投稿日:2009年8月24日|カテゴリ:コラム
解散して早3週間以上経過した8月18日に第45回衆議院議員選挙が公示されました。戦後初の本格的な政権交代となる可能性が高まっているために、各候補者、各政党ともこれまで以上に熱い選挙運動を展開しています。
それにも増して、いつになく高まっているのが国民の選挙に対する関心です。ある報道機関の調査によると、80%近い有権者が投票に行くと答えています。戦後最も高い投票率をあげた総選挙は、60年安保を控えた1958年、岸伸介首相のもとで行われた第28回総選挙(話し合い解散選挙)時の76.99%です。その後は漸次、政治に対する期待が低下して、70%前後を低迷していました。
「郵政民営化賛成か、反対か」という小泉マジックに国民が踊らされた、前回の総選挙でさえ、投票率は67.51%でした。今回は投票率でも戦後最高の数字を生むかもしれません。喜ばしいことです。
さて、肝心の選挙運動の内容はというと、相も変わらずどの政党、候補者も選挙前だけの阿諛便佞の傾向から脱却できていません。票のために、これまでの主張をきれいさっぱりと忘れて臆面もなく三寸の舌を掉っている候補者も少なくありません。
我々有権者はこれまで何度も彼らの巧言に欺かれ続けてきました。そのことによって、政治に対する関心を失い、白けてきました。そしてそれがさらに口先だけで泳ぎ回る碌でもない政治屋を増長させてしまいました。
もともと舌は嘘を吐くものです。人の本性を見極めるのはその人の行動でしかありません。「耳の楽しむ時は慎むべし」です。私たちは候補者たちの巧言に白けるのではなく、耳をふさいでじっと彼らの行動を観察して行こうではありませんか。地味で目立たなくても当初の約束を果たすために努力する政治家を育て、上辺のパフォーマンスと美辞麗句で塗り固められた嘘吐きには鉄槌を下しましょう。これが投票の意義だと思います。
言いたいことは山ほどありますが、これ以上総選挙について踏み込んで書くと公職選挙法違反に問われかねないので、今回はここまで。総論に止めておきます。
さて、私たち有権者は8月30日に衆議院議員を選択するという権利を行使する他に、主権者としてのもうひとつの重要な権利を行使します。それは最高裁判所裁判官国民審査です。ところがこの国民審査についての関心の低さには毎回驚かされます。多分この審査の仕組みそのものを知らない人が少なくないのではないでしょうか。御多分に洩れず、今回の総選挙でも衆議院の熱いバトルの陰に隠れてしまっているようです。現在の我が国は民主主義国家です。この体制の成立過程についてはとかく議論の多い所ですが、ともかく民主主義国家であって、主権者は私たち国民です。しかし国家という組織は少しでも油断すると、主権者である国民の上に立って、国民を支配、抑圧するものです。
この国家権力の主権者に対する横暴、抑圧の危険を少しでも小さくするために考案された制度が国家の権力分立です。戦後日本は立法(国会)、行政(内閣)、司法(裁判所)の三権を分立させて、相互に監視し合うことによって国家の一部、とくに行政に権力が集中しないような仕組みになっています。
ところが、実際には最高裁判所長官を指名するのは内閣、任命するのが天皇であり、その他の最高裁判所裁判官の任命は内閣が行います。また下級裁判所の裁判官は最高裁判所が指名した者を内閣が任命します。さらに裁判官が行政機関である法務省に出向したり、行政官である検事が裁判所に出向して判事になるといった判検交流が広く行われていて、内閣が裁判官人事に深く関与しているのが現状です。
この結果、行政事件では行政に不利な判決は滅多に見られませんし、国民が国家(行政)を訴える国家賠償訴訟では地方裁判所、高等裁判所までは国民の勝訴であったものが、最高裁判所に上告されると逆転して、判決が国の勝利に覆る例が数多く見られます。
本来、最高裁判所は国家が国民に対して結んだ契約である憲法に基づいて、主権者の立場を守る最後の砦として「憲法の番人」と呼ばれるべき存在ですが、我が国の最高裁判所の実態は行政に雇われた「権力の番人」に堕している感があります。
私たちは主権者とは言っても司法や行政に直接関わることはほとんどできません。地方行政の長である知事や町村長は直接選挙することができますが、国家行政の長である内閣総理大臣は国会議員の投票を通して間接的な関与しかできません。司法に至っては全く蚊帳の外です。司法は国民にとってかなり縁遠い存在です。
国民と司法との距離を縮め、司法を身近なものにするためという理由で裁判員制度が導入されましたが、突然、人を絞首台に送る役目の片棒だけ担がされるのは迷惑千万です。それよりも裁判官の選択にもっと国民が関与できるようにするべきではないでしょうか。
ところがよく考えると、とても消極的ではありますが、唯一国民が司法に直接関与できる仕組みはあったのです。それが総選挙と同時に行われる最高裁判所裁判官国民審査です。
