、積極的に手術や検査を受けたがります。

さてミュンヒハウゼン症候群の仲間でもっとややこしくて傍迷惑な精神障害が「代理ミュンヒハウゼン症候群」です。代理ミュンヒハウゼン症候群は病気や怪我の対象が自分自身ではなく「身近の代理の人間」なのです。多くは自分を信頼していて、自分に対して不利な証言をしない子供である場合が圧倒的に多いのです。
様々な手段で我が子に怪我をさせたり、病気に陥らせます。そして、その子供の看護をすることによって子供の心を操作したり、健気に我が子の看病をする姿を他人に見せて同情や称賛を得ようとするのです。
目的は我が子を傷害することではありませんが、手段として重大な児童虐待を繰り返します。
アメリカでは年間1000件近くの代理ミュンヒハウゼン症候群が報告されており、しかも年々増加傾向にあると言われています。我が国でも平成20年、京都大学附属病院に入院していた1歳10か月の5女の点滴に腐敗した液体を混入したとして、母親が殺人未遂の容疑で逮捕された事件が記憶に新しいと思います。
5女の血液中に通常は存在しない複数の細菌が検出されたために、不審に思った病院が患児の病室をビデオで監視していたところ、母親が点滴に腐敗液を混入する場面が録画されました。その後の調査で平成18年に死亡した4女の血液からも常在しないはずの菌が検出されていたことが判明して、殺人容疑で再逮捕されました。この母親は取り調べに対して2女と3女も同様の手口で殺害したと供述しています。
何もかも、とくに悪い風潮は真っ先にアメリカの後追いをする日本です。実際に児童虐待が増えて社会問題化されています。一方、人格が未熟でヒステリーの傾向の女性も増えているように感じます。したがって代理ミュンヒハウゼン症候群による児童虐待が増加していると想像します。私たち医療者はこの代理ミュンヒハウゼン症候群に関する理解を深めて、無辜の児童が親の精神的な満足のために犠牲になることを早期に防止しなければなりません。

ミュンヒハウゼン男爵はほら吹きではありましたが、実際の生活面では真面目で誠実な人であったと言われています。ちょっと面白おかしく脚色した武勇伝を披露しただけで、後世、ほら吹きの代名詞にされ、あまつさえ、我が子を殺すような病名にまで名を冠されてしまいました。心から同情せざるを得ません。

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