この制度は日本国憲法第79条第2項及び第3項ならびに最高裁判所裁判官国民審査法に基づいています。任命後初の衆議院議員選挙の時に審査を受け、その後は審査を受けてから十年を経過した後に行われる総選挙時に再審査を受けるとされています。
審査の方法は信任投票ではなく不信任投票です。有権者は罷免すべきと判断した裁判官の氏名の上に×印を付けます。投票者の過半数が不信任とした裁判官が罷免されます。ただし、最低投票率が1%と規定されているので投票率が1%未満だと罷免とはなりません。
主権者が司法に唯一物言える重要な場ですが、どの裁判官が不適切であるか否かを判断できるだけの情報が十分に提供されているでしょうか。一応公報には経歴や過去の判断が載せられていますが、こういったものに目を通す有権者はほとんどいません。大半の人は各裁判官の過去の判断例など知る由もなく、それどころか名前さえ審査当日に投票所に異って、初めて目にするのが実態です。
その結果、これまでに過半数の不信任を受けて罷免された裁判官はいません。過去最高の不信任率は1972年の下田武三氏の15.17%です。○×をつける調査方法では、特にどうでもいいと思っている質問項目には、一番先頭の選択肢にチェックをするということが心理学から分かっていますが、まさにその理論通り。これまでの審査では例外なく一番先頭に名前を記載されている裁判官が一番高い不信任率となっています。国民が適切な材料を検討して真剣に判断していないことをはっきりと表す証明でしょう。
この情けない状況の原因は、国民の司法に対する意識不足と言われてしまえばそれまでですが、裁判所やマスコミが啓蒙にまったく力を注いでいないことも責められて然るべきです。マスコミは選挙の方にばかり人々の関心を誘導せず、国民審査に関する情報を繰り返して提供するべきです。きれいごとを並べたてた選挙公約や、当てにならない世論調査などを繰り返すだけでなく、各裁判官の過去の裁判例をかいつまんで報道していただきたいと思います。
因みに今回の審査の対象となる裁判官は那須弘平、涌井紀夫、田原睦夫、近藤嵩晴、宮川光治、桜井龍子、竹内行夫、竹崎博充、金築誠志の九名です。ごく簡単に経歴と主な判決を記します。
那須弘平:弁護士出身の67歳。日弁連常務理事を経て2006年5月に就任。故ロバート・メイプルソープ氏の写真集はわいせつ物でないとした判決で(08年2月)および公訴時効成立後、自首した男に損害賠償義務を認めた判決(09年4月)で裁判長を務めました。
涌井紀夫:福岡高裁長官、大阪高裁長官を経て06年10月就任。67歳。在外被爆者に初の国家賠償が確定した判決(07年11月)および住基ネットを合憲とした判決(08年3月)で裁判長を務めました。
田原睦夫:66歳で最高裁民事規則制定諮問委員、日弁連司法制度調査会副委員長を経て06年11月に就任。衆院選の無効が求められた訴訟で「違憲」の反対意見を述べました(07年6月)。また、防衛医大教授の痴漢事件の逆転無罪判決で裁判長を務め判決は3対2で「無罪」でしたが、本人は「有罪」の反対意見でした(09年4月)。
近藤嵩晴:最高裁首席調査官、仙台高裁長官を経て07年5月就任。65歳。両親の結婚を国籍取得の要件とした規定をめぐる訴訟で、「違憲」の多数意見(08年6月)。また、小学生の胸元をつかむ行為を体罰に当たらないとした判決(09年4月)で裁判長を務めました。
宮川光治:弁護士出身の67歳。終戦時、中国に残された日本人残留婦人らが国に賠償を求めた上告の棄却決定で裁判長で「上告を受理すべき」と反対意見を述べました(09年2月)。
桜井龍子:労働大臣官房審議官、労働省女性局長を経て08年9月就任した元行政官。62歳。静岡県御殿場市の少女集団暴行未遂事件で元少年4人を実刑とした決定で裁判長を務めました(09年4月)。
竹内行夫:外務事務次官、政策研究大学院大学連携教授を経て08年10月就任。66歳。地下鉄サリン事件で実行役を送迎した被告を無期懲役とした決定で裁判長を務めました(09年4月)。
竹崎博充:65歳。現在最高裁判所長官。名古屋高裁長官、東京高裁長官を経て、裁判員制度設計に重要な役割を果たした功績から異例の出世で08年11月に最高裁長官に就任。遠隔監視システムで客を確認する自動販売機を対面販売と認めないとした判決で裁判長を務めました(09年3月)。
金築誠志:東京地裁所長、大阪高裁長官を経て09年1月就任。64歳。警察署の塀をよじ登る行為も建造物侵入罪に当たるとした決定で裁判長を務めました(09年7月)
報道に頼らずより詳しい情報を得るには最高裁判所のホームページをご覧ください。(http://www.courts.go.jp/saikosai/about/saibankan/

国権の一翼を担う司法活動に対して私たちはもっと関心を持って主体的に国民審査に当たりましょう。そうでなければこの審査制度は器だけで中身のない形骸化したままです。主権者とは権利に相当する責任を負っていることを忘れないようにしましょう。

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